第34話「誰もが皆、大切な誰かの為」
そんなオリバーの姿を、ルシフォードはじっと見つめていた。まるであの時の自分を見ているようで、胸が張り裂けそうになる。きっとケイティベルも、今目の前で涙を流しているオリビアと同じ気持ちだったのだろうと。
大切な誰かを守ろうと身を挺して庇っても、それはその相手の幸せには直結しない。オリバーとオリビアの姉も、自分達の姉であるリリアンナも、弟妹の為に自らの命を犠牲にした。
果たしてそれは、本当に正しい行動だと言えるのだろうか。愛する人を守りたいと思うのは、守られる側も同じであるのに。
「……みんな一緒に幸せになれたら、それが一番良いに決まってる」
良いじゃないか、綺麗事だって。ルシフォードは、自身が甘い考えの持ち主だということも承知の上で、オリバーとオリビアを助けたいと願う。もしもそれで二人に足元を掬われたら、きっと後悔するだろう。この小さな掌では、まだ全員を救えない。
「ルシフォード……」
ケイティベルの瞳には、決して消えない光が宿る。それは「何があっても貴方を否定しない」と、ルシフォードの全てを認められているような温かさだった。
「レオニル殿下、お願いです。二人を許してあげてください!」
オリバーと同じように跪き、眼前の権力者に情状を乞う。ルシフォードは、そうすることしか出来ない自分が情けなくて堪らなかった。
「お前……」
「ここには敵なんていないし、酷いことをする人もいない。君の命を渡したって誰も喜ばないと思うし、逆に困ってしまうよ」
まさか侯爵家の令息が跪くなど考えもしなかったオリバーは、驚愕にただ目を見開くだけ。頼りのナイフもなければ、おそらく体術でもレオニルには敵わない。それどころか喉元に剣の切先を突きつけられているというのに、恐怖よりも困惑の方が遥かに勝る。
――満月の夜に産まれた男女の双生児は、神の祝福の下に万人から愛されて然るべき。
「違う、こいつらは……」
確かにルシフォードとケイティベルは、この世に誕生したその瞬間から恵まれている。大切にされ、愛され、温かな家と豊かな生活の中で、惨めで貧しい思いなどとはかけ離れた美しい花畑の中で生きてきた。
だから、他人に慈悲を施すのは当たり前?いや、それは違うとオリバーは頭を振る。どれだけ我儘に振る舞ったとしても、絶対に見捨てられない環境にいる中で、二人は底抜けに優しくてお人好し。
だからこそ、皆から愛され慈しまれる。全ての決め手は産まれであってそうでなく、ルシフォードとケイティベルは自分達の意志で、清らかな心を輝かせている。
「私からもどうかお願いします、レオニル殿下!オリビアとオリバーは、この屋敷の中でまだ何も罪を犯していません!」
ルシフォードに続きケイティベルも、声を張り上げ援護する。胸にはオリビアを抱き抱えたまま、もはや窒息させたいのではという勢いでぎゅうっと力を込めていた。
「大体、痣を持って産まれたことの何がいけないっていうの!それを勝手に罪にしたのは、昔の王族達じゃない!」
彼女の言葉に、オリビアの体にぎゅうっと力が籠る。それはずっと、自分自身が抱えてきた叫びと同じだった。
「レオニル殿下。恐れながらこの私も、弟妹と共にお願い申し上げます」
その時。パーラーの扉が静かに開き、リリアンナとエドモンドが揃って姿を現す。微かに漏れ聞いた弟妹の声色だけで、リリアンナはほとんど完璧に状況を把握していた。
「情けをかけたい気持ちは分かる。だがたとえ子どもとはいえ、公爵家に忍び込みあまつさえその子息の命を狙うなど、この場で切り捨てられても文句は言えまい」
「重々承知した上で申し上げております、殿下」
「罪は罪だ。経緯がどうであれ、無罪放免では示しがつかない」
レオニルは、この場における自身の役割を把握していた。今にも泣きそうなケイティベルの顔を見て心はぐらぐらと揺れるが、王子という立場を持って産まれた以上彼もまた、粛々と役割をこなす必要がある。
彼女を殺そうとした怒りや、白豚と罵倒した憤りとは、また別のもの。そう、決して私怨などではない。決して。
「レオニル殿下の仰る通りです。我々は、この者達の罪を見逃すべきではない。ここに忍び入る以前のあれこれを不問にしたとしても、なかったことにして見逃せというのはあまりにも軽過ぎる」
「エドモンド殿下……」
二人の王子が厳しい表情を見せる中で、ケイティベルのふくふくとした頬がみるみるうちに膨らんでいく。少し濃い目の眉をきっと吊り上げ、唇をつんと尖らせて。
これは昔から、彼女が盛大にだだをこね始めるという合図。
「何よ、もう!皆無事だったんだからそれで良いじゃない!硬いこと言わないで、許してあげてよ!」
「ちょ、ちょっとだめだよベル!落ち着いて!」
「これが落ち着いていられるっていうの、ルーシー!」
ぱんぱんに膨らんだ頬は、指で突いたら弾けてしまいそうだ。ルシフォードはおろおろと慌てふためきながら、ぱっと顔を上げ姉に助けを求めた。
リリアンナは気の抜けたようにふふっと微笑むと、ケイティベルの下へと足を進めた。
「貴女はどんな表情でも可愛らしいけれど、殿下を困らせてはいけないわ」
「だって、お姉様……」
「意地悪を言っているわけではないと、貴女だって理解しているでしょう?」
細くしなやかな指がケイティベルの頬に触れると、それはみるみるうちに萎んでいく。一見冷たく見える彼女のロイヤルブルーの瞳はどこまでも慈愛に満ちていて、側にいたオリビアは思わず目を奪われた。
実の姉の顔など、とうの昔に記憶から消えている。けれどもしも生きていたならば、この人のように自分を慈しんでくれただろうかと。
「心配しないで、ケイティベル。きっと、すべて上手くいくから」
リリアンナは愛しい妹の頬にそっとキスを落とすと、静かに立ち上がりエドモンドに視線を向ける。彼は小さく頷き、その形の良い唇を開いた。
「殿下さえお許しくださるのならば、彼らをトレンヴェルドへ同行させていただきたいのですが」
「トレンヴェルドヘ?それは……」
「いわゆる追放、という形をとることに」
その場にいたリリアンナ以外の誰もが、彼の言葉に驚きを隠せない。どう捉えても追放とはほど遠く、むしろ彼らにとっては利にしかならない。
トレンヴェルドは外国人に対する偏見もなく、他国民が共生する寛容な国。加えて「痣持ちの双子」にまつわる忌まわしい歴史もなく、迫害や冷遇もされない。
ルシフォードとケイティベルの心情を汲んだ、明らかな救済措置だった。
「お姉様、それって……」
「ええ、そうねケイティベル。私も、そうすべきだと思うわ」
リリアンナはそう言って、そっと妹の耳に唇を寄せる。
「いずれ私が輿入れした時には彼を護衛に、彼女をメイドとして側に置いてくださるって」
「まぁ、とっても素敵!」
結局この場にいる全員の意見はほとんど一致しており、レオニルさえ「仕方ない」という表情で剣を突きつける腕にもさほど力入れていない。
とはいえ、それは痣持ちの双子を信用しているからではなく、ルシフォードとケイティベルが強く望むからというだけのこと。この先、二人や他の誰かに牙を向くような真似をすれば、即刻断罪しなければならない。
「オリバーの馬鹿……っ!この死にたがり野郎!」
が。おそらくその心配は必要ないだろうと、泣きじゃくりながら悪態を吐くオリビアを見つめながら、リリアンナは内心ほっと胸を撫で下ろす。想像していた以上に双子の絆は強く、そして心身ともに極限まで追い詰められていた。
随分と大人びて見えるが、まだたった十歳の子ども達。本来ならば、温かな家族に囲まれて幸せに暮らしていたのにと思うと、心が痛む。
彼らを虐げる外的要因さえ取り除けたならば、きっともうエトワナ家の双子を殺そうなどと考えはしない。
ケイティベルは満面の笑みを浮かべながら再びオリビアに抱きつき、彼女は嫌そうにぷいっと顔を背ける。真っ赤に腫れた目のせいか、そこに敵意は感じられなかった。
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