第2章②

「あの、ドクター、そろそろオバサン呼びはやめてくれる……?」

 

 そろそろ悲しくなってくるのである。そりゃ十二才の男の子からしてみたら二十過ぎの私はもうオバサンかもしれないけども、私はまだそこまで乙女心を捨てきれていないのだ。

 お姉さんと呼んでほしいわけでもないけれど、せめて普通に同僚としては扱ってほしい。

 まあ向こうは海外の大学すら飛び級で合格して晴れ晴れと弊社に入社した正社員で、私は社長のコネ入社の派遣社員なんですけど。アッだめ、また闇落ちしそう。悪の組織の女幹部がこれ以上闇堕ちしたらどうなるの。一周回って光堕ちするとでもいうの? そんなばかな。そんなことをしたらもれなくクビだわ。

 

「オバサンをオバサン以外になんて呼べってのさ」

 

 最後の一つのおからドーナツをほおばりながら、ツン、とすまし顔でドクターは唇を尖らせた。あら〰〰〰〰まあ〰〰〰〰なんてかわいらしくて子憎たらしいことかしら〰〰〰〰!

 オバサン以外なんてそりゃいくらでもあるだろう。頭いいんだから解るだろうに。っていうか解ってほしい頼むから。

 

「え、そりゃレディ・エスメラルダとか、なんならみどり子でも……」

 

 そう、普通に呼んでくれればそれでいいのである。何も『みどり子お姉さん』とか呼んでほしいとか言っているわけではない。

 

「なっ⁉ み、みどり子なんてそんな、婚前の男女が名前呼びなんてそんな……っ! このハレンチ! だからキミは痴女呼ばわりされるんだよ‼」

「ええ……?」

 

 なんで? 私そんな変なこと言った?

 なぜかドクターは顔を真っ赤にしてぷりぷり怒り始めた。こんな美少年にすらハレンチ、痴女と罵られるこの身の上に降り積もる、汚れちまった悲しみよ……。

 

「アハハ、ドクターは初心でござんすねぇ。じゃあアタシもエスメラルダのことをみどり子チャン♡ って呼ばせてもらいましょうかねぃ?」

「普通に嫌だからやめてください」

「ふざけんな悪徳商人」

「アキンド・アメティストゥ、それ以上は解っているね?」

 

 上から私、ドクター、マスターである。子憎たらしくも言っていることは真っ当なドクターとは違って、アキンドは言うこと成すことすべて信用ならない。

 イケメンの無駄遣いという言葉はあるが、彼の場合は、そのイケメンぶりを自覚し、武器としてこれでもかと利用し、自らにおぼれさせるのを常套手段にするというタチの悪い種類の無駄遣いなのだ。そんなやつにみどり子ちゃんなんて呼ばれたくない。もれなく社内のお姉様がたの嫉妬の対象になってしまうだろうが冗談じゃないわ。

 さいわいなことにドクターもマスター・ディアマンも、私の味方……というか普通にアキンドを調子に乗らせるのはまずいと解っているらしく、私に同意してくれた。素直に助かりますありがとう。

 しかし腹立たしいことに、アキンドにはまったく響いていない。「マ、こわぁい」なんてふざけているそのシュッとしたイケメン面に鞭を叩きつけたくなる。やっぱり武器としてちゃんと鞭を使えるように習うべきである気がしてきた。どこに行けば習えるのだろう。SMクラブ? そんな馬鹿な。

 

「……まあ、話を戻そうか。最近、カオスエナジーがなかなか集まらない件について、“上”が文句を言ってきていてね。まったく、押し付けてきたのはあちらのくせに、勝手なことを言ってくれるものだ」

 

 ほう、と物憂げに溜息を吐き出したマスター・ディアマンは、パチンと指を鳴らした。同時に動き出すのは、天井のプロジェクター。そうして暗闇に映し出されるのは、つい先日、私が駅前の百貨店を襲撃した時の様子だ。

 ドクター・ベルンシュタインがカオスエナジーの研究、アキンド・アメティストゥが悪の組織カオティックジュエラーの広報を主に担当するとするならば、私、レディ・エスメラルダの担当はカオスエナジーの収集である。

 そう、つまり、今回の作戦会議の議題である『カオスエナジー不足』は、『私の働きぶりが悪いからみんなでつるし上げちゃうぞ☆』という趣旨になるわけだ。

 あまりにもつらくて涙も出てこない。それもこれもすべてあいつがわるい。


 ――おーほほほ。このレディ・エスメラルダの前にひれ伏しなさ……。

 ――レディ・エスメラルダ! よかった、また会えて嬉しい。

 ――またあんたなのレッド⁉ せめて決め台詞くらい最後まで言わせなさいよ‼

 ――す、すまない。あなたに会えたのが嬉しくて……。

 ――あんた自分が何言ってるのかほんと解ってる⁉


 百貨店の屋上で、肌もあらわなセクシー衣装に身を包んだ痴女……もとい私が悲鳴のように叫んでいる。

 そんな私をフルマスク越しに熱く見つめつつばったばったとストーンズをぶちのめしていく正義の味方たるジャスティスオーダーズ、リーダーのレッド。「会えて嬉しいとかなんとか言いつつしっかりちゃっかりばっちりストーンズを片付けていくとこ、本当にあんたそういうとこ! そういうとこなのよ!」と私が怒鳴り散らしたその台詞、我ながら本当にごもっともだ。

 そのレッドの後方では、「レッド、ほどほどにしときなさいよ」「レッド、貴方の想いを今日こそ伝えてみせなさい!」「エスメちゃん、そろそろ年貢の納め時だぜ〰〰」「若い者はいいなぁ、恋とはなんとおもしろ……いや美しきものか……」とかなんとかピンク、ブルー、イエロー、ブラックがやんややんやとはやし立てている。

 改めてこうやって見てみると、本当にどいつもこいつも好き勝手なことを抜かしてくれているものである。

 ああ、思い出すだに忌々しいことこの上ない。この時も結局迫ってくるレッドに半泣きにさせられて、ろくにカオスエナジーを集められずに逃げ出す羽目になったのだ。

 

「レディ・エスメラルダ。釈明は?」

「つ、次こそ必ずやちゃんとカオスエナジーのノルマを達成してみせます!」

「そうだね、それは当たり前のことだ。他には?」

「え」

「みどり子ちゃん。きみはいつまで、あのレッドにいいようにされているつもり?」

「ええ?」

 

 と、言われましても。いいようにされてるって、いやそれ私だってめちゃくちゃ不本意なんですけど。しろくんだってそんなの見れば解ることじゃ……いやはいすみませんごめんなさい全部私が悪いです。とはいえどうしろと……どうしろと……⁉

 こっちだって極秘であるとはいえ政府公認組織だけど、あちらはもうれっきとした公然の政府公認組織の正義の味方であるわけで、まさか本気でストーンズの数にものを言わせてぶちのめすわけにはいかないだろう。

 だってあっちだって、いくらパワースーツに身を包んでいるとはいえ、一般人なわけであって、必要悪に対する市民の心の支えなのだ。できるできないは別として、それをポキッと折るわけにはいかない、はずである。そう、できるできないは別として。私個人だとできそうにないという点は別として。

 ええ〰〰〰〰どうしたもんかな〰〰〰〰〰〰とうんうんと唸っていると、ブフッと大きく噴き出す声が聞こえてきた。

 アキンド・アメティストゥだ。何よ、とそっちを睨むと、彼はもともと細い目をますます細めて、その唇に深い弧を刻んだ。

 

「エスメラルダ、違うでござんすよ。マスターがおっしゃってるのはそういうことじゃないですぜ」

「はい?」

 

 ならばどういうことだ。首を傾げてみせると、ピッとアキンドは人差し指を立てた。

 

「ようはエスメラルダが、レッドをサクッと振っちゃえばいいってだけでござんすよ」

「サクッと」

「そう、サクッと。デショ、マスター?」

 

 え、なに、そういうこと?

 振るって、ええと、いわゆる男女のお付き合い的な意味合いで?

 そんなことでいいのだろうか。っていうか、ずっと私、レッドに対してはそういうつもりで接してきたつもりなのだけれど、まだ足りなかったということなのか。

 アキンドの視線を追いかけてマスターの方を見遣ると、マスターの宝石みたいに綺麗な瞳とばっちん! と目が合った。なぜかマスターの白磁の肌が赤らんだように見えたけれど、薄暗い中でははっきりとは解らない。たぶん気のせいだろう。

 なんとなくそのままじっと見つめていると、沈黙ののちに、マスターは「…………まあ、そういうことかな」と頷いた。

 なるほど、そういうことらしい。ならば。

 

「解りました。私、レディ・エスメラルダは、必ずやレッドに引導を渡してみせます」

 

 ぐっと拳を握り締めて、重々しく宣言する。マスターは「期待しているよ」と微笑み、ドクターは「せいぜい頑張れば?」と肩をすくめ、アキンドは「お手並み拝見でござんすね」とくつくつ喉を鳴らした。

 なぜか誰も彼もに「たぶん無理だろうな〰〰〰〰」という諦観が見えた気がしたけれど、気が付かなかったことにした。どいつもこいつも今に見てろよ。

 そして作戦会議という名のレディ・エスメラルダつるし上げ会は幕を閉じ、私は閉店前のスーパーの特売を狙っていそいそと退勤しようとしたのだが、そこをアキンド・アメティストゥ……もとい、かずら紫野しのさんに呼び止められた。

 

「柳サン。ちょっといいですかい?」

「はあ、なんでしょうか藤さん」

「ハイこれ。差し入れ」

「……はい?」

 

 差し出されたそれを反射的に受け取って、まじまじとそれを眺める。

 コンビニや薬局でよく見かける栄養ドリンクのような見た目だ。ただしタグはなく、瓶だけである。ゆらゆらと中で液体が揺れているのが透けている。

 

「見ての通り、栄養剤でござんすよ。最近お疲れのようですから、アタシからの餞別ですぜ」

「いいんですか?」

「もちろん。次の件の時にでも飲んで、これでガツッとレッドを叩き潰してやるといいのでは?」

 

 そっと耳打ちされた台詞に、自分の顔が輝くのを感じた。

 ア、アキンド……! あなた、基本的にろくでもないことばかりする愉快犯だと思っていたけれど、たまにはいいことしてくれるんですね⁉

 栄養ドリンクなんて高級品、よっぽど徹夜が続かない限り変えない代物だから素直に嬉しい。気合い入れにちょうどよさそう。

 

「藤さん」

「ン?」

「ありがとうございます、頑張ります!」

「……んん、お礼なんていいでござんすよ。でも、もしうまくいったら、内緒で、アタシと二人でディナーなんてどうでござんすか?」

「おごりなら考えます」

「即答ですかい? タダより高いものはないってシャチョーさんに教わらなかったんですかねぃ」

 

 確かに私はお世辞にも頭がいいとは言いがたいが、しろくんに何もかもおんぶにだっこというわけではな……い、は、ず、である。自信はないけれど。

 よし、この栄養ドリンクで、必ずレッドを華麗にすっぱりはっきりざっくりばっさり振ってみせるぞ。そう改めて決意を新たにし、私はくつくつと笑う藤さんに頭を下げて意気揚々と今度こそ退勤したのだった。

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