第21話食べられたかったけど実家に帰る3

 翌日、千代は銀嶺とともに空を駆けて、懐かしい故郷へと帰ってきた。


 龍神の屋敷は、荒川の源流となる場所からほど近いところに構えているが、千代の故郷、如月家の屋敷がある場所は、そこからもっと下流に下ったところにある。都市部と比べれば緑が目立つが、それなり発展しており人の通りも家屋も多い。


 銀嶺と千代は、如月家の屋敷に程近い竹林に降り立ってから歩き出した。


 すれ違う人々が常人離れした容姿の銀嶺を見て目を見開き、そして生贄に捧げられたはずの千代の姿に遅れて気づいてさらに目を丸くしていた。

 中には、叔父夫婦に知らせにいったのか、どこかに急いで駆け出すものもいる。


 程なくして、如月家の門前にたどり着いた。


 門の向こうには、小さな庭園があり、その向こうにレンガ造りの屋敷の外壁が見えた。今流行りのヴィクトリアン風の洋館は、最先端で洗練されているはずなのだが、何故かどこか廃れて見える。


 今まで屋敷の手入れをしていた千代を生贄に出したことで、手が回らなくなったのだろう。至る所で蔦が壁を這い登ろうとしていた。


 一方で屋敷に至るまでにある庭の芝は辛うじて整えられていた。その庭には石を敷き詰めて作られた小道があり、左側に伸びている。門からは見えないが、その道の先に屋敷の玄関扉があるのを千代は知っている。


 如月家は神仕族の中でも下っ端の下っ端ではあるが、一応は上流階級だ。

 屋敷だけはそれなりに立派なものを構えていた。


 ここは千代にとっても特別な場所。両親が死ぬまでは、この家で家族で穏やかに暮らしてきたのだ。あの頃は、この屋敷が大好きだった。家族が待っているこの場所が。


 しかし両親が亡くなり、叔父一家に家を乗っ取られて、千代の居場所は無くなった。母の形見ともいえる、毒花の一族のことが描かれているはずの母の手記さえも、この屋敷には見当たらない。


 大好きだった我が家は、千代が一番嫌いな場所になってしまった。


「……ここです」


 門前まで銀嶺を案内してくれた千代がそう言ったところで、人影が見えた。


「お前! 何故ここに! 生贄に捧げたはずだろう!?」


 という怒声と共に現れたのは、叔父、如月正雄だった。後ろにはどこかで見たことがある顔がある。戻ってきた千代を見つけて慌てて叔父に報告しにいった村人の誰かなのだろう。


 千代は慌ただしくこちらにやってくる叔父を見つめ、他に人がいないのを見てとったあとほっと胸を撫で下ろした。そして遅れて気づく。


(あれ、どうして今、私、ほっとしたのだろう)


 そう、自分自身の心の動きに戸惑っていると……。


「おい、なんとか言ったらどうだ! 何故ここにいるか早く言え!」


 叔父の怒声が響き渡り、あまりの声量に千代は思わずきゅっと体を縮めた。


「まさかお前、龍神様のところから逃げ出したのか!? お前が逃げたとばれて報奨金をとりあげられたらどうする!」


 そう言って、眉を吊り上げて今にも千代にくってかかろうと向かってきた時だ。


「黙れ」


 地の底から響くような声がした。声の主は目の座った銀嶺だ。彼が軽く腕を振るうとそこから風が巻き起こった。


「う、うわあ……!」


 正雄は情けない悲鳴をあげながら、風に煽られて尻餅をつく。


 千代を庇うように銀嶺が前に出た。


 ここにきて、初めて正雄は千代の他に誰かいたことに気づいたらしい。愕然とした表情で銀嶺を見やった。


「お、お、お、お前は! お前は、だ、誰だ!」


 気位の高い正雄が、しりもちを付けながら銀嶺に挑むように問いただす。

 しかし、銀嶺は正雄には目もくれず、振り返って千代の肩に手を置いた。


「千代、大丈夫か」


 ハッとして顔を上げると、気遣わし気に千代を見つめる銀嶺の眼差しがあった。


 彼に名を呼ばれると、何故か心が温まるような心地がした。


 千代の方に置かれた手が背中に周り、気づけば銀嶺の胸の中へ。


「大丈夫だ、千代。私がいる」


 耳元で優しくそう囁かれる。銀嶺のぬくもりに包まれて、やっと千代は肩の力を抜くことができた。


 守られている。千代は、そう感じた。


 千代にとって、守られていた時の記憶はもうずっと遠い。幼い頃、母や父が生きていたころ、確かに千代は守られていた。両親のぬくもりの中で安心して暮らしていけた。


 だが両親が亡くなってからは、弟を守ることだけを考えていた。幼くして千代は守られる側から、守る側へと回らなければならなかった。これから先もずっとそうやって生きていくのだと、そう思っていた。


「お、お前、わしを無視するとは何様のつもりだ……!」


 と正雄がさらに激昂して叫ぶ。そんな正雄を銀嶺はつまらないものを見るような視線で見てからまた千代に向き直った。


「流石にもう滅ぼしても良いよな?」

「叔父の無礼は謝りますので、どうか落ち着いてください」


 銀嶺の提案に千代は冷静に諌めた。

 叔父の屋敷に行くと決まった後、千代は銀嶺に気軽な気持ちで滅ぼそうとしたり潰そうとしたり焦土にしないようにと念を押していた。


 銀嶺は渋々といった顔でよっぽどのことがない限りは我慢しようと請け負ってくれたのだが、もう我慢の限界らしい。流石に早すぎる。


「千代が謝る必要はない。分かった。千代の言う通り落ち着こう。せめて弟を安全な場所までつれていかないとな」


 千代としてはできればご近所の方のためにも弟を連れ出した後も穏やかにいてもらいたかったが、ひとまずは大丈夫そうでほっと胸を撫で下ろした。

 だが、そのやりとりを横で見ていた正雄はさらに目を怒らせた。


「なんだ、さっきから何を話している!」


 と二人に正雄が怒鳴った時だった。


「まって、お父様!」


 と可憐な声を響かせて、蝶の刺繍を施した着物に身を包んだ女性が割って入ってきた。


 癖のある髪はきちんと手入れされたと分かる光沢を放っていて、すこし垂れたような目に、大きな黒い瞳。庇護欲をそそるような甘い顔立ちの、女性だった。


 千代は、ズキリとした鈍い痛みを感じた。


「万里子様……」


 千代は現れた女性の名前を呟く。如月万里子。叔父の一人娘で、千代の従姉妹にあたる。


 周りからボロ雑巾のように扱われていた千代と違い、万里子はみんなに愛されてきた。その愛くるしい顔と甘ったるい声色で、誰をも夢中にさせてきた。


 如月家の、美しい花。けれども万里子は、明らかに自分より立場の弱い者には厳しかった。千代も、柊も、よく彼女に虐められた。


 千代は、思わず手が震えた。叔父夫婦の罵倒や暴力よりも、千代は何よりこの万里子が恐ろしかった。


 万里子は、千代が一番辛いと思う意地悪をしてくる。

 正雄のように直接、叩いたり怒鳴ったりもしない。


 それでも、万里子が一番恐ろしい。


「あなた、落ち着いてくださいな」


 万里子に続いて、また新たに女性が現れた。万里子によく似た美しい顔の女性だ。

 如月蘭子という、正雄の妻で万里子の母親だ。


 蘭子は正雄の隣までゆったりと歩くと諭すような顔で口を開いた。


「このただならぬ神気をご覧になって。この方こそ、龍神様に違いないわ」

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