第5話生贄花嫁は食べられたい2
白拍子の女性は、銀嶺を前にして片膝を追って頭を下げる。
「主様。いかがなさいましたか」
澄んだ声でそう声を掛けた女性の髪の毛も、銀嶺と同じ銀髪だった。
(すごい。さすがは銀嶺様。髪の毛一本で、これほどまでの眷属をお創りになられるなんて)
神の御業に、千代は思わず目を見張る。
千代は、霊術を使う神仕族の下っ端ではあるが、それでも神仕族。
神仕族の高名な霊術使いの中には紙を用いて人の姿などを作る式神という技があることも知っている。
しかし、一人でにしゃべる式神などはそう簡単に作れない。だが、銀嶺はそれをたやすく成し遂げていた。
「お前には、そこにいる千代の世話を任せる。これからは彼女こそがそなたの主だ。わかったな?」
「千代様……?」
そう言って、白拍子の女性は千代を振り返る。
改めて見る眷属の女性の美しさに、千代の心臓が跳ねた。
深い海のような濃青色の瞳が千代を見定めいるような気がして、なんとなく気が引ける。
なんといっても彼女は美しいのだ。それこそ、そこにいる銀嶺と引けを取らぬ美しさがあった。
銀嶺に仕えられると思ってやってきたというのに、いきなり千代を主として仰げなどと言われ、きっと不快に思っていることだろう。
なにせ千代はあまりにもみすぼらしい。
肌は荒れ果て、髪にも艶がない。
そんな千代に仕えたいと思う者などいないはずだ。
「ま、待ってくださいませ。銀嶺様、私は自分のことぐらいは自分で」
「まあ! まあ、まあ、まあ! どなたがわたくしの主様になられるのかと思っておりましたら、お母さまではありませんか!」
自分の世話ぐらいは自分でやれる。
そう言おうとしていたのに、その言葉を白拍子の女性の嬉しそうな声で遮られた。
顔も目を輝かせて喜んでいるように見える。
何故嬉しそうなのだろうと言う疑問がわきつつも、それ以上に先ほど聞こえてきた話の内容が気になり過ぎる。
「……え? 『お母さま』?」
千代は、まだ子供を産んだ覚えはない。しかもどう見ても、白拍子の女性のほうが年上に見える。
「はい! そうですよ、お母さま。お会いできてうれしゅうございます」
胸の前に手を置いて心底嬉しそうにそう言う女性に、ますます千代は混乱した。
「お母さまというのは、その、私には覚えがないのですが……」
「え? そうなのですか? でも、お母さまは私のお母さまですよ。だってお母さまは……んん!」
何事か話そうとする女性の口を、途中で銀嶺が手でふさいだ。
「変なことを言うな」
恨めしそうに女性が銀嶺をにらみつける。
女性は、銀嶺の手を押し退けて口を開いた。
「まあ、変なことなど言っておりませんわ。失礼しちゃいますわ」
「なんだその口の聞き方は。お前は私の眷属だろう」
「まあ、横暴ですこと! 確かに私は龍神様の眷属ですが、龍神様が私の主様は千代様だとおっしゃったではありませんか。龍神様の言うことを聞く筋合いはありませんわ」
ふーんと言いながら、顔を背けた。
千代から見るととても可愛らしい仕草だったが、銀嶺は息を吐き出した。
「まったく、相手をするだけで疲れる……」
そう言って首を振ると、今度は千代の方を見た。
「すまない。こんなやつで悪いが、そなたの付き人にしようと思っているのだが……」
「えっ……付き人ですか!?」
素っ頓狂な声になる。
どうせ食べる生贄相手にどうしてわざわざ付き人などつけようなどと思ったのか。
「お母様! これからよろしくお願いしますわ! 私の名は、琥珀。琥珀と申しますわ。私のことは、気軽にハクちゃんとお呼びください」
ハクちゃん。
その言葉に、千代はふと昔ことを思い出した。
『ハクちゃん、今日も来てくれたの?』
幼い千代がそう言って手を差し出せば、甘えるように小さな白蛇が千代の腕に巻き付いてきた。
小さな一匹の白い蛇。
白いから『ハクちゃん』と勝手に名前をつけて可愛がっていた野良蛇だ。
千代の唯一の友達。
両親を亡くして叔父一家に引き取られてから間も無くして出会った。
血だらけの状態で、川のほとりに倒れていた。
このまま置いていってしまえば、おそらくこの白蛇は死んでしまう。
そう思って千代が保護したのだ。
しばらくして白蛇の傷が癒えても、白蛇はちょくちょく千代のもとに来てくれた。
とても利口な蛇で、人の言葉を解しているような気がする時さえあった。
時には、叔父に打たれて怪我した千代を心配したのか、白蛇は山の薬草を咥えてきてくれることもあった。
千代には大切な人が二人いる。
一人は弟の柊。早くに親を亡くした弟にとって千代が親代わり。可愛らしく慕ってくれる弟を絶対に守ると誓って日々を生きてきた。弟がいるから、千代は頑張ってこれたのだ。
でも、千代とてまだ大人ではない。叔父一家からの罵詈雑言に、泣いてふさぎ込みたい時がある。とはいえ弟の前ではそんな弱々しい姿は見せられない。
泣きたくて弱音を吐きたいのに吐けない時に、いつもきてくれるのがその白蛇だった。
千代の大切な人の一人、いや、一匹。
白蛇は、ただただ静かに千代の話を聞いてくれる。
弱音も、涙も、白蛇の前では全部出せた。白蛇は千代の流す涙を細くて小さな舌で舐めとってくれる。
白蛇のそんな仕草に慰められ全てを吐き出して、そうして千代は十年にも及ぶ辛い生活に耐えることができた。
そう、白蛇は、千代にとって何でも話せる友達。
だけど、最後。
あの時だけは違った。
十八歳になり、龍神の生贄に選ばれたと知らされた時、千代はあまりにも恐ろしくて白蛇に弱音を吐いた。
死にたくないと、そうこぼした。
すると白蛇は千代を噛んでどこかに行ってしまった。
そしてそれが、白蛇との最後の別れになってしまった。
「……ハクちゃんはだめだ」
むっつりと怒っているような銀嶺の声に、ハッと千代は我に帰った。
琥珀が自分のことを『ハクちゃん』とよんでと言うものだから、思わずあの小さな白蛇のハクちゃんを思い出してぼーっとしてしまっていた。
「えーー、いいじゃないですか! ハクちゃん! かわいい! だいたいどうして龍神様がそんなことをおっしゃるんですか?」
「とにかく。だめなものはだめだ。ハクちゃんだけは許せぬ」
ぼうっとしていたら、いつの間にか銀嶺と琥珀が言い合いを始めている。
千代は少し迷ったが、自分の気持ちを伝えることにした。
「あの……私もできれば『ハクちゃん』ではなく、その、違う呼び方が良いかなと思います」
「あら? どうしてでございますか?」
「その……知り合いがいるのです。ハクちゃんという……私の友達で」
「あら、そうなのですか。ならいいですわ。じゃあ私のことは、コハちゃんって呼んでくださいまし」
あっさりと引き下がってくれて、千代はほっと肩を撫で下ろす。
ふと、視線を感じて顔を上げれば、銀嶺が千代のことを見ていた。
少し驚いているような、そんな顔をして。
「銀嶺様? その、何かありましたか?」
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