第18話食べられたいので好みを知りたい10


 なんで、なんでそんなことを、大切だなどというのだろうか。

 期待してしまうではないか。銀嶺が優しい神で、千代も、弟だって食べるつもりが本当にないのだと。しかしそんなことはあり得ない。


 地下には、獣の骨が多かったが、確かに人の骨もあった。この目の前の優しそうに見える神は、確かに人を食べる荒御魂の神なのだ。


「嘘、嘘です! ではあの部屋にあった人骨はなんなのですか!? 食べたのでしょう? 私も同じように召し上がればいいのです!」

「ちがう。私が食べたものではない。あれは……」


 と何かを言おうとするが、苦々しい顔をした銀嶺は口をつぐんだ。


 何故続きを口にしないのか。それは、千代の言っていることが正しいからではないのか。千代の中の疑う心がどんどん膨らんでいく。


「何を言おうとも私はもう信用できません」


 千代の言葉に、銀嶺が悲しそうな、傷ついたような顔をした。


「だが……千代が言ったのではないか。死にたくないのだと」

「私、そんなこと……」


 言っていない。言っていないはずだ、少なくとも、銀嶺の前では。


「……ここに来てから、千代はずっと不安そうだ。私はどうすれば良い? どうすれば千代は安心できる?」


 銀嶺が、気づかわし気にそう声をかけてくれた。


 安心など、できるはずもなかった。

 もういっそのことすべてを打ち明けて、弟ともども食べないで欲しいと懇願すればいいのだろうか。きっと優しく振舞っているように見える銀嶺なら『食べるわけがないだろう』と、そう言ってくれると期待して。


 銀嶺にそう言われれば、よかった、やっぱり食べる気などないんだと、そう単純に信じようとしたかもしれない。

 そうできたらきっと楽になれる。


 もし自分ひとりの命だけならば、そうしていた。


 だが、千代には弟がいる。自分が安易に信用して弟に危害が及ぶことを考えたら、どうしても踏み出せない。


 両親が死んでから、千代は人を信用することが怖くなった。


 叔父夫婦も、千代を引き取ろうと名乗り出てきた時は、優しかったのだ。


『私たちの娘におなりよ。同じぐらいの年の娘もいるし、きっと楽しい家族になれる』


 叔父から笑顔でそう言われて、千代はすっかり信用してその手を取った。


 そして、行きついたのが現状だ。


 千代は両親の遺産を奪われ、弟ともどもひどい扱いを受けてきた。


 弟が苦労をしたのは、自分のせい。自分が、安易に人を信用したから、こんなことになったのだ。


 だからこそ、弟を猶更守らねばならないと思っていた。こんなことに巻き込んだのは自分のせいだからと、そう負い目を感じて。


 千代は唇をかみしめてから、帯に差していた刀をとりだした。

 毒を塗った懐刀。

 その鞘を抜いて、銀嶺に突き付けた。


「この刀をご自身の首に刺してください。そうしていただければ、私は安心できます」


 強張った顔から震える声が漏れる。

 いったい自分は何を言っているのか、自分でもわからない。


(でもいいわ。こんなこと言われたら、さすがの銀嶺様も怒って私を食べてくれるかもしれないもの)


 そう思って、いつ食べられても構わないと言う気持ちで目を閉じると。


「そうか、分かった」


 という穏やかな声が聞こえてきた。

 はっとして目を開くと、銀嶺のしなやかな手が、千代が握る懐刀を優しく奪う。

 そして易々と自身の首の横に刀を添えた。


 今にも、鋭い刃が、銀嶺の白い首すじに傷をつけようとした時……。


「ま、待ってください!」


 体当たりするように、千代は刀を持った銀嶺の腕をとった。そして手から刀を振るい落とす。地面に刀が落ちる乾いた音が響いた。


「どうしたのだ。一体……」


 戸惑う銀嶺の声を聞きながら、千代はキッと睨みあげた。


「どうしてそんなことをなさろうとするのですか!」

「千代が、そうすれば安心できると言ったのだろう?」


 何でもないように言われて、千代は面食らった。


「それは……! そう、ですけど……」


 我ながら、自分の馬鹿さ加減は分かっている。


「ああ、そうか。私が死した後のことが心配なのだな? 確かに、そなたを残すというのに、後のことを考えていなかった。すまない。そうだな、この地から離れた方が良いだろうが……後のことは琥珀が上手くやってくれよう手配しておこう」


 平然と自分が死んだ後のことを伝えてくる銀嶺に、千代の心中にふつふつと怒りに近い感情が沸いてきた。それは銀嶺に対するものではなく、自分自身への憤り。


「違う、違います! 私が心配しているのは、そんな……ことではなく……! どうして、私の言うとおりに自身を傷つけようとなさったのかということです!」


 自分が悪いと思っているのに、何故か相手を責めたくなる。まるで子供の癇癪のようだった。いい年をして癇癪を起す自分が恥ずかしいとも思うのに、しかし昂る感情が止められそうもなかった。なんて面倒な人間なのだろうか。自分が自分で嫌になる。


 銀嶺の胸板を握った両の拳で叩き、彼の顔が見られなくて俯く。気づけば視界が滲んでいる。涙がこぼれていた。


(また泣いてしまった。どうして、銀嶺様の前だと泣けてしまうのだろう……)


 これでは、本当に銀嶺の言う通り泣き虫だ。


「千代のためなら死んでもいい」


 混乱する千代の頭上から、穏やかな銀嶺の声が響く。


 顔をあげると、優しく、穏やかに微笑む銀嶺の姿がそこにあった。日差しのせいか、それともまた別の何かなのか、あまりにも眩しく見えて思わず目を細める。


「千代が、私が死ぬことで安心できるのだとしたら、それで構わない」


 追い討ちをかけるかのような銀嶺の言葉に、もう千代は敵わないと思った。

 全身の力が抜けていく。そんな千代を心配してなのか、銀嶺が千代の背中に腕を回して支えてくれた。


 千代は、銀嶺の胸にもたれかかるようにしてぽろぽろと涙をこぼす。


 銀嶺の藍色の着物に、涙に濡れた染みが広がっていく。優しく落ち着かせるように、銀嶺が千代の背中をさすってくれていて、その優しい手つきが余計に千代の涙を呼ぶ。


 もう無理だと思った。彼を害することなどもう千代にはできない。


「……銀嶺様、どうか、弟を……弟を助けていただけないでしょうか」


 嗚咽を堪え、掠れた声で千代はそれを口にする。


 首を切れといったその口でなんと虫のいいことを言っているのだろうと、自分でも分かっている。あまりの身勝手さに、罪悪感が込み上げる。


「そうか。そうだったな。弟がいたな。もちろん、そなたが望むのならばその全てを叶えよう」


 干からびた大地に降る恵の雨のように、銀嶺の言葉は千代の心に染み渡っていく。


 今まで、もう誰も信用しないと頑なになっていた心が和らいでいく。

 最初から、こうしていれば良かった。


 いや、初めにそうしていたとしても、きっと銀嶺の言葉を素直に受け止めることはできなかっただろう。ほんの少しの間、銀嶺とともにいる時間があったからこそ、彼の言葉を信じてみたいと思える。


 再び、千代は嗚咽をあげて泣きじゃくった。


 こんなに、子供のように泣くのはいつぶりだろうか。


 両親が亡くなり、叔父に裏切られたのは、千代がまだ八歳の時。まだまだ幼かった。親に、大人に甘えたい盛りだった。しかし、弟を守って生きていくためには急いで自分が大人にならざるを得なかった。


 それ以降、友人の白蛇の前で少し涙を見せることはあっても、こんなふうに子供のように泣いたことはない。


 今まで我慢してきた涙が一気に溢れ出してしまったかのように、千代は泣くのを止められなかった。

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