第6話生贄花嫁は食べられたい3
「そなたの言うハク……いや……なんでもない」
銀嶺は何かを言おうとしたのを、途中で止めて口を片手で覆った。
何故か、うっすらと頬が赤い。
(照れていらっしゃる……?)
変なところで、変な反応をするものだと、千代は不思議そうに見ていると、銀嶺は咳払いをして口を開いた。
「ということで、こいつが、そなたの付き人になる。何か入り用のものなどがあったらなんでもいえ。こいつが用意する」
「ちょっと! こいつこいつ言わないで! コハちゃんって呼んでって言いましたわよね!?」
「私は呼ぶつもりはない」
「何故ですか! まったく!」
腕組みをして不満を表す琥珀。それに嫌そうに顔をしかめる銀嶺。
その様が、とてもおかしくて……。
「ふ、ふふふ」
千代の口から笑い声が吹き出す。口元を抑えてみたたが、どうにも止まらない。
千代の反応に、銀嶺と琥珀がポカンとした顔をして千代を見る。
その視線に気づいた千代が、ハッとして慌てて笑い声を止めた。
あまりにもまじまじ見られて恥ずかしい。
顔に熱が上るのがわかった。
「す、すみません。私ったら、笑ってしまうなんて……」
思わず俯く千代だった。
(でも、こんなふうに笑ったのは、いつぶりだろう)
両親が亡くなってからは、こんなふうに吹き出すように笑った記憶があまりない。いつも、弟だけは守ろうとそれだけを考えて必死で……。
ふと、千代の顎に銀嶺の手が添えられた。
そしてそのまま顔を上に持ち上げられる。
目の前に、嬉しそうに微笑む銀嶺が目に入った。
「何、笑いたいのならもっと笑ってくれ。そなたは笑顔も良い」
甘く優しい声色でそう言われて、千代のどこかが痺れるような感覚がした。
この甘い熱に溺れてしまいたい衝動に駆られ、千代はハッと我に帰る。
(だめ……。私が、ここにいるのは、生贄になって食べられるため。そして目の前のこの人を、神の座から引きずりおろさないといけないの)
緩みかけている気持ちを締め付けるように、千代は言い聞かせる。
どれほど優しく声をかけられたとしても、目の前のこの人は荒御魂の神なのだ。何度も人を食らってきた過去がある。
それに弟のためにも殺さなくていけない。
千代が神の力を封じることができれば、他の和御魂の神か、もしくは神仕族の中でも力の強い者が龍神を退治してくれる。
現在、龍神は、本州の中央を流れる荒川の源流からほど近いところに屋敷を構え、荒川流域一帯を治めているが、龍神が倒されればその土地は近隣を治める和御魂の神の管轄になるはずだ。
そうなれば十八歳となった弟が捧げられるのは和御魂の神だ。
荒御魂の神ではなく、和魂の神の生贄花嫁となれる。
そして、弟だけでも幸せに生きて欲しい。
「それでは、私はそろそろ出ていく。後のことは頼んだぞ」
銀嶺はそう言うと、千代から離れて障子の方に向かっていく。
銀嶺が離れたことで、千代はほっと安堵のため息を吐き出した。
すると琥珀が、「さーて、まずは朝ごはんかしら。それから……」と言って、まじまじと千代を見る。そして目を細めてニヤリと笑みをこぼした。
「お肌の大改革ですわよ。ふふふ、腕がなりますわね!」
「お、お肌の、大改革……?」
聞きなれない単語に、なんとなく恐怖を覚える。いっぽう琥珀は心底楽しそうだった。
「そうですわ。お手を貸してくださいませ」
琥珀はそういうと、千代の手をとった。
赤切れの目立つカサカサの手を見て、琥珀がいたわしそうに微笑む。
「今まで、頑張ってきていらっしゃった手ですわね。でも、頑張りすぎですわ。もうそろそろ休息をとっても良いでしょう? 龍神様からとっておきの軟膏を預かっておりますの。ひと塗りすれば、この手も、肌も唇も、髪だって、潤ってきますわ。そうですわ、綺麗なお着物だってこの屋敷にはたくさんありますのよ。たくさん、おしゃれいたしましょうね」
励ますように琥珀が言う。
おしゃれ。
千代には縁遠い言葉だった。
だけど千代とて年頃の娘である。その言葉で思わず気持ちが華やいていく。
だが、ふと、疑問が浮かぶ。
「……私の肌を整えるように、銀嶺様に言われているのですか?」
「ええ、まあ、そうですわね。そういうのも含めて、お世話するようにと仰せつかっております」
琥珀の返答に、やっぱり、と千代は自嘲するような笑みを微かに浮かべる。
自身の立場も忘れて、『おしゃれ』と言う単語に一瞬でも喜んでしまった愚かな自分への笑み。
これはオシャレなどではない。
(やはり、龍神様は、私があまりにも貧相で美味しくなさそうだから食べなかったのだわ。だから、こうやって手入れをして、それから食べようとなさるつもりなのね)
これから行われることは、龍神が快く食事をするための、下拵えなのだ。
昨日からの疑問がスッキリした。
千代がそれなりにさえなれば、きっと銀嶺は千代を食べてくれるだろう。
(良かった。これで良かったのだわ)
食べてくれさえすれば、千代は本望なのだ。
そう、それでいい。
それでいいはずだ。
龍神の屋敷に住むようになって、一月が過ぎた。
特別な薬だという軟膏のおかげか、手荒れはすっかり治り、肌艶もいい。
髪には香つきの椿油を用いて、毎朝琥珀が櫛ですいてくれて、今では陽光にあたればまるで磨かれた黒曜石のように煌めいていた。
「あーん、千代様、なんて美しいのかしら! さすが私のお母様だわ!」
鏡に映る千代を一緒に見ながら、琥珀がはしゃいでそんなことを言う。
どうしてお母様と呼ぶのか何度か聞いたのだが『だって、私はお母様のおかげで産まれてきたのだもの』と言うばかりで的を射ず、千代は彼女の勘違いを正すことについてはすっかり諦めていた。
「琥珀さんのおかげです」
「もーう、コハちゃんと呼んでと言ってるのに」
琥珀から何度かコハちゃんと呼んでと言われていたが、千代は御免なさいと一言謝って毎回その申し入れを断っていた。
そんな風に親し気に呼んでしまっては情が移ってしまう。それを懸念してのことだった。
だが、呼び方を硬くしたとて、何かにつけて世話を焼いてくれる琥珀に親しみを覚えないというのは、難しいが……。
(本当にこのままではだめだわ。早く食べてくれないと、私……)
龍神の力を封じられなくなる。
せめてもの抵抗として、何かと理由を作って極力銀嶺には会わないようにしていた。
顔を見てしまうと、その度に千代の決意が揺らいでしまいそうだった。
でも、もうそろそろ良いかもしれない。
「今日は、銀嶺様はどちらに? お会いできますでしょうか?」
決意を抱いてそう問うと、琥珀は嬉しそうに微笑んだ。
「あら、あら、あら! 千代様から龍神様にお会いしたがるなんて、珍しいことですわ!」
「ええ、その、琥珀さんのお手入れのおかげで、ずいぶんと体の調子も良いですし、その……おいしそうになったのではないかと思いまして」
肌も髪も、もうぱさぱさと乾いているところはない。
体つきはさすがにまだほっそりとはしているがそれでも以前よりかは肉もついた。
そろそろ頃合いだろう。きっと食べてくれる。
食べてくれないと困る。
「おいしそうだなんて~! ふふ、千代様ったら、面白いことをおっしゃいますわね! でも本当にお美しくなられましたわ。思わずうっとりしてしまうほどですのよ。それでは、わたくしは龍神様にも声をかけてまいります。千代様が会いたいと言っていると聞いたら、龍神様もきっとお喜びになりますわね!」
「そうでしょうか。もし、そうであるならうれしいのですが」
きっと以前よりもおいしそうになった千代を見て、喜んでくれる。
そしてその勢いで本能のままにかぶりついてくれるだろう。
鏡に映る自分を改めて見て、拳を握る。
(今日こそ、決戦のときだわ)
神の力を封じる毒は、自分の手の中にある。
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