第30話「悲劇は繰り返さない」

「ねぇ。ルシフォード、ケイティベル。今日はなんの日かしら?」

 そんな二人に、リリアンナは務めて穏やかな声色で尋ねる。

「今日はえっと……。僕らの誕生日?」

「ええ、そうよ。大正解」

 最近のリリアンナは、よく笑うようになった。それは少しでも弟妹を安心させたいからという気遣いもあり、純粋に幸せでたまらないという感情が溢れている証でもある。

「改めて、お誕生日おめでとう。二人がこの世に生まれてきてくれたことを、私は何より神に感謝しているわ」

「お姉様……」

「来年もこうして、盛大にお祝いしましょう。その時までに、もっと素晴らしいプレゼントを考えておくから」

 ふわふわとした愛らしい頬に手を伸ばし、掌で優しく包み込む。様々な感情がないまぜになり気を抜けば無意識に涙が溢れ落ちそうだったが、リリアンナはぐっと奥歯を噛み締めそれに耐えた。

「約束するわ、必ずよ」

 力強い姉の言葉は、不安と恐怖に怯える二人の心にぴたりと寄り添う。リリアンナがいれば心配いらないと、澱んでいた双子の瞳に少しずつ光が差し込んでいく。

 まるで分厚い雲に覆われていた空が、すべてを吹き飛ばす疾風の力を借りて輝きを取り戻すように。

「さぁ、そろそろ支度を始めましょうか。今日の主役が、暗い顔ばかりしていてはだめよ。うんと可愛くて凛々しい姿を、皆に見てもらうの」

 リリアンナがちらりと視線を向けた先には、この日の為にあつらえた三人分のお揃いの衣装がトルソーに並んでいる。リリアンナのドレスは、二人の記憶とは違うレモンイエローだ。

「お姉様の言う通りだよ、ベル!僕達はもう十歳になったんだ、いつまでもくよくよしてばかりいられない」

「ええ、そうね!せっかくのお誕生日ですもの!思いきり楽しまなきゃ!」

 大丈夫、もう二度と悲劇は繰り返さない。最大の味方をつけた双子は、正に怖いものなし。ぽっちゃり愛されボディをふるふると揺らしながら、二人は手を取り合い再びプレゼントの海に飛び込んだのだった。


 豪奢に飾り付けられたエトワナ公爵家は、それはそれは賑わいに満ちていた。双子の誕生日は毎年盛大なパーティーが催されるが、今年はさらに気合が入っている。

 なんといっても自国の第二王子と他国の第二王子が揃って来訪するとのことで、朝から屋敷はてんやわんや。

 母ベルシアと姉リリアンナが競って陣頭指揮を取り合ったおかげで、大きな問題もなく準備は完了。父アーノルドはふんぞり返っているだけで、自身の労力は使わない。エトワナ家ではそれが常だが、例年と違うのはリリアンナが意志を持って働いていることだった。

 愛する弟妹を守る為、警備のすべてを掌握すると譲らない。招待客の綿密なリスト化と配置図の作成、僅かな抜けも許さないその背中は、まるで歴史に名を残す軍師のようだったと使用人達が噂していた。

 大仰過ぎる護衛の人数、そこにはレオニルとエドモンドが直々に選任した近衛騎士すら混ざっている。これにはさすがのアーノルドも狼狽えたが、両王子の圧には勝てなかった。


「一見隙がないように見えて、ちゃんと抜け道も用意してあるわ」

 リリアンナは、目が痛くなりそうなほどに書き込まれた配置図に指を這わせる。ルシフォードとケイティベルの話では、殺される直前シーツを被っていたせいでいまいち場所を覚えていないらしい。

 けれど、前が良く見えない状況では会場からさほど離れてはいないはず。階段を使った覚えもなく、足元は絨毯だった。それに二人の力でも開けることが出来る扉は、限られているのだ。

「……きっと、現場はここだわ」

 愛の力は偉大なり、世紀の名探偵のごとき推理を披露したリリアンナは、形の良い爪で配置図のその位置をとんとんと叩く。彼女が示したのは、なんとホールの隣にあるパーラーだった。そこはベルシアが客人を招く自慢の空間で、貴重な調度品や立派な花瓶に生けられた花がところ狭しと置かれている。つまり、身を隠す場所はいくらでもあった。

 普段ならば無人であるなどほぼあり得ないが、パーティーとなれば話は別。警備は「ここには侵入しないだろう」という先入観とベルシアのテリトリーであることから、部屋の中を隅々までチェックしなかったのだろう。

 そう推測したリリアンナは、今回もわざとパーラーの見回りを指示していない。レオニルとエドモンドが信頼する近衛騎士数名にだけ、刺客の件を伝えていた。


「本当におめでとうございます」

「年々愛らしさが増していますね」

「お二人は正に、我が国の繁栄の象徴と言えます!」

 レモンイエローのドレスとスーツに身を包んだ双子は、ふっくらとした頬をほんのり赤く染め、次々とやって来る来賓客の対応に目を回している。

 死の恐怖が間近に迫っているとはいえ、誕生日は本来幸せに包まれた素晴らしい一日。たくさんの笑顔に囲まれ、二人も嬉しそうにはしゃいでいた。

「ベル、一緒に踊ろう!」

「もちろんよ、ルーシー」

 宮廷楽士の軽やかな音色に合わせ、双子は手を繋いでくるくるとダンスを踊る。誰もがその光景を微笑ましく見守り、ことリリアンナにおいては扇で顔を隠しながら咽び泣いている。

「お姉様もこっちへ!」

「ほら、早く早く!」

 稀代の役者を熱心に見つめる観客と化していたリリアンだったが、いつの間にか側にやってきた二人がぐいぐいと彼女の手を引いたことにより、たちまち主役へと立ち位置を変えた。

 大勢の貴族が集まる中では、いまだにリリアンナへ向けられる視線は冷ややかなものが多く、弟妹を虐げる悪役として敬遠されていた。今夜はそれを完璧に払拭すべく、双子はまず自分達だけで踊り充分に人目を引いたところで、大袈裟な身振りで姉を引っ張り出したのだ。

「私達って、本当にお姉様が大好きなの!」

「こんなに美人で優しいお姉様は、世界中どこを探してもいないよ!」

 改めて三人が並ぶと、お揃いの衣装がよく目立つ。そして二人はこれ見よがしに姉を褒めちぎり、仲の良さをアピールする。


――自分達が大変な時にも、私を気にかけてくれるなんて……!


「ありがとう。ルシフォード、ケイティベル。私も、貴方達の姉でいられて本当に嬉しいわ」

 いつまでも曝け出すことを恐れていては、大切なものは守れない。リリアンナは長らく張り付けていた仮面を剥ぎ取り、大勢の視線が集中するなかでふわりと破顔してみせた。

 完璧な公爵令嬢、それはまるで心のない人形のような。そんな彼女の心からの笑顔は非常に魅力的で、会場中が一瞬にして静まり返る。

「あ、あら。私は何か、間違えてしまったかしら」

 自身の発言で場が白けたと思ったリリアンナは、真白な頬をほんのりと染め長い睫毛をぱちぱちと上下させる。その姿は可愛らしく、思わずほうっと感嘆の溜息を吐く者は一人や二人ではなかった。

「リリアンナ嬢は見違えましたね」

「美人は元よりだが、一層魅力的になられた」

「今なら話しかけやすい雰囲気だわ」

 印象とは良くも悪くも広まりやすいもので、特に悪評からの好転は比較的容易い。弟妹があの愛され双子であり、加えて第二王子の婚約者。今すぐに全員を納得させることは無理でも、少しでも彼女が素面を出しやすい状況になれば御の字だと、ルシフォードとケイティベルはにんまりと悪い笑みを浮かべる。そして人知れず、後ろ手に小指を絡ませ合うのだ。

「ほ、本日は大変におめでとうございまして……!」

 銀色を基調とした正装に身を包み、きりりとした顔付きで背筋もピンと伸びている。が、それとは対照的に訳の分からない台詞と調子の外れた声色で、エドモンドが三人の前に姿を現した。

「エドモンド殿下。遠路はるばるご足労くださり、心より感謝申し上げます」

「あ……、は、はい……」

「ふふっ。こうして改まると、なんだか気恥ずかしいですね」

 周囲はこの二人に関わりがあると知らない為、リリアンナは仰々しい口調でカーテシーをしてみせる。その後すぐ、口元を押さえながら照れたように微笑んだ。

「う……っ!」

「え?」

「いたたたたた!」

 エドモンドは、非常に心臓が痛い。何人もの男が熱い視線でリリアンナを見つめることに耐えられず、つい体が先行し出張ってしまったが、王子らしい表情を保つだけで精いっぱいで頭が上手く働かない。

 ここ数日、何を見ても何をしても何を食べても、そこにふわふわと浮かんでくるのはリリアンナの顔。

 婚約者の入れ替え話のせいで喜びと戸惑いが限界突破し、結果ぐうのぐの字も腹が鳴らなくなってしまった。

「まぁ、大変。すぐに何か料理を……」

「あ、へ、平気です。空腹ではありませんから」

「そうですか?遠慮はなさらないでくださいませ」

「ありがとうございます、お気持ちだけ」

 すっかり食いしん坊キャラが定着したエドモンドは、リリアンナにとって二人目の弟のような立ち位置。本来であればレオニルと並んでも遜色ないほどの美丈夫であるが、彼女は見た目よりも中身が可愛らしい人だと思っていた。

 いまだに彼と婚約を結ぶことに実感はなく、というより今はそれどころではないというのが本音だった。弟妹の前ではおくびにも出さないが、彼女だって本当は怖くてたまらない。

 そんなリリアンナの心情を察したエドモンドは軽く咳払いをすると、先ほどの柔らかさが嘘のようにきりりと王子の顔つきに変わる。彼はルシフォードとケイティベルに向き直ると、自身の胸元に拳を当てにこりと微笑む。

「今宵のパーティーは、これまでの僕の経験で最も素晴らしいものになります」

「エドモンド殿下……」

「愛らしい宝物に、心からの祝福を」

 騎士のように膝を折り、空色の澄んだ瞳に目線を合わせる。二人の顔にもたちまち笑顔が広がり、思わずぎゅうっと抱きついてしまうのだった。

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