第22話食べられたかったけど実家に帰る4


「へ、龍神様……!? そんな……」


 蘭子の指摘に正雄は目を丸くすると、戸惑うように銀嶺に視線を移す。


 改めて銀嶺を見やった。正雄とて、一応は神仕族の一人。霊力はあまり持ち合わせていないが、それでも常人よりかはそれを感じ取る力は持っている。


 正雄は銀嶺の周りに立ち上る神気を見てとって、やっとことの事態を把握したらしい。


「あ、あ、あ、も、申し訳、ございません!」


 正雄は四つん這いになって頭を地面にこすりつけた。可哀そうなほどにがくがくと身体を震えさせている。


 そして、万里子が銀嶺の前に進み出た。


「龍神様、どうか父の無礼をお許しくださいませ。龍神様に捧げた生贄が戻ってきたことで気が動転してしまっただけなのですわ」


 万里子はそう言って、両手を組んで哀れっぽく上目遣いで銀嶺を見やる。今にも泣き出しそうな顔で、大きな目に涙を溜める。そこにいるのは、まるで悲劇のヒロインのような可愛らしくも美しい女性だった。


「お前は……」


 銀嶺がそう言うと、「失礼いたしました。私は如月万里子。神仕族である如月家の娘ですわ」と万里子はうっとりとした表情でそう口にする。


 その表情の一つ一つが、完璧だった。こんな顔で見つめられたら、どんな男も彼女の虜になる。そう思わせる魅力に溢れていた。


 そしてハッと少しわざとらしく口元を両手で隠すと、照れたように顔を俯かせる。


「あ、ごめんなさい。私ったら、不躾に見つめてしまいました。だって、その、あまりにも素敵でいらっしゃるから」


 恥じらうそぶりも全てが完璧に麗しかった。


 千代は、思わず視線を下に向ける。怖くて、銀嶺の顔が見れない。


 この誰をも虜にする可愛らしい義姉を見て、なんて思うだろうか。


 今までの人達と一緒で、この世の全ての可愛らしさを煮詰めたようなこの義姉に夢中になるのではないだろうか。


 そう思うと、怖くて仕方がなくて、そして気づいた。


(私、最初に叔父だけしかいなくて安心したのは、万里子様がいなかったからかもしれない。きっと、銀嶺様に会わせたくなくて……)


 万里子に夢中になってしまう銀嶺を見たくなかったからだ。


(私って、嫌な性格しているわ。きっととられたくないと、そう思ってしまったのね。銀嶺様は誰のものでもないのに)


 思わず自嘲の笑みが浮かぶ。


 銀嶺は、千代を大切だと言ってくれた。彼はとても千代に優しくしてくれる。


 以前は、その優しささえも疑っていたが、今はもう彼の優しさを疑う心はない。

 でも、銀嶺が、千代に優しくしてくれる理由も、大切だと言ってくれる訳も、千代は知らない。だからきっと、銀嶺は誰にでも優しいのだろう。きっと、万里子にも。


 だから、会わせたくなかった。


 自分以外の誰かに優しくする銀嶺を見たくなかった。


「千代の弟を連れてこい」


 硬質な声が聞こえてきて、え、と思わず千代は顔を上げた。


(今の声、銀嶺様の? 万里子様を前にして?)


 万里子を前にした男性達の大半は、顔を蕩けさせて優しい声色で彼女に語りかける。

 だからきっと、銀嶺もそうだろう思っていたのだが、想像以上になんの感情も感じない、冷たい声。むしろちょっとイラついてさえいるように聞こえる。


 万里子も驚いたのか、目を丸くして絶句している様子だった。


「千代? どうかしたか? 連れてきてもらうのでは不満か?」


 千代が意外そうに目を丸くしたのを見た銀嶺が、気遣わしげに尋ねてくる。


 先ほどまでと違う優しい声色、心底心配しているようなそぶり。その声をかける相手が自分だということが信じられなくて千代は目を瞬かせて言葉に詰まった。すると銀嶺はますます心配になったようで不安そうに少し眉尻を下げた。


「連れてきてもらえばいいと思ったのだが……」


 立て続けに聞かれて、ハッと千代は我に帰る。


「え、えっと、いえ、その、弟さえ無事でしたら……」


 すると、万里子の後ろで頭を下げていた正雄が、銀嶺の言葉に反応して顔を上げた。


「……千代の弟? あの生意気なガキのことですか?」

「生意気なガキだと?」


 長年、千代達姉弟をあざけっていた癖が出たのだろう。正雄の悪意ある言葉に鋭く反応した銀嶺が睨み上げた。正雄の額に脂汗が浮かびすっかり怯え切った様子で口を開く。


「あ、いえ、その、柊をどうするおつもりなのかと……」

「迎えに来た。連れて行く」

「ま、待ってください! まだ、あれは生贄に捧げられる年齢に達しておらず」

「構わない。もとより生贄として迎えるつもりはないのだからな」

「な……それは……」


 正雄は絶句していた。五年後にはお金に代わるはずのものがとられてしまう。そのことに気づいたのだろう。だが、目の前にいるのは龍神で、どうやっても敵わない相手だ。


 すると今度は、正雄の隣にいた妻の蘭子が口を開いた。


「まってくださいませ、龍神様。何故、柊を連れ出そうとなさるのです?」

「千代がそう望んだからだ」

「千代が……?」


 呆然とした顔で、正雄と蘭子の視線が千代に移る。


 今までさんざん千代を虐げてきた叔父夫婦の視線を、千代は怖気づくことなくまっすぐ受け止めた。


「弟は、返してもらいます」


 千代の言葉に顔をひきつらせたのは、蘭子だ。すぐに銀嶺へと視線を戻した。


「何故、千代が望んだからと柊を引き取ろうとなさるのです。いえ、そもそも、荒御魂の神であられる龍神様が、何故生贄である千代を召し上がっていないのですか?」

「千代は私の大切な人だ。喰らうはずがあるまい」

「大切……?」

 怪訝そうに蘭子の顔が歪む。


「いいからさっさと連れてこい。さもなくば、この男を八つ裂きにする」


 銀嶺の冷たい美貌から低い声が漏れる。正雄は、ひっと思わず声をだし、蘭子も怯んだように一歩下がった。


 だが、万里子だけは前のめりになって口を開く。

 胸に手を当てて、これまた美しい顔で銀嶺だけを見ている。


「分かりましたわ。柊はお連れします。ですが、せっかくいらしていただいたのに、何もおもてなしもできないとなれば、神にお仕えする神仕族の恥でございます! どうか、我が家でお茶でも……!」

「いや、用が終われば早々に帰りたい……が……」


 突っぱねようとした銀嶺の言葉が途中でとまり、千代を見た。


「千代はどうだ? 久しぶりに家に戻りたいと言う思いがあるのか? 先ほどから少し、様子がおかしいようだが……」

「え……」


 家に戻りたい気持ちは正直、少しもない。


 だが、銀嶺の態度が不可解すぎて反応出来なかっただけだ。あの万里子を前にして、どうしてそんな平静でいられるのか、分からない。


 そんな時に、万里子が千代の目の前に来た。突然のことで、千代は思わず立ちすくむ。


「千代ちゃん、是非そうして。私、千代ちゃんのことずっと心配しておりましたのよ。だから、お久しぶりにたくさんお話がしたいですわ」


 千代の手を取って、甘えるように万里子が言う。口角も上がっているし、顔も笑顔のはずなのに、目が笑っていない。


 背中にぞっと寒気が走った。


(『千代ちゃん』だなんて、私のことをそんな風に呼んだことなどないのに……)


 千代は、万里子と話をするつもりはない。もう千代は如月家を出た身だ。今までのようにおとなしく従う理由はないのだ。


 そう思って断ろうと口を開きかけた時、万里子がそっと耳元に顔を寄せる。


「分かっているでしょう? 私のお願いを聞かなかったら、あのどんくさい子がどうなるか」


 先ほどまでの甘さを含んだ声は消えていた。いつも通りの、冷たく蔑みのこもった万里子の声。

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