第17話食べられたいので好みを知りたい9

 毒花の一族は、今では潰えた一族だと思われている。神が人を庇護する時代に、神の力を封じる呪術を用いる毒花の一族は危険視され、迫害されたからだ。


 故に毒花の一族がもつその呪術も滅んだと思われているが、身を隠し、力を隠し、いまだ細々と生きている。千代の母のように。


 そして、千代も、母からひっそりと毒花の一族の術を受け継いでいた。


(何故、銀嶺様が、毒花の一族を? 生き残りがいると知って、始末しようと……?)


 ぞっとした。もし千代が毒花の一族の生き残りだと知られたら、殺されるかもしれない。そして当然、一族の女だと知っているので、どうあがいても千代を龍神は食べてはくれないだろう。龍神の力を封じることすらできないのだ。


 そう思うと、途端に身動きが取れなくなって思わず立ち尽くすと……。


 ――ガタンガタン。


 重たく硬い何かが動いたような音がした。


 ハッとして千代がキョロキョロと部屋の中を見渡すが、誰もいない。

 しかし、まだガタンガタンという音は続いている。


 しばらく音に耳を澄ませ、その音が下から聞こえることに気づいた。

 だが、この部屋は一階で、床は畳だ。


(地下に、部屋があるのかしら)


 そう思って、音の聞こえる畳に、耳を押し当てる。やはり下から聞こえる。


 千代は思い切って、畳を持ち上げた。

 するとそこには、隠し扉があった。そしてその扉の向こうから音がする。


「これは……」


 小さな扉をまじまじと見てから、千代はあたりを見渡した。

 銀嶺は、一度外に出るとなかなか帰ってこない。まだ時間の猶予はあるはずだ。

 千代は、隠し扉に手をかけて引っ張るようにして持ち上げた。


 ぶわりと、ほこりとカビの臭いが広がる。


「けほ、けほ……本当に、地下室が……」


 木造りの段差の急な階段が辛うじて見えるが、その奥までは見えない。

 しばらく迷ったが、千代は燭台を手に取って、地下への階段をくだったのだった。



 屋敷には、結界が張られている。龍神が許可したもの、例えば先ほど屋敷の敷地内に入ってきた花京院家の運び屋といった関係者以外は屋敷に出入りできない。


 鼠一匹だって通さないほどの強い結界なのだ。それなのに、地下に響く正体不明の音。


 千代は、恐怖を堪えて地下への階段を下ると、土間にたどり着いた。


 とても広く、手に持った燭台の明かりだけでは壁が見えないほどだった。

 そして排泄物のような名状しがたい臭いがする。思わず鼻に手を置いて顔をしかめた。


 この部屋に何があるのか確認するため、一歩一歩慎重に足を進めると、何か固いものを踏んだ感触がした。


 足元を見てみると……。


「ひっ! ほ、骨……!?」


 千代はあわてて足をどけた。


 獣の、おそらく猪かなにかの頭蓋骨が、床に落ちていたのだ。よくよく見れば、床には、猪だけでなく他の獣などの骨も落ちている。あまり考えたくもないが、人骨らしきものさえあった。


 心臓をバクバクさせながら、見たくないと思うのにどうも視線が外せずに床をみていると、大きな黒い鱗が落ちていることに気づいた。


 おそらく、これは銀嶺の本来の姿である黒龍の鱗。


「もしかして、ここ、銀嶺様が食事をしている場所……?」


 黒い鱗は食事などの最中に取れてしまったものだろうか。


 千代は愕然とした。

 ここに来てから、異様に優しい銀嶺しか見てなかった。だからこそ、この、獣の巣のような、獣じみた彼の痕跡に衝撃が隠せない。


 今自分が刃向かおうとしている存在の恐ろしさを改めて思い知ったような気持ちだった。


 ――ガタンゴトン


 再び大きな音がして、千代は肩を跳ねさせる。


 思わず音がした方に目を向けると、そこには壺があった。

 人が一抱えして持てる程度の大きさの壺。壺の上にはしっかりと蓋がされ、札が数枚厳重に張られている。


 その壺が、ひとりでに揺れて床に打ち付けてはガタンゴトンと音を鳴らしていた。

 上にいた時に聞こえてきた音は、この音だ。


(何? どういうこと? この壺の中に、何か、いるの……?)


 恐る恐るという足取りで、その壺のほうまで歩み寄ろうとした時だった。


「千代、何故ここにいる!」


 焦ったような声がして、バッと後ろを振り返ると、そこに銀嶺がいた。


 ここまで走ってきたのか、息を荒げ、額に汗を浮かべて険しい顔で千代を見ていた。

 あまりの迫力に、千代が何も答えられないでいると、銀嶺は千代のほうまで行ってその手を引いて抱き込んだ。


「大丈夫か!? 何もなかったか!?」


 心配するような声色に、衝撃で固まっていた千代は次第に困惑してきた。


(何もないって……なんのこと? 何をそんなに銀嶺様は焦っているの? この部屋にはいったい何が……)


 困惑する千代の無事を確かめるかのように銀嶺は強く千代を抱きしめる。そしてしばらくして落ち着いたのか、身体を離した。


「ここに、千代を長居させたくない。行くぞ」

「え? あ……」


 少し強引に手を引っ張られ、千代はただただついていくしかなかった。まだ、衝撃が抜け切れていない。


 地下を上がり蔵からでると、先ほどまで薄暗い部屋にいたため日の光が異様にまぶしく感じた。


「千代、何故あんな場所に一人で入っていったのだ」

「あ、その、申し訳ありません」


 強い口調で攻められた千代は、怯えたように謝罪を口にする。

 それを見た銀嶺は、ハッと息を飲んでから、千代を再び抱きこんだ。蔵の地下の時とは違う、優しく包み込むような抱擁。


「すまない。千代を責めているわけではない。この屋敷の中は自由にして暮らして構わないのだ。だが……あの場所はあそこだけは入らないでくれ」


 切羽詰まったような響きの懇願に、千代はますます困惑する。


「何故、ですか……?」


 顔をあげ、銀嶺の顔を見ながらかすれた声でそう問うと、銀嶺は悲しそうに視線を逸らした。


「理由は、言いたくない……」


 それだけをどうにか返答するのが精いっぱいという風だった。


 千代は思わず眉根を寄せる。先ほどからずっと何がなんだか分からなかった。

 銀嶺が何故、毒花の一族を探しているのか、あの地下に散らばった骨はなんなのか、そして、あの動く壺はなんだ。


 そして、何より、どうして生贄であるはずの千代をこれほど心配して、優しく扱うのか。

 まるで宝物のように優しく触れて、誰よりも愛しいと言いたげな顔でほほ笑むから、千代は覚悟ができないのだ。


 訳の分からないこの状況は、千代からわずかに残っていたはずの冷静さを奪っていった。


「どうして、銀嶺様は、私を食べてくださらないのですか!?」

「それは……」

「もう言い訳は聞きたくありません。私は食べられるために、ここに来たのです! それなのに! どうしてそんなにお優しいそぶりをするのです!?」


 もっとわかりやすく残忍な神であったなら、どれほど良かったか。それならば、これほどためらわずに刀を向けることができただろう。

 いいやそもそも、残忍で冷酷な噂通りの神であってくれたなら、出会い頭に情の一つも見せずに食べてくれたなら、千代が刀を取る必要だってなかったのだ。


 千代は今まで善良に生きてきた。誰かに打たれて傷つけられることはあっても、誰かを傷つけたことはない。

 そんな小さな誇りだけを大切に抱えて生きていたというのに、今やその誇りもどこかに散っていこうとしている。


 龍神にとってはあまりにも理不尽な怒りだろうとはわかっているのに、千代はもう感情が止まらなかった。


「千代を食べることなどできない。私は……そなたを大切に思っているのだ」


 困ったように、悲しそうに紡がれた銀嶺の言葉に、千代は息が詰まった。

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