第19話食べられたかったけど実家に帰る1
痛い、痛い……。
ビシビシ、と鋭い音が鳴るたびに千代は悲鳴をあげた。
「私の大事な首飾りを盗んだ上に壊すなんて! 一体どんな教育を受けたらそんなことができるんだい!?」
千代を引き取った叔父の妻・蘭子はそう怒鳴り散らしながら、四つん這いで蹲る千代の背中を鞭で打つ。
今朝、蘭子は鍵付きの化粧台の引き出しに入れていたお気に入りの真珠の首飾りがなくなったと朝から大騒ぎしていた。千代も柊も使用人総出で探し回った結果、なんと千代の鞄の中にちぎれた首飾りがあるのが見つかったのだ。
これを知った蘭子は、千代を盗人と呼び激高した。
もちろん、千代は盗みなどしていない。誰かに……鞭うたれる千代を見て楽しそうに笑ってみている叔父夫婦の一人娘・万里子に仕組まれたのだ。
「違う! 姉上はやってない! やったのは万里子だよ!」
弟の柊が泣きながらそう訴えると、千代を鞭うつ蘭子の動きがぴたりと止まる。
「私の可愛い万里子がそんなことするはずがないでしょう!?」
血走ったような大きな目をぎろりと柊に向けてそう怒鳴りつけた。
「本当にひどいわ。どうして私がそんなことをするの? だいたい首飾りは、千代の鞄の中にあったのよ?」
くすくす笑いながら、万里子が高みの見物とばかりにそうのたまう。
千代は唇をかみしめた。犯人は間違いなく万里子だ。なにせ先ほど、蘭子が来る前に本人がそう言ったのだから。
わざわざ千代と柊の目の前で、盗んだ首飾りを引きちぎった。そして、千代の鞄の中に首飾りがあったと声高に叫んだのだ。
千代がどれほどやってないと言っても、誰も信用しない。何を言っても味方はいない。そうと分かって、万里子はこの茶番をただただ見たいがために嘘をついて千代達を陥れる。
万里子は、いつもそうだった。
「ねえ、お母さま、もしかしたら首飾りを盗んだのは、柊なのかもしれないわ。だって、私のせいだなんて平気で嘘をつくんだもの」
楽しそうに万里子がそういうのが聞こえてきて、千代はハッと顔をあげた。
「確かに、そうねえ……」
短鞭を自身の手に軽く打ち付けて、蘭子が柊のもとに行こうとする。
千代は慌てて蘭子の足元にしがみついた。
「私です! 私がやりました! 弟は関係ありません!」
「あ、姉上……!」
目を見開いて、柊が千代を見る。千代は弟の目をしかと見ながら首を横に振り、もう何も言うなと訴える。何を言っても、言った言葉が真実だとしても、だれも信じてくれないのだから。
「やはり、お前か! まったく! やはりあの女が産んだ子供だねえ! 汚らわしい!」
そうして蘭子の鞭がまた振り上げられた。またぶたれる。また……。
「は……!」
目を開けると、木目模様の天井が見えた。そして真新しい畳の匂い。
ここは、銀嶺から千代に与えられた寝室だ。
(あれ、私、夢を……?)
叔父達と屋敷にいた時の、嫌な記憶。
「そうだ。私……今は銀嶺様のところにいるのだったわ」
そうこぼして少しばかり安堵した千代が、身体を起こそうとしたときに気づいた。左手が何かを握っている。
「えっ!? 銀嶺、様……!?」
握っていたのは、銀嶺の美しい手。
銀嶺は、千代の布団の隣、つまりは畳の上にそのまま体を横たえて眠っていた。加えて藍色の長襦袢の胸元が少しはだけており、妙に艶かしい。
「な、なんで、銀嶺様がここに!? それに、布団もかけていらっしゃらない!」
はだけた胸元を見ないようにと、自分が使っていた掛け布団をぐいぐいと、空いている右手で押し付けるようにしてかける。
千代がバタバタしてしまったためか、銀嶺の長い睫毛が震えて薄らと瞼が開く。中から宝石のような黄緑の瞳が見えて、千代は思わず見惚れてしまった。
美しい黄緑の瞳は、呆けたように宙を見るが、千代を捉えた瞬間にさらに輝きを増した。そして優しく細められる。
「おはよう。千代」
あまりにも甘やかなその声に、千代はやっと昨日のことを思い出した。
千代が自分の気持ちを吐露した後、情けなくも子供のように銀嶺の胸の中で泣きじゃくってしまった。
そしてそのまま泣き疲れて眠ってしまったのだ。瞼が異様に重いのは、泣きすぎて腫れたためだろう。
(いやだ。本当に、私、子供みたいだわ……)
恥ずかしさに思わず顔が赤くなりつつも、「お、おはよう、ございます」と消え入るような声で、挨拶を返した。
すると、銀嶺も身体を起こす。何故か千代の手は握ったままだ。
「あ、あの、手が……その……」
「ああ、千代がなかなか離してくれなくてな……」
くすりと笑って銀嶺が言う。
千代の顔は、これ以上赤くなることはないだろうと言うぐらいに赤くなった。
まさか、自分から手を握って離さなかったのだとは思わなかった。そのせいで、神である銀嶺を畳の上に寝させてしまう大失態。
「わ、わわわ、私が、離さなかったのですか!? す、すみません! 昨日は気づいたら寝てしまっていて……!」
慌てて手を離そうとする。しかしそれは許さないとばかりに銀嶺が強く握る。そしてそのまま自分の口元に持っていった。
銀嶺の柔らかい唇が、千代の左手の甲に触れた。
あまりのことに手を引っ込めることもできず、口をわずかに開けて、千代の手の甲に接吻をする銀嶺を見る。
「そなたのこの手が、まるで私のことを必要だと言っているように離さないので、愛しくてたまらなかった」
体中の血という血が顔に集まってきたかのように熱い。もうこれ以上赤くなることはないと思っていたのに。
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