第20話食べられたかったけど実家に帰る2
千代は、フラフラになりながらもなんとか銀嶺に握られていた自身の手を引っ込めた。今回はそれほど強くは握られていなかったのか、さらっと解放された。
すると銀嶺が名残惜しそうに千代の手を目で追うので、なんだかたまらなくなって千代は顔を逸らす。
強制的に銀嶺を視界から外さなければ、千代は倒れてしまいそうだった。
「銀嶺様、あの、昨日は大変な失態をお見せしてしまいまして申し訳ありません」
何とかそう言って意識的に呼吸を整える。何もしていないのに、息が絶え絶えになっていた。
「千代に失態など何もなかったと思うが」
不思議そうに返された。いや、あっただろうと千代は突っ込みたくなったが、どうにか抑え込む。
「恐れ多くも、私は銀嶺様に刃を向けたではありませんか。これが失態でなくなんだとおっしゃるのです?」
消え入りそうな声でそうこぼす。恥ずかしくて銀嶺の様子を見ることはできない。
「刀を己の首にあてたのは、私だ。あれは千代の失態ではなく、千代の気持ちに気づけなかった、私の失態だった」
「いやいや流石にそれは無理があります! 銀嶺様は! 私に甘すぎます!」
もう耐えられなかった。違う違うと首を横に振る。
「そうだろうか?」
「そうです!」
「……なんだか、少しだけそなたは、柔らかくなったな」
「え?」
そうだろうか。でも、そうかもしれない。少なくとも、銀嶺に対する気持ちの向け方は変わった。
「そういえば、そなたの望みを叶えると言ってまだ叶えていなかったな」
銀嶺から降った話にハッと顔を上げる。
「弟のことでございますか?」
「そうだ、弟を助けてほしいのだったな?」
「は、はい!」
背筋を伸ばして返事をする。
「すまない。千代を私の側に置けたことで満足してしまい、千代の気持ちを無視していた。そうだった。千代にも大切な者がいたのだったな」
そう言って、右手を伸ばした銀嶺が、そっと千代の頬に触れる。愛しそうに親指で優しくなでる。
(なんというか……銀嶺様の距離感がぐっと近くなった気がする……)
触れるか触れないかぐらいの繊細さで頬を撫でられ、少しだけくすぐったいが心地良い。
指先から、銀嶺の優しさが伝わってくるかのようだった。
「あの、その、弟が五年後に、私と同じように生贄に捧げられる予定なのですが、どうか、弟も食べないでいてほしいのです」
「そうなのか。それはもちろん構わないが……弟は今どこにいるのだ?」
「叔父のところにいると思いますが」
「そなたがよいのなら、今からでも弟をこちらに移すのはどうだろうか」
思ってもみなかったことを言われて、千代は目を丸くする。
(そうだわ。確かに、このまま叔父一家のもとに置くのも不安。もしこちらに連れて来ても良いと言うのなら、それ以上に嬉しいことはないわ……)
龍神との暮らしは、叔父一家で過ごした日々とは比べようもないほどに快適だ。
弟のためにもこちらに連れてきた方がいい。
「よろしいのですか?」
「もちろんだ。私は構わない」
「で、では、是非弟も……」
連れて行きたいと言おうとして、口をつぐむ。
さすがに都合がよすぎるのでは? と誰かを信用することに慣れていない千代の脳裏に一抹の不安がよぎる。
「その、弟を連れてきて……本当は、私もろとも食べる気とかではありませんよね?」
銀嶺が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
抜けきれない癖で人を疑ってしまった千代は「あっ」と慌てて声を出して縮こまった。
「す、すみません。こんなに良くしてくださる銀嶺様を疑うなんて……」
「……いや、そなたが疑うのも当然だ」
「えっ、そんなこと……」
「分かっている、分かっているぞ……」
どこかしたり顔で銀嶺が何度も頷く。
千代は何となく嫌な予感がした。
今まで、銀嶺がこんな風に『分かっている、分かっているぞ』というような顔をした時は、大体何もわかっていない。見当違いな方向に暴走して、千代が住んでいた地域一帯を焦土に変えようとするのだ。
「あの家で虐げられ、裏切られ続けてきたそなただ。誰も信じられなくなる千代の気持ち、分かるぞ」
「まさか言い当ててくるなんて!」
今までと違ってまさしく銀嶺は千代の心情を言い当て来たもので思わず驚嘆の声が気軽な感じで漏れる。
「辛い思いをしたな、千代。だが、もうそんな思いはさせぬ。そうだ、やはりあのあたり一帯は、この私の力ですべてを破壊しつくそう。そうすればより一層安心だろう?」
「ひとつも安心できそうにないのですが!」
銀嶺は今から人里を滅ぼしてくるとばかりに肩を回し始めた。
千代の心情を見事言い当ててきても、村を焦土にしようとするのは変わらないらしい。
「あ、あのあの、銀嶺様! 落ち着いてくださいませ! あの、別に破壊しつくさなくてもいいのです!」
「何故だ? あれほどの目に合っていながら」
「お、弟もまだおりますし!」
「弟……! そうであった。私としたことが……すまぬ。少し冷静さを欠いていたようだ」
どうやら思い直してくれたようだ。千代はほっと胸を撫でおろす。
叔父一家は確かに憎いが、だからと言ってその周辺一帯を滅ぼしてしまうのは後味が悪すぎる。
「そうだな。やるのは弟をこちらに連れてきてからにしよう」
妙案を思いついたとばかりに笑顔でのたまう銀嶺に、千代は肩から崩れかける。
「あ、あの、銀嶺様、その、銀嶺様のお気持ちは嬉しいのですが、そのようなことはせずとも良いのです。私はその、構いませんので。むしろちょっとやめてほしいと言いますか……」
千代が一生懸命つたないながらも銀嶺を止めようとすると、銀嶺は目を丸くしてしげしげと千代を見やる。
「千代は……優しいのだな」
「優しいわけではないと思います……」
千代は、自分を優しいなどとは思ったことはない。叔父のことは憎んでいるし、弟のために銀嶺を刺そうともした。銀嶺を止めているのは、さすがにそれは後味が悪いという自分本位な理由だ。
それなのに真剣な顔で何度も「千代は、本当に優しい娘だ」と感心する銀嶺を見て、思わずくすりと笑みが浮かぶ。
(私よりも、銀嶺様のほうがずっとお優しいわ)
そんなことを思って、穏やかに笑っていると……。
「そういえば……もう良いのか? そなたは……食べられたがっていたようだが」
と、まじめな顔で唐突に質問された。
素直に、『食べられたかったのは毒花の一族に伝わる毒で龍神の力を封じるために』と言って謝罪しようと口を開きかけたが、言葉にならずにすぐ閉じた。
昨日、蔵の中で見た書物を思い出したからだ。
銀嶺は、『毒花の一族』を探している。毒花の一族は神をも封じることができる毒を作り出せる一族。神に疎まれて、滅ぼされたとされた一族だ。
毒花の一族がどこかで生きていると知った銀嶺は、今度こそ滅ぼそうとして探している、のではないだろうか。
そんな不安が、頭によぎる。
「どうか、したのか? 顔色が悪い……」
気づかわしげな銀嶺の声にハッと我に返る。
少しだけ瞳を左右に揺らしてから、千代は口を開いた。
「その、そのことはもう、大丈夫です……」
それだけを答えるのが精いっぱいだった。
銀嶺の綺麗な瞳を見ることはできずに俯く。
「そうか……。それならいいのだが」
目の前から聞こえる銀嶺の言葉にも張りがない。おそらく千代の態度から、なにか隠し事があることには気づいているのだろう。でも、気づかないふりをしてくれている。
「……申し訳ありません」
力なくそう声を出し、千代は頭を下げた。
(銀嶺様は、本当にお優しい方。それに比べて私なんて……本当に、少しも優しくないわ)
己と弟の命の恩人を、こうもたやすく欺こうとする己が嫌で嫌でたまらなかった。
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