第6話④
それからというもの、私としろくんは、放課後の公園で顔を合わせるようになった。一緒に遊ぶというよりは、しろくんが持ってきた小難しい、私にはまったく理解できない本を読んだり、ただ私がその日にあった数少ない『いいこと』を報告したりと、たわいもないやりとりばかりだったけれど、私にはそれで十分だった。
私が……私ばかりが楽しくて、嬉しくて、けれどしろくんは嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれて。だから私は、それに甘え続けた。小学校のいじめっ子達は、私がしろくんという友達を得たことで、私を遠巻きにするようになった。
しろくんは私の事情について何も聞かなかったし、私もしろくんの事情について何も聞かなかった。それでよかったのだ。ただそばにいてくれることが嬉しかったから。
そんな感じで中学校、高校と進み、私としろくんの関係はそのまま変わらないはずだったのに、まああのクソ親父のせいで強制的に転機が訪れ、しろくんはやっぱりヒーローで、私は彼に甘えることしかできなくなってしまい、今に至るというわけである。
あのドデカい四面ビジョンを乗っ取る若き美貌の社長様が私の幼馴染だなんて、誰も信じてくれないだろう。
住む世界が違うことが解っていても、それでもしろくんの手を放したくない私は、本当にずるくて重い女だ。
考えれば考えるほどドツボにはまりそうになる思考がうっとうしい。それを振り払うように頭を振ると、バッグから電子音が鳴り響いた。ワンコールで切れた電子音は、レディ・エスメラルダとして招集される時のために設定されているスマホの呼び出し音である。
しろくんとはさっき会ったばかりなのだけれど、何かしら新たな用事でもできたのかもしれない。一応スマホを見て間違いないことを確認し、私は本社へと向かうことにした。
すぐ近くに位置する本社ビルは、低層階は店舗になっている。先ほどの大型ビジョンの映像を見て早くもやってきたらしい大量のお客様達を横目に、社員専用のエレベーターで最上階へと急ぐ。
あっという間にエレベーターはしろくんの部屋、もとい執務室が位置する最上階に辿り着いた。
「柳です」
レディ・エスメラルダとして呼び出されたとはいえ、大っぴらにそう名乗るわけにはいかないので、いつも通りに扉をノックする。
「どうぞ」という返事にほっとしてから部屋に入ると、広い執務室には、しろくんしかいなかった。立派なデスクの向こうの、これまた立派な椅子に腰かけて、こちらを見つめているしろくんは、あれだけ大きなハイビジョンで見たというのにも関わらず、実物の方がずっと綺麗なのだから不思議なものだ。
執務室の会話は外にはもれないようになっている。だからこそ、私は「レディ・エスメラルダ、ただいま参上しました」と頭を下げた。
「さっきの今で、突然悪いね。まだ近くにいるかと思ったものだから」
「はい、お察しの通りです」
「それはよかった。さて、それじゃあ早速本題に入ろうか」
にこり、としろくんは微笑んだ。優美で典雅な、やわらかくて美しい微笑みだ。いつもと同じ笑顔、の、はずだった。
それなのに、なぜだろう。
私は今、「あれ?」と思ってしまった。なんだかいつもしろくんの笑顔ではないような気がした。けれどその違和感を深く考えるよりも先に、しろくんは口を開く。
「レディ・エスメラルダ。きみは先ほどの、スクランブル交差点の四面ビジョンの映像を見たかな?」
「……ええと、しろくん……失礼いたしました。マスターが、金剛院社長として、当社の新商品の発表と販売に乗り出すと仰っていたあちらのことでよろしいでしょうか?」
「うん、それだよ。ちゃんと見てくれていたようで何よりだ」
ああなるほど、あの案件についての説明を、早速してくれるために私は呼び出されたのか。そう納得しつつも、私は得体の知れない不安が背中を這いまわるのを感じていた。
にこ、にこ、にこり。しろくんの笑顔は変わらない。そう、変わらないのに、なぜだろう、何とも言えない違和感がどんどん胸の内に降り積もっていく。
しろくんがまるで知らない人のように見えると言ったら、しろくんは笑い飛ばしてくれるだろうか。笑い飛ばしてくれなくたっていい、ただ否定してくれたらそれでいいのに、言葉が出てこない。
なんだかやたらと緊張せずにはいられなくて、自分の顔が強張っていくのを感じる。けれどしろくんは……マスター・ディアマンは、そんな私に気付かず、ううん、気付いているだろうにあえてスルーして、デスクの引き出しから小さな箱を取り出した。
なんだろう、と思う間もなく、音もなく箱の蓋が開けられる。
その箱の中に収められていたのは、さまざまな色にゆらめく、圧倒的なプリズムを放つ、美しい宝石だった。
「僕とドクター・ベルンシュタインの共同開発で作った新商品、ノヴァ。これを当社で販売、一般人に普及させ、カオスエナジーの効率的な収集を目指そうと思ってね」
「そんなことができるんですか?」
「きみのエメラルドやドクターの琥珀、アキンドのアメジストほどではないけれどね。日常的な混沌を集めるにはこれくらいで十分だ。これを一般人に身に着けてもらうことで、この本社の地下のシステムに、カオスエナジーが自動的に集まるまでにこぎつけたんだ。僕だけでは最後の一手に手が届かなかったんだが、ドクターのおかげだよ。彼はつくづく優秀だね」
私の知らないところでもうそんなところまで話が進んでいたらしい。カオスエナジーを集める手段がこれでまた一つ増えたと、そういうことか。
ははあ、なるほど。それはよかったよかっ……。
「だからレディ・エスメラルダ。きみはお役御免だ」
「…………………………え?」
何を言われたのか、理解できなかった。
ぽかんとまぬけに大口を開ける私を、やわらかい、けれど決して触れさせてはくれない、圧倒的な拒絶を宿したまなざしで見つめて、マスター・ディアマンは続ける。
「今までご苦労だったね。レディ・エスメラルダにはカオティックジュエラーを、柳みどり子にはNEWBORNを退職してもらう。心配しなくても退職金は用意するし、みどり子ちゃんが僕に借りているお金についても、退職金の一環としてなかったことにしてあげる。次の職場が決まるまでは生活費の工面だってさせてもらうつもりだし、もし必要ならその次の職場の紹介もしよう。だから何も心配はいらな……」
「っしろくん!」
とうとうと流れるように言葉を紡ぐマスター・ディアマン、ううん、しろくんに、気付けば私は詰め寄っていた。
デスクの元まで駆け寄って、しろくんの顔を真正面から見つめる。
「な、に言ってるの? わ、私、確かに役立たずだけど、で、も」
そう、レディ・エスメラルダとしても、柳みどり子としても、どこまでもぽんこつな自覚はある。私なりに頑張ってる、だけじゃ、社会では生きていけないことくらい理解しているつもりだ。
けれど、こんな風にいきなり最後通牒を突き付けられるなんて思ってもみなかった。
どうして、と、唇が音もなくわなないた。その声にならない声を正しく聞き拾ってくれたしろくんは、少しだけ困ったように苦笑した。
「エスメラルダにもみどり子ちゃんにも非はないよ。ただノヴァが完成したことで、カオスエナジーの収集を担当するエスメラルダの役目が終わっただけだ。みどり子ちゃんだって、好き好んで『レディ・エスメラルダ』を演じていたわけじゃないでしょ?」
「それは! そう! だけど‼」
そりゃそうだ。誰が好き好んであんな訳の解らないアホなセクシー衣装に身を包んで公衆の面前に出るものか。土下座されたって普通に嫌である。お断りである。
でも、それでも、あの羞恥心に耐えてでも、頑張ってきたのは。
頑張りたいと、思い続けていたのは。
「……私じゃ、しろくんの役に立てない?」
全部、しろくんのためだったのに。そう言うのは、傲慢が過ぎるだろうか。
ああそうだとも、こんなの私の自己満足だ。なんでもできる、なんでも持ってるしろくんには、私なんかの助けなんて必要ないことくらい、最初から解り切っていたことだった。それでもなんでもいいから力になりたかったのは、そばにいたかったのは、やっぱり私のわがままでしかない。
「しろくんは、もう、私はいらない?」
自分でも驚くくらいにかぼそくて力のない、震える声になってしまった。あ、だめだ、視界が涙でにじむ。
そんな私を前にして、しろくんは椅子から立ち上がって、わざわざ私の真正面に立ってくれた。とうとう涙がこぼれ落ちた私の顔に、しろくんの手が伸ばされる。まなじりの涙を指先がぬぐい、そうして私の頬のラインをなぞって、それから彼は、やっといつものように優しく、甘やかに微笑んだ。
「もう十分すぎるほど、みどり子ちゃんは頑張ってくれたよ。だから、もういいんだ」
けれどその言葉は、何よりも残酷だった。こんなにもしろくんの笑顔を見て悲しくなる日が来るなんて、思ってもみなかった。
何を言っても、きっと、いいや、もう絶対に、しろくんの心には届かない。だってもう彼は決めてしまっているのだから。しろくんは一度決めたことを覆さない。そのことを、私は、長い付き合いの中でよく知っていた。
だから私は、あふれそうになる涙を隠すために深く頭を下げて、そのまま執務室を後にすることしかできなかった。
そのままどうやってアパートに帰ったかは覚えていない。ふらっふらになって帰ったことだけは確かだ。ここでヤケ酒でもすればよかったのかもしれないけれど、クソ親父のことを思い出すからお酒には手が出せなくて、その代わりにケーキでも、とも思っても、食欲がわかなくて、結局そのまま直帰するしかなかった、ということだけははっきりしている。
まだまだ新築の匂いが残るアパートの自室に入って、玄関に座り込む。トトトト、と駆け寄ってくるのはみたらしとしらたまだ。
なぁん、ふなぁんと、愛らしく鳴きながらすり寄ってくる二匹は、私の様子がいつもとは違っていることに敏く気付いてくれたらしい。みたらしは膝に、しらたまは肩に飛び乗ってきて、それぞれ顔をぺろぺろと舐めてくれる。その濡れた感触は、ざらざらしていてちょっと痛くて、でも、優しくて、もう駄目だった。
「う、うううううう〰〰……っ!」
我慢していた涙がとうとうあふれた。
私は、ヒーローを失ったのだ。私のヒーローは、もういない。
でもそれは私が文句を言っていいことではない。今までが奇跡の連続だっただけだ。私は私にふさわしい立場になっただけだ。だから、仕方のないことでしかない。
しろくん。しろくん。強くて優しくて、きっと本当はさびしいくせに自分ではそうとは気付いていない、私のヒーローだったひと。
さよなら、私のヒーロー。
そう自分に言い聞かせるたびにもっと涙があふれて、みたらしとしらたまが懸命に私を慰めてくれて、そうしたらもっと泣けて仕方なくて、一周回って腹立たしさすら感じてくる。
「し、ろ、くんなんて、もう知らない、んだから」
せいぜい私がいなくなって清々すればいいのだ。そう、それでいい。私のことなんて綺麗さっぱり忘れて、バリバリ働いて、素敵なお嫁さんでももらって、勝手に幸せになればいい。
そうだとも。だから、私だって、しろくんなんてもう知らない。
しろくんがいなくたって、私はちゃんと生きていける。生きていってみせる。そう自分に言い聞かせながら、そのまま私はひとしきり、無様に泣きじゃくり続けたのだった。
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