第3章 悪の組織の女幹部に休日はない
第3章①
某月某日。本日晴天されどのちに雨天らしい。
私、レディ・エスメラルダ……ではなく本日はただの柳みどり子は、久々の休日を謳歌していた。
もとを正さなくてもどこに出してもどうしようもない雇われ派遣社員が私である。そうそう簡単に休暇を、それも有休を取れる機会なんてまずない。お国が求めるカオスエナジーはいつだってギリギリキリキリマイマイであり、ゆえにレディ・エスメラルダは馬車馬のように働くことを常日頃から求められるからだ。
だからこそ私が有休を、しかも連休を取れることなんて、本当に悲しく嘆かわしいことにまずない、ほぼ皆無と言っていいほどなのである。まったくもって本当に悲しく嘆かわしいことに。大切なことなので二回言わせていただいた。
しかし、先日のジャスティスオーダーズのリーダーであるレッドによるレディ・エスメラルダファーストキッス強奪事件、あれが幸か不幸か功を奏した。「いや、流石にあれは気の毒すぎるだろう」という感想を、“上”の方々も抱いてくださったらしい。
「流石に……まあ流石に休暇くらいあげてもいいところだね……」と、レディ・エスメラルダに同情的な意見が集まり、そこにしろくん、じゃなくて社長の口添えもさらに加わって、私はこうして晴れて休暇をもぎ取ったというわけだ。
……なぜだろう、素直に喜べない。同情するなら金をくれ。お給金を上げてくれとまでは言わないからせめて臨時ボーナスくらい寄こしてくれ。労災を申請しなかったのだからそれくらいしてくれてもいいだろうがこんちくしょうぽいずんぽいずん。
これ以上この話題を続けるといつぞやと同じくまた闇落ちしてしまいそうなので、ここまでにしておこう。とりあえず“上”の方々も、優秀な社長サマも、十連勤残業付きを一度でいいから体験してみるがいい。あとタンスの角で足の小指をぶつけてほしい。
とにもかくにも、かくして休日をゲットした私は、のんびりだらだらと自宅である築四十年というなかなか年季が入ったアパートでごろごろする予定だった、の、であるが。
「……身体に染み付いた社畜根性が憎い……!」
なぜだ。なぜ私は今日も今日とて、カオティックジュエラーの表の顔である高級宝飾店NEWBORNの本社にほど近い、いつもお弁当を食べている公園にまで来てしまっているのだろう。
いや解っている。なぜだも何もない。今日から有給連休ゲットだぜ! ということすっかり失念して、普通にいつものノリで早起きしてお弁当を作った挙句、これまた普通にいつものノリでここまで出勤してしまっただけの話だ。なんでやねん。
タイムカードを切ろうとしたところで、たまたま通りかかった本社研究部のドクター・ベルンシュタイン……もとい、御年十二才のスーパーエリート天才児たる
膝トレを始めるべきなのだろうかと現実逃避のように悩む私に、橙也くんは「アンタがいなくたってウチの会社は滞りなく回るんだから、さっさと帰れば?」と容赦なく追い打ちをかけてくれた。
けれどその台詞はただの追い打ちではなくて、私が休暇を取るにあたって「オバサンの分の仕事は、オバサンが休暇の間はボクが片付けとくからさっさと休みなよ。べ、別にオバサンのためじゃなくて、会社と社長のためなんだからな! 勘違いするなよ!」という橙也くんなりの気遣いがあってこそのものなのだと解るので、私は粛々と「そうさせていただきます……」と肩を落として会社を後にしたわけである。
それにしても気遣いはとてもありがたくて嬉しいけれど、頼むからオバサンと連呼するのをやめてほしいと思うのは私のわがままだろうか。
カオティックジュエラー、略してカオジュラの表の顔である高級宝飾店NEWBORNの一般社員の皆さんは、当たり前だが私がレディ・エスメラルダであるということを知らない。
知られていたら私は即刻退職届を出して私のことを誰も知らない県外に移住する覚悟である、というのは置いておいて、とにもかくにも、良くも悪くも、社長や橙也くん、アキンド・アメティストゥじゃなくて藤さんに何かと目をかけられているように見えるらしいただの派遣社員という扱いの私は、基本的に本社では針のむしろだ。
男も女も老いも若きも、あの三人に多かれ少なかれ心を寄せ傾倒しているので、そんな三人の側近くで結果的に動き回ることになっている私は、彼らにとっては目の上のたんこぶだろう。
実際はただの、控えめに言って雑用係、率直に言えばパシリでしかないのだけれど。ただの下っ端最弱幹部なんですけど。とはいえそんなこたぁ皆々様には関係ないわけで、まあ羨望と嫉妬とねたみひがみやっかみそねみがごちゃまぜになったトンデモクソデカ感情を私は向けられている。ぽいずんぽいずん。
今日も今日とて光栄にも橙也くんに自らお声をかけていただいた果報者の柳みどり子は、ほうほうのていで本社を後にして、こうして公園のベンチで一息吐いている、という冒頭に戻るわけである。
随分回りくどい説明になってしまった、お付き合いありがとうございます。
ここまで来て自宅に直帰するのも馬鹿馬鹿しいし、せめてお弁当を食べてから帰ろう。今日のメニューは、常備菜として先日作った春キャベツのコールスローサラダと、鶏ささみをただゆでただけのやつである。
我ながらなんかこう悲しくなるメニューだ。最近度重なるジャスオダとの戦闘で、ストーンズの消費が増えていて、そのストーンズが倒されるたびに私のお給料から天引きされていくせいだ。どう考えても経費で落ちる案件なのに、世の中とはかくもせちがらい。
まあ橙也くんにも「たるんだ腹」と先日言われたばかりだし、ダイエットだと思えばまあ……まあうん……うん……うん、深く考えるのはやめよう。
さて、とりあえずごはんごはん、と……。
「…………ん? ええ?」
ふなぁお、と、あどけない鳴き声が足元から聞こえてきた。それも一つではない。二つだ。足元にふわっとした、あたたかくも頼りないやわらかな感触が触れて、ひゃっと足を持ち上げると、ふなぁあああお‼ と不満げな二重奏がさらに聞こえてくる。
い、一体なに……? と恐る恐る見下ろすと、そこにいたのは。
「かっわ……!」
思わず息を呑んだ。
そこにいたのは、両手で作るお椀にも収まってしまいそうなくらいに小さい、せいぜい生後四週間から五週間と思われる二匹の子猫だった。
片方は三毛猫、片方は青と黄色のオッドアイの白猫だ。ふわふわのもこもこのやわやわである。どちらの方がかわいい、とかではない。どちらも奇跡のような愛らしさだ。
そんな二匹が、それぞれ一生懸命になって、私の膝をよじ登ってきているのだ。立てられた爪が鋭く痛いし、ストッキングに伝線が走っていくけれど、そんなことは気にならないくらいにただかわいい。
えっ、なに、これどんなご褒美……? と感激に打ち震えている私の膝まで見事登り詰めた二匹は、ふんふんひくひくと鼻を鳴らしながら、私のお弁当を覗き込んできた。
「ええと、もしかして、お腹すいてる?」
そういうこと? と首を傾げてやると、まるでこちらの言葉が解っているかのように、二匹はふなぁあん♡と声を揃えた。
ええええええ。え、人間の食べ物ってこんな子猫にあげていいの? 人間はよくても猫には毒でしかない食べ物なんて山とあるって前に聞いたことがある。
あ、でも。
「ゆでただけのささみなら大丈夫、だよね?」
何せ塩もかけていない。本当は、時間の余裕があったら鶏ハム的に、もう少し手を加えたかったんだけど、こうしてみると何もしなくて正解だったのではないだろうか。
ささみをほぐしてお弁当の蓋に移動させて、三毛猫と白猫の前に出すと、二匹は我先にとがっつきだした。う~ん、いい食べっぷり。
地域猫にしてはまだ小さすぎる気がするけれど、そうでないにしては人に慣れすぎている。こんなにも警戒心がなくて大丈夫なのかこの子ら。
ああでも、それにしてもかわいい、かわいすぎる、かわいいという語彙が大渋滞を起こしそう。触ってもいいかな、邪魔しちゃうかな、と迷いながらそぉっと手を伸ばす。
その時、ささみにがっついていたはずの三毛猫と白猫がぱっと顔を上げた。
二匹のまなざしが、ちらりと公園の噴水の方へと向けられる。その視線を追いかけてそちらを見遣った私は、そこでようやく、こちらのことを凝視している青年の存在に気が付いた。
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