第2章③

 そして本日も、レディ・エスメラルダの出番である。

 本日の舞台は適当に選んだ大通り。ちょうど真昼間、お昼休みの最中の街中は、休憩中のサラリーマンやOL、街中ランチに繰り出したマダム達であふれかえっている。

 ここにこ〰〰〰〰んな感じにストーンズを放てば、ほ〰〰〰〰ら簡単にカオスエナジーが集まります! 以上、レディ・エスメラルダの三分間クッキングでした!

 

「うおおおおおおおおっ! エスメラルダ様――‼ 視線こっちにお願いしまーす‼」

「うっそ本物⁉ うわ、あんな痴女がレッド様に……⁉」

「レッド様を惑わすんじゃないわよこの痴女!」

「お前ら、エスメちゃんになんてことを! エスメちゃんは繊細なょぅじょなんだぞ、もっと優しく叱ってさしあげろ!」

 

 …………うん、帰りたい。ものすごく帰りたい。何もかも放り出して帰っていいですか。カオスエナジーも順調にたまっているし、今日はもう帰っていいですか。

 レッドにほにゃららされた一件かーらーのー、レッドからの告白三昧の日々は、なぜか毎回詳細にSNSで拡散されていて、それにともなって私の悪名もうなぎのぼりだ。

 正義の味方を惑わす悪女としてしまい、先日は民放でも取り上げられ、そろそろN〇Kデビューの日も近いのでは、なんて言われている。ご近所さんのお茶の間に私のアホなセクシー衣装姿がお邪魔していることを知った時には軽く崩れ落ちた。

 マスター・ディアマンは法務部に命じて各所の映像や画像の削除に取り組んでくれているけれど、もうこうなるとイタチごっこなのである。しかも普通にヘイトが集まるだけならともかく、なんかこうあんまり関わり合いになりたくない感じに私を“推す”人種も増加中で、頭も痛いし胃も痛い。

 話がずれた。

 とにかく、よーしよし、今日の取れ高おっけー! ストーンズ、ご苦労様! さあさあ帰ろ、すぐ帰ろ……って。

 

「レディ・エスメラルダ! 今日こそ俺の想いを受け取ってくれ!」

「あんた目的間違えてると思うわよ⁉」

 

 第一声がそれなの⁉ と思わずツッコミを入れてしまった私を誰が責められるというのだろう。責められる奴がいるのならば、そいつには私の代わりにレッドの相手をしてもらいたい。喜んでゆずるからこの立場。

 無駄に高いピンヒールでは地団駄を踏むこともできなくて、代わりにバシコーン! といつものように地面を鞭で打ち据える。なぜかレッドが震えた。えっなに。

 

「……エスメラルダが俺の言葉に最初から取り合ってくれるなんて……!」

「感動してる場合でもないでしょ⁉ もうイヤこいつ‼ ちょっとジャスティスオーダーズ! あんた達のリーダーだったはずよねこいつ⁉ どうにかしなさいよ‼」

 

 こんなことで感動に打ち震えるのが正義の味方のリーダーなのだからやっぱり世も末なのである。

 私が怒鳴りつけると、ピンク達は顔を見合わせてから、再び私の方へと視線を向けた。

 

「昔っからこうと決めたことには一直線なヤツだから、あたし達の手に負えないのよね」

「そこがレッドのいいところでして」

「まあ大体それでなんとかなってきたしな」

「いやあ、他人事の恋とはおもしろおかし……いや美しい」

 

 〰〰〰〰どいつもこいつもぽいずんぽいずん‼ なんなのその無駄に解り合ってる感‼

 そこは悪の組織の女幹部に惑わされている自分達のリーダーを真っ当な道に引きずってでも戻すところではないのか。なんで私の方が「だから頑張って!」と応援されているのか。

 こいつら厄介ごと(=レッド)を私に押し付けたいだけな気がしてきたぞ。特にブラック。あんた本音が隠しきれてない。ブラックとは腹が黒いがゆえのブラックだったのか。

 もういい、仕方ない、こうなったら奥の手だ。こんな時こそ、藤さん、もといアキンド・アメティストゥにもらった栄養ドリンクで英気を養うべき時。そしてきっぱりはっきりすっぱりばっさりとレッドに引導を渡してみせる。

 いつものように胸の谷間に手を差し込んで取り出したるはノーラベルの小瓶。きゅぽんっと蓋を開けると、甘ったるい匂いが鼻孔をくすぐった。思いのほかおいしそうである。よし、ぐびっと一気に……!


「エスメラルダ! あぶない!」

「えっ? きゃあ⁉」


 そう、そうして一気に飲み干すはずが、その前にいつの間にか近くに来ていたレッドに強引に引き寄せられて、手から小瓶が吹っ飛んだ。

 ――――次の瞬間、先ほどまで私が立っていた場所に、あろうことが鉄骨が落ちてきた。

 すぐ側の工事中のビルに吊るされていたものが、不運なことにもそのワイヤーがぶちっと切れてしまったらしい。

 運の悪さにはそれなり以上に定評のある私だけれど、流石にこれにはぞっとした。直撃していたら間違いなくお陀仏だった。普通に事故死も嫌だけど、こんなアホみたいなファッションのまま世間様に「工事中の事故で悪の組織カオティックジュエラーの女幹部が……」だなんてN〇Kで放映されたりなんかしたらそれこそまさに末代までの恥である。

 遅れて恐怖が追いついてきてじわりと涙がにじんできた。身体の震えが止まらない。そんな私を、ぎゅっと抱き寄せてくる腕があった。レッドだ。あ、そうだ、レッドのおかげで私は助かったのだ。

 

「あ、ありが…………んん?」

「エスメラルダ」

「は、はい?」

 

 なぜ、レッドは濡れているのか。

 鼻孔をくすぐる甘ったるい匂いは、先ほど放り出した小瓶から香ったもの。え、待って、もしかしてもしかしなくても、レッド、あの中身を頭から被ってしまったのか。ただの栄養ドリンクであるとはいえ、悪いことをしてしまった……って、んんんん?

 待って、なぜ私を放さない? なぜ私を顎クイする?

 ……えっ、えっ? そういうキャラでしたかレッドって?

 

「あなたに笑ってほしいと。できれば俺の隣でと、そう思っていた」

「は、はあ」

「でも、違ったらしい」

「え」

 

 何が。そう問いかけるよりも先に、レッドが私の顎を片手で持ち上げたまま、もう一方の手で自らのフルマスクを、その顎先から鼻の下まで持ち上げた。そして。


「俺は、あなたに、俺のためだけに泣いてほしいんだ」

「は、え、んん――――――――⁉」


 息をつく間もなくそのまま唇を奪われる。

 あちこちから悲鳴が上がった。だがしかし、一番悲鳴を上げたいのはほかの誰でもなくこの私。この私なんだからなあんたら‼ その辺のところ間違えないでいただこうか愚民どもおおおおおおおおおおお‼

 ちょ、もう、なに、なに? なんとかレッドから離れようにも、片腕が腰に回っていて身動きが取れない。

 いい加減呼吸すらもおぼつかなくなってきて、まさかここで殉死……? と走馬灯が流れ始めた、その時だ。


 

「――――よほど、死にたいようだね」


 

 聞き覚えがありすぎる甘やかな、それでいて絶対零度の温度を宿した響きとともに、私を拘束していたレッドが吹っ飛んだ。文字通り吹っ飛んだのだ。それも、とんでもなくすさまじい勢いで。

 酸欠で足元がおぼつかなくなっていた私は、いつだって私を落ち着かせてくれる、その声音のように甘やかな香水の香りに包まれる。


「ま、マスター?」

「……………」


 そう、マスター・ディアマンだ。空間転移装置を使って現れた彼は、レッドを見事な蹴りでぶっ飛ばし、そのまま私を抱き締めるようにしてその場に立つ。ぶっ飛ばされたレッドはそのまま意識を失ったらしく、ピンク達に慌てて抱き起こされている。

 先達ての一件以来、その正体が取り沙汰されているマスター・ディアマンは、ハーフマスクで顔を隠しているとはいえ、そのスタイルや立ち振る舞いの美しさは隠しきれず、既に一部の層から熱烈な支持を得ている。悪の総帥なのに。

 そんな一部の層であると思われる女性陣が、「キャアアアアアアアッ! ディアマンさまぁぁぁぁっ!」と黄色い悲鳴を上げた。しかしマスター・ディアマンの、本来は甘い王子様のような美貌は、今は凍り付いた魔王のようなそれであり、ハーフマスク越しでもそれがありありと伝わってくる。め、めちゃくちゃ、はちゃめちゃに怒っていらっしゃる……‼

 ひいいいいい、と、その腕の中でガクブル震える私をよそに、レッドが早くも意識を取り戻したらしい。仲間達に支えられて立ち上がる彼を睥睨して、マスター・ディアマンはそれはそれは美しく残酷に微笑んだ。

 

「さて、レッド。どうやって死にたいかな。せっかくだ。選ばせてあげよう」

「マスター⁉」

 

 相手は倒しちゃいけない正義の味方ですよ⁉ という気持ちを込めて呼びかける。アッだめだ聞いてない。ぜんぜん聞いてないなこの人。

 〰〰〰〰ええい、仕方ない!


「……しろくん、帰ろ?」


 背伸びをして、そっとその耳元でささやいた。小さい時からずっと、きっと自分の名前よりもたくさん繰り返してきた、その呼び方に、ぴくりとマスター・ディアマン、ではなくて、しろくんの肩がぴくりと震える。

 そして。

 

「――ジャスティスオーダーズ。また会おう。レッド、月のない夜には気を付けることをおすすめするよ」

「ま、待て!」

「ご冗談を」

 

 かくして私とマスター・ディアマンは、追いすがろうとしたジャスオダ達を置き去りに、空間転移装置でアジトである高層ビルの地下に転移したのだった。

 やっと衆目から解放されてほっとするのも束の間、ぐいっと、先ほどのレッドよりもよっぽど強引に、ほとんど無理矢理抱き寄せられる。相手はもちろんしろくんだ。

 

「……最悪だ」

「それ、私が言うべき台詞だと思うんだけど……」

「うるさい。みどり子ちゃんが悪い」

「ええ……?」

 

 理不尽である。ぎゅうぎゅうぎゅむぎゅむと私をぬいぐるみのように抱き締めて、そのさらっさらの髪を私の首筋に押し当ててくるしろくんは、昔からちっとも変わらず甘えたくんである。

 こういうところを知っているから、私は退職届を書けども書けども、どれ一つとして実際に出すことができないのだ。

 まあでもとりあえず。

 

「労災通るかな?」

「それは僕の方だよ」

「私のファーストキスなんだけど⁉」

「僕の心の傷の方が大きい」

「ええええ……」

 

 今日も今日とてレディ・エスメラルダに、心の平穏は許されないらしい。解っていたけれど労災は当然下りません。ぽいずん。

 しろくん、じゃなくてマスター・ディアマンはそんな私に「始末書は早めにね」ととどめを刺してくれた。ぽいずんぽいずん。


 


 ***



 

 ――そしてこれは、私が始末書を提出して、帰宅したあとのお話。


「アキンド・アメティストゥ」

「ハイハイ、なんざんしょ」

「白々しいな」

「んん? なんのことざんす?」

「ドクター・ベルンシュタインの研究室から、強力な自白剤が一つ紛失したという話は知っているかな?」

「おや、そりゃまたタイヘンざんすね」

「その自白剤が厄介でね。カオスエナジーを注入して作られたせいか、本人が自覚していない、心の奥底の本音まで吐き出させてしまうもので、ドクター・ベルンシュタインも実用化するにはもう少し調整が必要なものだと言っていたのだけれど」

「ははぁ、それで?」

「……まあいいよ。でも、次はないということを覚えておいてもらおうか」

「なんのことだかさっぱりでござんすが、もちろんでござい、マスター」


 ――それは私の知らない、某悪の総帥と、某悪徳商人の会話である。

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