第3話プロローグ3
十年前、千代と柊の実の両親は、幼い柊と千代を残して亡くなった。
馬車で移動中に崖から転落しての事故だと聞いている。
それで千代達を引き取ったのが、父方の叔父夫婦だ。
叔父夫婦には一人娘がおり、その娘のことは人一倍可愛がっていたが、千代と柊に対してはひどく冷たかった。
如月家は、かつて神と契約を交わした五人の偉大なる術師の一人を始祖とする、花京院家の分家の分家のまた分家ではあるが、一応『神仕族』。名家の端くれだ。
両親が生きていた頃、千代は蝶よ花よと大切に育てられてきたが、叔父一家に引き取られてからは使用人のように、いや、それよりもひどい扱いを受けて過ごす日々。
食事もまともなものも与えられず、野菜の切れ端をこっそりと盗み、おひつに残った米粒をこそぎ落とすようにしてかき集め、おかずの乗っていた皿に残った僅かな塩っけをなめとるようにして食べて弟ともに飢えを凌いだ。
服に至ってもろくなものは与えられず、たまに捨てられている布の切れ端を集めて服として仕立て上げたような襤褸ばかり。
そんなあまりにも不憫な千代と柊の生活を見兼ねて、かつては使用人達から食料をわけてもらうこともあった。
だが、叔父一家に見つかって、分け与えようとしてくれた使用人が酷い折檻を受けた。
それからは誰も千代達に関わろうともしなかったし、千代も距離を置くようにしていた。
『この穀潰しが』
『ほんと、あんたって惨めねえ』
『いやだわ。うすのろって本当に臭い。空気が汚れるから呼吸しないでくれる?』
叔父一家は、目があえば千代達を蔑み、罵倒し、時には鞭で打った。
引き取られる前は、叔父一家も優しかった。
少なくとも千代には優しく見えた。
両親亡き後、それなりに霊力の高かった千代と柊は、叔父達の他の神仕族から養子にしたいといくつか誘われていて、叔父もその一人だった。
『神仕族』とは神に仕えるために存在する一族で、特別に高貴とされる上流階級の家柄の者達のことを言う。
その神仕族の中でも叔父夫婦が、誰よりも熱心に養子にならないかと千代達に声をかけ、親身になってくれて、誰よりも両親の死を悲しんでくれたように見えた。
だから、一番親族として血が近いこともあり、叔父の養子になったのだ。
だが、叔父の申し出を受け入れた途端に彼らの態度が急変した。
要するに叔父は、千代達の両親の遺産が欲しいばかりに声をかけていたにすぎなかったのだ。
実際、千代達が住んでいた屋敷も財産も、何もかもを叔父に奪われた。
そして十年間虐げた挙げ句、もう千代たちは用済みとばかりに荒御魂の神の生贄花嫁にした。
荒御魂の神に生贄を出した家には、国から莫大な報奨金が出る。
叔父たちは、生贄に出せば千代が食べられると分かったうえで、報奨金目当てで生贄に差し出した。
「よし、あの一家、使用人に至るまで一族郎党滅ぼそう」
昔を思い出してぼうっとしていた千代の頭上から、不穏な単語が聞こえてきた。
「え……? 滅ぼす?」
「そうだ。あの家の奴らは許せない。滅ぼそう」
淡々と告げられた。
あまりにも現実味がなく、千代はポカンと口を開く。
そして家での生活のことを思った。確かにいい思い出はない。
だが……。
「えっと、ちょ、ちょっと! 待ってください! ほ、滅ぼす? どうして、そんな……」
あそこにはいい思い出はないが、大切な弟がいる。
それに、使用人も確かに見て見ぬ振りをされてはいたが、それも仕方ないこと。主人である叔父に逆らえるわけがないのだから当然だ。
「そなたを大切にしなかった報いだ」
当たり前だろう? とでも言いたげな平然とした顔で龍神はそう告げる。
(それは、まあ叔父夫婦は憎いけど)
心の中で、千代は素直に認めた。叔父夫婦は憎い。
家事や力仕事を押し付けられることはいいが、千代の親の悪口を平気で言うところが何よりも許せない。
千代が失敗すると、必ず親のことを言われた。あの親だからグズなのだと。千代の失敗は全て親のせいだと罵られるのだ。
それが許せなかった。
でも、千代には怒る権利なんてなかった。
いや違う、怒ったとしても、何も変わらない。
生意気だと言われて、ときには鞭などで叩かれる。
そしてその矛先が弟に向かうかもしれない。そう思うと何もできなくて、ボロボロになるまで耐えた。
憎いに、決まっている。
だが、あの家には大切な弟がいる。ひどい養父母だとは思うが、彼らがいなくなった後はどうなる?
「お、おやめくださいませ。どうして滅ぼすなど。私が花嫁ではご不満ですか?」
千代がそう尋ねると、龍神が目を見開く。
「不満などありはしない。だが、あの家がそなたに与えた仕打ち……憎くないというのか?」
龍神の怯んだような声。
畳み掛けるように千代は口を開く。
「憎む憎まないの問題ではないのです。私は生贄花嫁。ただ、龍神様に食べてほしいだけなのです」
「何故、そんな……」
どこか傷ついたような龍神の表情を見ていられなくて、千代は視線を逸らして顔を俯かせた。
そんな千代の頭に、龍神の声がかかる。
「それほどまでに、愛しているというのか? 今すぐ食べられたいくらいに?」
龍神に食べられたい理由が龍神を愛していからだと言った千代の出まかせを、どうやら信じているようだった。
千代は後ろめたい気持ちを押し込めて、龍神の問いに力なく頷く。
しばらくの沈黙。最初に破ったのは、龍神だった。
「そうか……。だが……今日は疲れただろう、ゆっくり休め。この屋敷にある部屋は好きに使っていい」
抑揚のない声で龍神がそう言うと、さっと戸口のところまで歩いて行った。
「そんな……! 食べてくださらないのですか!?」
思わず顔を上げて千代がそう言い募るが、龍神は振り返りもせずに戸を閉めた。
部屋にはまた一人、千代だけが残される。
何故、食べてくれなかったのか。
そのことで頭がいっぱいになって混乱していた千代は、気づかなかった。
戸を閉めたその先で、「死にたくないと言ったのは、千代、そなただったではないか」と、龍神が切なげに呟いていたことに。
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