第10話食べられたいので好みを知りたい2


 天啓のようにひらめいた発想に千代は夢中になった。


 匂い袋を鼻の近づけて、クンクンと匂いを嗅ぐ。

 甘い匂いはおそらく桂皮。

 ショウガのようなすっきりとした匂いは、香原料の山奈だろうか。

 高級品ではあるので千代はどちらも馴染みはないが、魚などの匂い消しなど料理に使われることもある香りのはずだ。


 銀嶺の好みの味を知るためのお出かけだったが、出かける前に答え合わせができてしまった。


(銀嶺様もやる気だわ。早く私が好みの味になるようにと早速教えてくださるなんて。せっかく銀嶺様が自ら香りを調合してくださったのだもの、しっかり自分に染みつけておかないと。でも匂い袋としては香りが少し弱い気がする……。自分で似たような香料を調達して刷り込まないと……)


 などと思って匂いに集中していると、「ち、千代……?」と遠慮がちに銀嶺が声をかけてきた。


 何故か理由は分からないが、顔を赤らめた銀嶺が気恥ずかしそうに千代を見ている。


「その、何故、それに口づけを……? その中には、その……」


 などと銀嶺がもごもごと何か言いづらそうに言っている。


 どうやら匂い袋の香りを嗅ぐために鼻に近づけた行為が、匂い袋に口づけしているように見えているらしい。

 口づけしているように見えたからと言ってどうしてこんなに気恥ずかしそうにしているのかは不明だが。


 千代は不思議に思いながらも口を開いた。


「すみません、とてもいい香りのする匂い袋でしたので、思わず鼻に近づけてしまったのです」

「ああ、匂いを嗅いでいただけか。すまない、少し驚いてしまった」


 自分の勘違いだったと気づいた銀嶺が、慌てて赤い顔を逸らした。そして咳払いしてまた口を開く。


「だが、その、それは、香を焚きしめて匂いをつけたが、匂い袋ではない。お守りだ。中には、少しだけ、なんというか、障りがある。もしかしたら生臭いかもしれないと思って香を焚きしめた袋に包んだが、できればあまり嗅がないでもらえると助かる」


 照れくさそうに答える銀嶺に、千代は目を丸くした。


「お守り、ですか?」

「そうだ。私の……霊力を込めた。私が側にいる間は問題ないが、もし、離れてしまっている間に何かあれば、これが千代を守る」

「では、その、香りづけではなく……?」

「香りづけ? 何の話だ?」


 心底不思議そうに首を傾げる銀嶺だ。


「香りの強い食べ物が、お好きなのかと思って」

「別に嫌いではないが、話が見えない」

「え」

「え」


 戸惑う千代に、戸惑い返す銀嶺だった。


(どうしましょう。また何か勘違いをしてしまったかもしれない。香り付けさえうまくいけば、食べてもらえると思ったのに。でも、なら、どうしてわざわざ私に、お守りなどを渡すのかしら……)


 千代はただの餌のはずだ。それなのにお守りを渡す意味は?

 銀嶺の本心を探るように思考を巡らせる。


(もしかして、銀嶺様は……)


 と、何とも言えない甘い妄想に取りつかれそうになり、千代は慌てて首を振る。

 馬鹿な考えにすがりそうになった自分をいさめた。


 お守りをあげたのは、いつか食べる予定の餌が、傷つくのを避けるためだ。それしかない。


「あの、ありがとうございます」


 千代は、とりあえずもらったお守りを懐に入れた。


 それを満足そうに見た銀嶺は、口角をあげて笑みを作る。


「とりあえず、行こうか。早く千代とともに出かけてみたい」


 柔らかく微笑んだ銀嶺がそう言った瞬間、千代はグイッと身体を引き寄せられた。


「えっ……! きゃ……!」


 引き寄せられたと思ったら、何とも言えない浮遊感があった。気づけば、千代の背中と膝の下に銀嶺の腕があり、持ち上げられていた。

 いわゆる、お姫様抱っこというやつである。


 突然、不安定な体勢になっていることに気づいた千代は、銀嶺の首に手を回してぎゅっと抱きついた。


「そう、そのままずっとしがみついていてくれ」


 どこか満足そうな銀嶺の声色が聞こえてきて、千代はどうにか顔をあげた。


「ぎ、銀嶺様、これは一体!? 突然、何を……!?」


 少々非難じみた戸惑いの声をあげる千代だが、銀嶺は嫌になるくらいに爽やかに笑っている。


「いや、出かけるのならこの体勢が一番良い」


 という銀嶺の説明にもなっていない説明に、千代は嫌な予感がした。


「あの、出かけるって、どうやって出かけるおつもりなのですか?」


 龍神の屋敷は人里から離れた山間部に位置しているため、今から行こうとしている『華やかな町』に行くには、馬車でも相当な時間がかかりそうだと今更ながら思った。


 だが今辺りを見渡しても馬車のようなものは見当たらないし、そもそも龍神の屋敷で馬を見たことはない。かといって都市部で流行していると言う噂の機械仕掛けの乗り物も見当たらない。


「もちろん、私が運んでいく」

「え? 運ぶ? 運ぶとはどのように……」

「このまま、飛んでいく」

「え、と、飛ぶって、飛ぶんですか!? ……ぎゃ!」


 信じられないことを言われて戸惑う間に、千代と銀嶺は宙を浮いていた。女子らしからぬ悲鳴の声があがったが許してほしい。


 みるみるうちに高くなる視界に、堪らず千代は目を瞑って銀嶺に強くしがみついた。


「もう! 突然、こんな……! お、重くありませんか?」

「重いものか。羽根のように軽い」

「それは流石に言い過ぎです……って、た、高い!」


 思わず目を開けて眼下を見てしまった千代は後悔した。あんなに広くて大きいと感じていた銀嶺の屋敷が小さい。耳には先ほどから風の当たる音がする。怖くなってさらに銀嶺にしがみついた。


「大丈夫だ。私がいる。怖いことはない」


 という声が聞こえてくる。なんだか千代がしがみつけばしがみつくほどに、銀嶺はどこか上機嫌な気がするが、そんなことに構ってられないほどに千代は一杯一杯だった。


「銀嶺様~! こういうことをなさるのでしたら、前もって仰ってください~」


 空の遙上空で、千代の悲鳴にも近い言葉が青い空に響きわたっていった。

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