第16話食べられたいので好みを知りたい8
「お頭。搬入が滞りなく終わりました」
忠勝の後ろから声がかかる。おそらく部下なのだろう。忠勝は振り返ると、ああと一言返してから千代に向き直った。
「すまない。私は行かせてもらう。このまま連れ出してあげたいが……」
「いいえ、お気になさらず。私は龍神様の生贄ですので」
ここを離れるわけにはいかない。
千代が本心からそう言うが、忠勝は痛ましそうに眉根を寄せた。そしてしばらくの沈黙の後、意を決したように忠勝は千代の耳に顔を寄せる。
「もしも、本当に逃げ出したくなったときは、これを使ってくれ」
こっそり耳打ちした忠勝は、千代の手に何か丸い物を握らせた。
「え、あの、これは……」
手に持たされたものを見ると、親指の先ほどの大きさの赤い宝玉だった。
「これは、駿転の術が施された霊具だ。よく知る土地ならば、行きたいと願うことで一瞬にして移動できる」
「え……!? そんなものいただけません!」
霊具というのは、霊力を込めることで簡単に霊術を扱うことができる道具だ。霊具自体がかなり高価なものである上に、込められた術が好きなところに飛んでいける『駿転の術』となれば国宝級である。
「いい。受け取ってくれ。せめてもの罪滅ぼしだと思ってほしい。本当に危ないときは、これを使って逃げてくれ」
有無を言わせない口調で忠勝は言う。戸惑う千代に微笑みを浮かべた忠勝は、背中を向けて他の仲間のもとへといってしまった。
花京院家お抱えの運び屋たちは、正門の外でうやうやしく礼をすると、そのまま静かに去っていく。
千代は、手の中にある霊具を握りしめた。
(逃げる……? 銀嶺様を置いて?)
正直、逃げたいなどと考えたことがなかった。
それは、龍神の力を封じると言う使命感によるものなのか。それとも、ただただ銀嶺とともにいるのが心地よいだけなのか……。
千代は複雑な気持ちのまま、帯の中に霊具を納めようとしたとき、そこにすでに懐刀を差していることに気づいた。
(そうだわ。何をいまさら迷うの。……私は銀嶺様を刺して、力を封じると決めたはずよ)
迷いを振り切るように顔を横にふり、きっと顔を上げる。
余計なことを考えたくなくて、千代はまた歩き始めた。蔵に行こう。そこに銀嶺がいるかもしれない。
そして、この懐刀で刺すのだ。……千代が、銀嶺に情を移してしまう、その前に。
千代は、離れにある蔵の前についた。そして扉を見て目を見張る。
(鍵がかかっていない。ということは、やはり中にいらっしゃるということ?)
いつもなら鍵がかかっている。
千代は何度か「銀嶺様?」と呼びかけてみた。だが返答はない。
少し迷ったが、中に入ることにした。
中は、窓がなく薄暗い。扉の側に立てかけてあった燭台を手にとる。少し埃っぽく、湿った臭いがした。
板張りの床は歩くたびに小さくきしむ。
ざっと見た所、人から捧げられる貢物を治める蔵のようだ。先ほど花京院家が管理する運び屋が持ってきた箱と同じような木の箱が積み重なっている。
「銀嶺様? いらっしゃいますか?」
そう声を掛けながら進むが、返答はない。
とうとう蔵の突き当りにまで辿り着いてしまった。
(でも、ここ、また戸がある……この先も部屋があるのかしら)
壁に行き当たったと思ったが、木造りの引き戸があった。こちらも鍵はかかっていない。
ここまで来たのだからと、千代が戸を引き開けると中は小さな四畳ほどの間があった。
畳張りで、長方形の文机と、座布団があるだけの殺風景な部屋。銀嶺はいない。
彼がいないのを認めると、千代はほっと肩を撫で下ろした。
銀嶺も今はどこか出かけているのかもしれない。
そう結論づけて、そして安堵している自分に気づいた千代は思わず眉根を寄せる。
(いやだわ。ほっとなんてしてはいけないのに……)
懐に毒を塗り込んだ懐刀を隠し持った千代は、銀嶺を刺そうと思って彼を探していたのだ。彼が出かけているとなれば、目的を達成できない。
「銀嶺様が、出会ってすぐに私を食べてくだされば、それだけで済んだのに……」
自分の手を汚さねばならないことに小さく嘆く。そしてそんなことを嘆いてしまった自分に気づいて、思わず自嘲めいた笑みがこぼれる。
「私って、よく考えたら、相当な卑怯者ね」
千代はずっと、自分の手を汚さずに、神を葬ろうとしていたのだ。自分が食べられることで毒を飲ませる。命を懸けてのことではあるが、あまりにも方法が受け身だ。
人であろうと神であろうと誰かを陥れようとしているのに変わりはないのに、その覚悟を持っていないのだ。
でもそれではだめだった。銀嶺は何故か千代を食べようとしない。ならば、自分の意志で、自分の力で、銀嶺に毒を注がねばならない。
己の覚悟の足りなさにあきれていると、文机に置かれた四冊の本が目に留まった。
殺風景な部屋に、文机に積まれた四冊の本が異様に目立って見える。
(銀嶺様がこちらによく来るのは、この本を読むため?)
なんとなしに興味をひかれた千代は文机の前に座ると、燭台を置く。そして積まれた本のうちの一冊を手に取った。
表題は、『古来より伝わる呪術』。
「呪術の本を何故、銀嶺様か?」
呪術というのは、人間が使うものだ。神である銀嶺には必要はない。
(そういえば、ウナギのタレを付けた時にも、人が扱う術について詳しかった気がするわ)
タレを腕に塗った千代を見た銀嶺は、叔父一家が術でたれをかけたとか、脅迫したかもしれないなどと言っていたことを思い出しながら、その本の中をめくる。
すると赤で丸が付けられている箇所があった。
その頁だけ、何度も開かれたかのように押し跡がついている。その頁に書き込まれた赤い丸の中には、『毒花の一族』という言葉があった。
千代は、思わずぞっとして手に取っていた本を落とした。ばさりと、静かな部屋に嫌に大きく音が響く。
毒花の一族。それは、千代の母親の一族だ。
千代が常にお守りのように身に着けている神の力を封じる毒というのは、この『毒花の一族』特有の呪術。
毒花の一族の女性だけが作れる毒だった。
(何故、銀嶺様は、毒花の一族の文字に赤い丸を?)
全身の血の気が引きつつ、千代はそこに積まれた別の本を手に取った。
そこにも、『毒花の一族』のことが描かれているところだけに赤い線が引いてある。
そして三冊目、四冊目と手に取って、そのどれもが、『毒花の一族』についての記述があるところに赤い線や何かしらの文字が描かれていた。
描かれている文字の中には『この地にはいなかった』という言葉も。
(もしかして、銀嶺様は、毒花の一族を探しているということ?)
ぶるりと体が震えた。
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