第9話食べられたいので好みを知りたい1
朝餉の時間。
頭から丸ごと齧られた鮎の塩焼きを、千代は羨ましい思いで見つめた。
今日の朝餉は鮎の塩焼きだったのだが、銀嶺は鮎を器用に箸で半分に割ると頭も骨も丸ごと口に入れて食べたのだ。
すごく豪快な食べ方なのに、当の銀嶺が涼しげな顔をしているせいなのかとても上品な食べ方に見えるから不思議だ。
千代は自分が食べるのも忘れて皿の上に残された鮎の身を見ていると、銀嶺が不思議そうに首を傾げた。
「どうしたのだ、千代。何か気になることでもあるのか」
「え!?」
魚に見入っていた千代は、銀嶺に話しかけられて慌てて顔を上げる。
「ずっとこの私の皿にのった鮎を見ていたようだが……」
羨ましい思いで見ていたのに気づいて銀嶺が不思議そうに首を傾げると、銀嶺は何かに気づいたように眉根を上げた。
「ああ、そうか。鮎がもっと食べたいのだな? いいぞ。私のをやろう。琥珀、私の鮎を千代に……」
「ち、ちがいます!」
千代が鮎を見ていたのが、鮎がもっと食べたい故だと判じた銀嶺が、鮎を千代の皿に移そうとしたので慌てて止めた。
第一に、千代の皿にはまだ鮎はあるし、人のものを欲しがるほどに飢えていない。
「では、どうしたのだ? 先ほどからこの魚を、なんというか、並々ならぬ目で見ていたように思うが……」
「それは……」
その先の言葉に詰まった。
銀嶺に食べられる鮎を羨ましく思って見つめていたが、魚類相手に嫉妬しているなど、そんな惨めなことをさすがの千代も口にはできそうになかった。
しかし気持ちは止まらない。
千代はいまだにまだ銀嶺に食べられていないと言うのに、この目の前の鮎ときたら早朝に釣り上げられてすぐに食べられている。
鮎にとってはいい迷惑なのだろうが、ただただ羨ましい。千代と鮎、どうしてこれほどまでに差があるのか……。
「銀嶺様は、鮎がお好きなのですか?」
どうにか嫉妬心を隠して、ボソボソとそんな質問を投げかける。『私よりも?』などという言葉はどうにか堪えた。
「ああ、そうだな。好きな部類には入ると思う」
「鮎のどう言うところがお好きなのですか?」
なんだか浮気を静かに責める妻のような冷淡な口調になってしまった。銀嶺も少し戸惑っているように見えるが、今は気にしている余裕はない。
「どうと言われると……味、だろうか」
「味……。この鮎は塩で焼かれてますが、塩味が好きと言うことですか?」
「塩が好きと言うわけではないような気もする。塩によって鮎の旨味が増しているとは感じるが……」
と言うことは、鮎が持つ旨味を銀嶺は評価しているのか。千代はそう思って軽く唇を噛む。
味つけの問題は、やはり関係ないのだろうか。
以前、うなぎのタレさえつければどうにかなると踏んでうなぎのタレまみれになってみたが、思うような展開にはならなかった。
しかも性懲りもなく『もしかしたら銀嶺様は甘党なのでは!?』と思ってはちみつを塗りこんでみたが、それも結局失敗に終わっている。
蜂蜜を塗りつけた千代を見た銀嶺が、また叔父一家の陰謀なのではと疑い家周辺を焼け野原にする勢いだったので慌ててとめたという苦い記憶が蘇った。
『美容のために塗っただけです!』と苦しい言い訳しか思いつかなかったが、銀嶺はあっさり信じ、『すでに美しいのにこれ以上美しくなろうとするとは、さすが千代』などと言って千代を褒めるばかりで、一向に食べようとしてくれなかった。
正直、参っていた。
どうすればいいのか分からない。
千代は人で、魚類になろうと思ってなれるわけでもない。
だが、どうにかして銀嶺に自分を食べてもらわないと困る。
それに、銀嶺は人間の味を嫌っているわけではないような気がする。
銀嶺は、確かに千代を食べはしないが、頻繁に外に出ては血肉を漁っているらしい。
千代がここにきてからというもの、銀嶺は毎日のように外出している。
「あの……銀嶺様は他に、どのようなものが好きなのですか?」
千代はすがる思いで尋ねた。鮎にはなれないが、もしかしたら他のものなら努力で補えるかもしれない。そう希望を抱いて。
「ん? 私の好きなもの、か?」
千代の唐突な質問に、銀嶺が目を丸くする。千代は深くうなずいた。
「はい、銀嶺様がどのようなものを好きなのか、伺いたくて」
「それは……」
と言って一度言葉を止めた銀嶺が、すぐにはにかむように笑った。
「私に興味を持ってくれたということだろうか……?」
感慨深げに銀嶺はそう言う。
何故かは分からないが、すごく嬉しそうに見えて今度は千代が目を見張る。
「ならば、今日はこれから私と少し出かけないか」
「出かける……?」
「ああ、そうだ。少し離れているが、人通りが多く華やかな街があるのだ。そこに行くのはどうだろう。店が多く開いており、珍しい物もある」
「そこに、銀嶺様の好きなものがあるということですか?」
千代の問いに少し虚をつかれたような表情を浮かべた銀嶺だったが、すぐに柔和に微笑んだ。
「そうだな。あると良いとは思う」
少し、含みのある言い方だったのが気になるが、銀嶺の好みを知れるのは千代にとてもありがたい。
「はい、もちろんです! 一緒にいかせてください」
千代はにこりと笑って返事を返した。
琥珀によって千代はこれでもかというぐらいに飾り立てられた。
なんと着せられた着物は、紅紫色の矢絣柄の御召着物だ。お召着物特有の絹の高貴な光沢がある。
着心地も軽い。
お召着物は高級品で、昔なら一国の姫ぐらいしか着ることはできない特別な仕立てだ。
千代にとっては話に伝え聞くだけの遠い存在のお着物で、まさか自分が着ることになるとはつゆにも思っていなかった。
あれよあれよという間に飾り立てられた千代は門のところに向かう。
そこにはすでに銀嶺がいた。門柱に軽く背中を預けた銀嶺が、腕を組んで少し俯きがちにしてどこともなく見ている。
特別、格好をつけている訳でもないのに、思わず魅入ってしまうほどの色気があって、目が離せなかった。
(あんなお綺麗な顔をしているのに、人の血肉を食べる荒御魂の神様なのね……)
どんな顔で人を食べるのだろう。肌に牙を立てて、ぷつりと皮を破いてそこから溢れる血を舐めとったりするのだろうか。
銀嶺が人を食べるところを想像しようとしたら、何故か気恥ずかしさを感じて顔が熱ってきた。なんというか、とても艶めかしい感じがする。
千代は顔の熱を散らすように首を横にふるふると振った。
そうこうしていると、こちらに歩いてくる千代に銀嶺が気づいたらしい。
銀嶺は千代を見つけて笑みを浮かべた。先ほどまでの何処か彫像めいた完璧な美しさではなく、少年めいた生き生きとした表情に変わる。
「千代、綺麗だな。その着物、似合っている」
「ありがとうございます。琥珀さんが、とても素晴らしいお着物を丁寧に着付けて頂きました」
銀嶺も銀嶺で、藍色の大島袖の装いがよく似合っていた。とは言え、目の前のこの麗人にかかれば、どんなものも美しく着こなしてしまうのだが。
「では行こう。だがその前に渡したいものがある。千代、これを。肌身離さず身に着けておいて欲しい」
そう言って、銀嶺は紫色をした手のひらにすっぽりと収まる大きさの小袋を差し出してきた。
恐る恐ると言った手つきで千代は小袋を手に取る。
絹で作られているのか、袋はスルスルとした柔らかい感触だった。
中に何か平べったく固いものが入っているのが分かる。
そしてふわりと良い匂いがした。
匂い袋だろうか。しかし銀嶺がわざわざ餌である千代に匂い袋を渡す意図が見えない。
何のためにと考えてすぐにハッと閃いた。
(もしかして、これは香りづけ……? 銀嶺様は、香りの強いお食事を好む、ということ?)
香草焼きなど、魚などに香りをつけて生臭さを消す料理はいくつもある。銀嶺は生臭さが苦手なのだろうか。
だからこうやって匂い袋を千代に持たせて日ごろから香りづけをしようとしているのかもしれない。
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