第33話「溢れる兄の愛情は」

「馬鹿、何やってんだオリビア……!」

 体制の崩れた妹を庇う為、オリバーまでもが身を乗り出す。その背後からこれまでずっと部屋の隠し扉に潜んでいたレオニルが、彼の首元を剣で制圧した。

「そこまでだ」

「……は?アンタ一体どこから」

 気配に過敏なオリバーは、自分がレオニルの存在に気が付かなかったことに驚愕する。そして同様にオリビアも、エドモンドが手配した精鋭騎士によって後ろ手に拘束されていた。

「は、離しなさいよ!この……っ!」

 筋骨隆々の騎士に敵うはずもないが、彼女は金切り声を上げながらぶんぶんと首を振って捨て身で抵抗する。

「だめ、皆に気付かれちゃう!」

 しゃがんでいたケイティベルががばっと立ち上がり、とっさに自身が被っていたシーツをオリビアの頭に掛けた。

「静かにしないと、他の人が来るわ」

「黙れ白豚!」

「し、しろぶ……」

 面と向かって悪態を吐かれたケイティベルは思わず怯むが、自身を睨みつけるオリビアの半顔に広がる痣を見て、引きそうになった足にぐっと力を入れる。

 リリアンナの言った通り、犯人は痣持ちの双生児。理不尽に酷い扱いを受けてきた、いわば被害者も同然なのだと。

「近付くなケイティベル。何を隠し持っているか分からない」

「私なら平気です、レオニル殿下」

 怖くない、怖くない、怖くない。心の中で何度も何度も唱えながら、ケイティベルはオリビアの頬にそっと手を伸ばす。まさかそんな行動に出るとは想像していなかった彼女は、思わず目を見開いた。

「初めまして、オリビアさん?私の名前は、ケイティベルです」

「は、はぁ……?あんた何言って」

「仲良くなるには、まず自己紹介からが基本だもの」

 ケイティベルの記憶の中に残る声と、目の前の少女から発せられるそれは同じで、やはりあれは起こった未来の出来事だったのだと確信する。

 今ここで二人を止めなければ、いずれ誰かの命が失われてしまう。自分自身か、家族か、それとも犯人であるこの子達か。

「ベル、僕も一緒に!」

 慌てながらそう口にするルシフォードの手には、小ぶりのバックラーがしっかりと握られている。オリビアに襲撃された時に響いた激しい金属音は、この盾とナイフがぶつかり合う音だったのだ。

 彼はたたっとケイティベルに駆け寄ると、その手をぎゅうっと握る。思った通り、それは氷のように冷たく小刻みに震えていた。

「さっきそう呼ばれていらっしゃったから、貴女はオリビアさんで合ってているわよね?あちらの方のお名前は?」

「うるさい、話しかけるな白豚!」

「違うわ、私はケイティベルよ」

「そんなこと分かってる!」

 まんまと捕えられたことよりも、情けをかけられているような物言いに我慢がならない。今すぐにこの場でトドメを刺すか、それが敵わないのならば自害を選ぶまで。出来るだけ惨たらしく、惨めに、この双子の記憶にしっかりと赤く染みつくようにと。

「僕達は二人を傷付けたくないんだ。その痣のことをリリアンナお姉様から聞いて、今までどれだけ辛い経験をしてきたんだろうって……」

「ふん。だから同情しようって?」

「そう言われたら、否定出来ないわ。どう取り繕っても、私が貴方達の境遇をとても可哀想だと思っているのは事実だから」

 ルシフォードとケイティベルは、人を傷付けるような嘘は吐かない。愛され双子は手を繋ぎ、痣持ちの双子に深々と謝罪を口にした。

「酷いことを言ってごめんなさい。あれは、本心じゃないんだ」

「今は私達を嫌いでも、いつか仲良くなれたらって」

 空色の瞳の奥は、どこまでも澄んでいる。薄汚い掃き溜めの中に身を置いてきたオリバーとオリビアには、二人が本心からそう口にしているとすぐに分かった。だからこそ、歯痒くて堪らない。

 綺麗な心も他人を信じる気持ちも、とうの昔に溝川に投げ捨てた。そうしなければ、とても正気を保ってはいられない。ルシフォードとケイティベルは、身に付けているものだけではなく中身まで清らかで、あまつさえ暗殺者である自分達に救いの手を差し伸べる。


――もっと最低な人間だったなら、罪悪感など抱かずに済んだものを。


 オリビアの表情がみるみるうちに苦悶に染まり、これまで大人しかったオリバーが突然暴れだした。一瞬の不意を突き、レオニルの刀身をシースナイフで弾き飛ばす。誰もが焦り双子を守ろうと彼に手を伸ばすが、オリバーは他には目もくれずがくりとその場に膝をついた。


「どうか……、どうかオリビアだけは見逃してやってください……!」

「オリバー?な、何言って……」

 肌触りの良い絨毯に顔を擦り付け、声にならない声を絞り出す。まるで物乞いのように必死に体を丸めて、何度も何度もオリビアの名を呟いていた。

「だ、だめだよそんなことしちゃあ!君が汚れちゃう!」

 ルシフォードが慌てて駆け寄ろうとするが、レオニルがそれを許さない。投げ捨てられたナイフをさらに遠方へ蹴り飛ばすと、剣の切先をぴたりとオリバーの首筋にあてがった。それでも彼は動揺を見せず、がさがさの唇を微かに歪める。

「は……っ、ご冗談を。俺なんかより、このご立派な敷物の方を心配するべきでしょうね」

「そんな……っ」

「俺は……、俺はどうなっても構わない。どうせ今夜、死ぬつもりだったんだ」

 吐き捨てるような台詞の後、金切り声を上げたのはオリビアだった。両親に気付かれてしまうと大変だと、ケイティベルはとっさに彼女に抱き着く。拘束され身動きの取れないまま、それでもオリビアは抵抗を止めない。

「離せ白豚、ぶっ殺すぞ!」

「いけないわそんな台詞、女の子には似合わない」

「黙れ、何も知らないくせに……!」

 似合わない?それはお前のような高貴な令嬢が使える言葉だと、オリビアは彼女を睨め付ける。所詮自分は非力な女で、これまで体を汚すことなく生きてこられたのはすべてオリバーのおかげ。あの骨ばった体には、オリビアを守った無数の傷が散らばっている。

「どういうことよオリバー!話が違うじゃない!!」

 いまだ蹲り微動だにしない彼を、オリビアは悲痛な声で責める。どうやら二人の思惑は、初手から異なっていたようだった。無様に許しを乞う姿も許し難いが、それよりも解せないのはその後のオリバーの言動だった。


――まさか私を救う為、最初から自分だけが犠牲になるつもりで……?


 彼女の不吉な予感はまんまと的中する。今にもレオニルに切り捨てられてしまいそうな状況にも関わらず、オリバーがしきりに口にするのはオリビアのことだけ。自身の命など、これっぽっちも守ろうとしていない。

「な、なんでよ?だって本当なら、金で雇ったアイツらが……」

「雇ってなんかない。もともと俺だけで実行する予定だった。あの金は、今夜お前を逃がせるよう数人の給仕係に握らせてある」

「ふ、ふざけないでよ!アンタ私を残して、自分は死ぬつもりだったってわけ!?」

 ずっとずっとどんな時も、二人は一緒だった。産まれつきのこの痣のせいでどれだけ不幸な目に遭っても、オリビアにとっては大切な兄との絆の証だった。だから一度も隠したりせず、堂々と曝け出していたのに。

 エトワナ家の双子を手に掛けた後、万が一上手く逃げられなかったとしたら。というよりもそちらの可能性の方がよほど高いと、オリビアは分かっていた。

 その時はオリバーと共に、潔く命を経とうと思っていた。そして次も、必ず双子として生まれ変わりたいとオリビアは強く願った。たとえ再び痣持ちだったとしても構わないと、そう思うほど。

「……酷い、酷いよオリバー」

 彼女の瞳からは、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。それを拭ってくれるのはいつだってオリバーだったのに、それが今はこんなにも憎い双子の片割れに縋っているなんて。

 ケイティベルはハンカチを取り出すことも忘れて、ただオリビアをぎゅうっと抱き締める。レモンイエローのドレスの肩口が濡れても、ちっとも気にしていない。

 痩せぽちでごつごつした兄とは違う、ふくよかで温かい体。腹が立って仕方がないのに、なぜか力が抜けていく。

 兄に捨てられたという事実が、彼女の心に土砂降りの雨を降らせる。そのせいで前が見えず、もう誰にナイフを向けたら良いのかも分からない。

 しゃくり上げながら涙を流す妹を見ても、オリバーは決して姿勢を変えようとはしない。当初の予定ではオリビアだけを逃し、全ての罪を自信が被り自害する手筈だった。

 オリバーの人生にとって最も重要なのは、エトワナ家の愛され双子に見当違いの復讐をすることではない。たった一人の大切な妹を、どんな形であろうと守り抜くことだけ。

 まさかこんな展開になるとは、彼も予想していなかった。だが、金で雇ったごろつきよりも世間知らずのお人好しな子どもの方が、きっとなんとかしてくれる。

 穢れを知らない空色の瞳には、自分達は随分と哀れに映っていることだろう。同情だろうと哀れみだろうと、オリビアが救われるなら構わない。


 ――たとえ大好きな妹の憎しみの対象が、エトワナ家の双子から自分自身に変わってしまったとしても。

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