第6章③
それから数日。
ところ変わって、ここはカオジュラ秘密基地が存在する高級宝飾店NEWBORN本社たる高層ビル、の、すぐそばの公園である。
いつものように私は、片隅のベンチに腰かけて、ぼっちでお昼ご飯を食べていた。例によって例のごとくの、質素倹約節約万歳のお弁当だ。
すっかり大家さんと入居者の一人、という関係を通り越し、なんだかこう世話焼きの親戚のおばちゃんと、それに甘える一人暮らしの若人、という関係に落ち着きつつある明通透子さんから、つい先日、彼女が漬けたのだという梅干しを頂いた。これが昔ながらのしょっぱい梅干しで、まーもーご飯が進むと言ったらない。
その梅干しのおにぎりに、おかずのメインは鶏むね肉のピカタ、付け合わせは常備菜のもやしのナムル、キャロットラペ、エリンギのマリネ。彩りにプチトマトと冷凍ブロッコリーである。
透子さんのご厚意……というか、彼女曰くの『監視目的』で、新築アパートの家賃が浮いているおかげで、最近はお弁当も少しずつ豪華になっている。今はいいけれど、そのうち改めてアパートを追い出されることになった時が怖い。人間、贅沢に慣れると、もとの質素な生活には戻れないので。
でもみたらしとしらたまのご飯だけは、現状と同じ、おいしくて健康的な、ちゃんとしたペットフードをあげたいから、やっぱりもっと節約しよう。いざという時はいつ訪れるか解らないものなのだから。
それにしてもおにぎりがおいしい。梅干し、自分ででも作ってみようかな。色々大変なのは知ってるけど、しろくんにも食べさせてあげたい。
そのしろくんには、つい先ほど、レディ・エスメラルダとしての職務にまつわるアレソレを報告したばかりだ。しろくんはいつもと同じように「ご苦労だったね」と言ってくれた。そう、言ってくれたのだけれども。
「……それだけ、だったんだよね」
今までだったら、報告ついでに、気安い会話くらいはしていた、と、思う。柳みどり子としてもレディ・エスメラルダとしても、本来ならば立場上よろしくないことは百も承知の上のつもりだけれど、私はしろくんが何も言わないのをいいことに、彼に甘えて、やれみたらしが、やれしらたまが、とか、ついつい語ってしまっていた。しろくんはいつも、やわらかく笑って、私のつたない話を聞いてくれていた。
けれど最近のしろくんは、こういう言い方はなんだか違うような気もするのだけれど、なんというか、こう、『つれない』。そう、そっけない、とでも言うべきか。必要最低限の会話しか許してもらえず、しろくん自身の言葉をほんのわずかで、しろくんのそばに長居させてもらえる雰囲気ではない。
本来ならばそれが正しい姿なのだろう。私が今まで甘えすぎていただけなのだとも解っている、のだけれど。
「…………解っている、つもり、なだけだったんだなぁ」
これが当たり前なのに、勝手にさびしくなってる私はとことんめんどくさい女である。
しろくんの変化はいつからだっただろう。私は、何かしてしまったのだろうか。正式にジャスオダをクビになった時に、あの人達がなぜかやたらと連絡先を交換したがっていたから、「まあどうせ社交辞令でしょ」と軽い気持ちで交換したら、ほとんど毎日、誰かしらからやたらと連絡が入る……なんて話をしろくんにも愚痴ったけれど、もしかしてそういう愚痴がうっとうしかったのだろうか。
そりゃそうか。
他人の愚痴なんてわざわざ聞きたいはずがない。しろくんはただでさえ忙しいのに、私の愚痴を聞いている暇なんてなかったのだ。
「そろそろ見放されたってこと、かも」
もともとしろくんと私は、住む世界が違う。私がしろくんのそばにいたいと思っても、しろくんの方から拒絶されたら、私にはなすすべがない。
幼馴染、なんてあまりにも無力な繋がりでしかなくて、雇い主と社員、お金を貸してくれている側と借りている側、の方がまだ繋がりとしては明確で、『ちゃんとして』いるように思う。
お世辞にも優秀とは言えない私を見放さないでいてくれるのはしろくんの優しさと気まぐれでしかないのだ。そう思うとなんともさびしくて仕方がないのだけれど、こればかりは仕方ない。
はあ、と、ついつい込み上げてきた溜息を吐き出して、黙々とやけに味気ないお弁当を食べ終えた、その時だ。
ワッと大通りの方から歓声が上がる。なんだろう。
なんとなく気になって、手早くお弁当を片付けて、いまだに歓声が聞こえてくる方へと足を運ぶ。この辺りで一番大きい大通りの、スクランブル交差点だ。立ち並ぶビルに設置された、数としては四つの、マルチ大型ビジョン。
いつもだったらそのビジョンには、ニュースだとか、宣伝だとかの映像が流れているばかりで、わざわざそのビジョンを足を止めて見上げる人なんてあまりいない。
けれど今は、わざわざ誰もが足を止めて、そのビジョンに見入っている。
だって、そこに映っていたのは。
「……しろくん」
『――高級宝飾店NEWBORNの社長、
大型ビジョンにドアップに映っているのは、老若男女を問わない皆々様の心をぎゅっと掴んで離さない、王子様みたいな甘やかで優美な美貌だ。
しろくんの本名、そういえば久々に聞いたなぁ、と、ぼんやりと思った。金剛院創志郎、という、なんともご立派で小難しい名前を初めて聞かされた時、ただ「きれいな名前だなぁ」となんともマヌケな感想しか抱けなかったことを思い出す。
それにしても、ええと、新たな宝石? そういえばカオスエナジーを直接一般ピーポーから日常的に集めるために、その収集アイテムとなる宝石を手に取りやすい価格で販売するとかなんとかいう話を、マスター・ディアマン、ドクター・ベルンシュタイン、アキンド・アメティストゥが話し合っていたような気がする。私はその辺の話題に関してはまったくもって無力でしかないので、「へえ、そうなんだ」くらいにしか思っていなかったけれど。
こうして四面ビジョンを一気に乗っ取って大々的に宣伝したということは、それだけしろくんは本気だということだ。しかもこれはもう後に引く気はない、という意思表示でもあるのだろう。
し ろくんは自分の顔の使いどころをよく解っていて、ここぞという時にその効果を発揮させる。現にほら、ビジョンに視線が釘付けの周囲の一般ピーポー達は、早くも「NEWBORNの新しい宝石⁉」「人工石なら私達でも買えるかな⁉」と盛り上がり始めている。
こうやって世間に公表されたのだから、おそらく私にもそのうち、詳細を説明される日が来るに違いない。
大型ビジョンの中では、相変わらずしろくんがそれはそれはお美しい笑顔で、しろくんを前にして浮かれた様子が隠しきれていない女子アナのインタビューに答えている。
「ほんと、住む世界が違う、よね」
出会った時からずっとそうだった。解り切っていたことだった。でもそれがなんだか今はどうしようもなくさびしくてならない。
――――大丈夫?
あれは小学校に入ったばかりの頃だった。まあその頃から言うまでもなく父親はクズでしかなく、母親はそんなクズに逆らえず、私は自宅であるボロアパートに居場所がなくて、いつも暗くなるまで公園に一人でいた。
子供というのは幼いからこそ残酷なもので、自分とは違うモノに優しくない。簡単に私はいじめられっ子になって、その日もランドセルを中身ごと水たまりの中にぶちまけられて、泣きながらそれを公園で乾かしていた。そこに現れたのが、しろくんだった。
しろくんは私と同じ小学校だったわけじゃない。たまたま近くにあった、育ちのいいおぼっちゃまお嬢様が通う私立の小学校の制服を着ていた彼に声をかけられたことに、当時の私は本当に驚いたものだ。
「大丈夫?」なんて、随分久しぶりに聞いた言葉だったように思う。
言葉を失う私に、しろくんはその綺麗な手が汚れるのも気にせずに、教科書を乾かすのを手伝ってくれて、ぐちゃぐちゃに泣いていた私にハンカチまで提供してくれた。
しろくんにとっては気まぐれでしかない行動だったのだろうけれど、私は、本当に、そう、本当に、嬉しかったのだ。
――ヒーローみたい……。
思わずそう呟いてしまった私に、しろくんは大層驚いた顔をした。しろくんがあそこまで驚いた顔をすることなんて、後にも先にもあれっきりだった気がする。
いや、それにしても我ながらヒーローってなんでやねんという話だよなぁ。せめて王子様くらいにしておけばよかったと今なら思う。当時のしろくんは、ヒーローよりも王子様、あるいは天使様、みたいな見た目だったし。いやそれは今もだけど。
まあとにかく、それでもあの時の私には、しろくんはヒーローだったのだ。
ううん、違う。今だって、しろくんは、私にとってのヒーローだ。
――僕は金剛院創志郎。きみは?
――わ、たし、柳、みどり子。
――じゃあみどり子ちゃんだね。
――あ、あの、じゃあ、私も、創志郎くんって、呼んでいい?
――好きに呼べばいいよ。
――じゃ、じゃあ! しろくん、って呼んでもいい⁉
当時の私は、仲良しの友達を、あだ名で呼ぶことに憧れていた。それはもうものすごく。まあ女の子にも男の子にもつまはじきにされていた私には、そんな相手なんて皆無で、だからこそつい勢いのままにそうお願いしてしまったというわけである。
目の前のこの、とても綺麗なヒーローを、あだ名で呼べる、そんな特別が欲しくなってしまったのだ。我ながらなんて身の程知らずな真似をしたことか。
それでもしろくんが「いいよ」と言ってくれたから、あの日から金剛院創志郎くんは、私だけのしろくんになった。
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