第28話「婚約者、交換いたしません?」
「なるほど。リリアンナが別人のように変わった理由も説明がつくな」
「す、すみません。ちょっとお腹が……」
「そんなこともあろうかと、サンドイッチを用意してまいりました」
固い表情でレオニルとは対照的に、エドモンドは緊張から空腹を訴える。それを見たリリアンナは、慣れた様子でバスケットを取り出すとテーブルの上にそれを置き、ナフキンをぱさりと開いた。
「まず、私が」
持参したものを王子にそのまま食べさせるわけにはいかないと、彼女はすらりとした指でサンドイッチをひとつ摘む。ぱくりと口に運んだ後、手で口元を隠しながらもぐもぐと咀嚼した。
「どうぞ、ご安心を」
「あ……、は、はい……」
こんな状況でも腹を空かせるなど恥知らずな!と、事情を知る母からはこれまで散々呆れられてきた。他の女性の前では必死に堪えていたが、きっと本性を知れば皆母のように幻滅するのだろうと、エドモンドはずっとそんな風に思っていた。だがリリアンナだけは、馬鹿にするでも気を悪くするでもなく、気遣いを見せてくれた。
それが彼にとっては、トレンヴェルドの第二王子ではなくエドモンドという情けない面を持った本当の自分を受け入れてくれた気がして、ぐっと心に刺さった。
もちろん、リリアンナに他意はないのだが。腹が空いたら食べればいい、それは至極簡単なことだとそう思っているだけの話だった。
「なんて素敵な女性なんだ……」
「はい?何か?」
「い、いえ。話の腰を負ってしまい申し訳ありません。これは、ありがたく頂戴します」
ロイヤルブルーの瞳に見つめられると、上手く言葉が出てこない。エドモンドは必死に誤魔化しながら、彼女が用意したサンドイッチを手に取り豪快にかぶりついた。
「話を戻そう。つまり、先に行われる生誕パーティーで、ルシフォードとケイティベルが刺客に襲われぬよう警備を固めてほしいと」
「はい、おっしゃる通りです」
「分かった、私が信頼のおける精鋭達を手配しよう」
レオニルはきりりと眉を上げ、はっきりとそう告げる。その後に続いてエドモンドも「僕も異論ありません!」と、いつの間にかバスケットを抱えながら声を張り上げた。
エトワナ家の三人は思わず目を見合わせながら、視線で会話をする。こんなにもスムーズに事が運ぶとは、誰も思っていなかったからだ。
「たとえ杞憂に終わったとしても、君達に怪我さえなければそれで良い」
「レオニル殿下……」
「なんなら私軍を動かしても構わないが」
「まさか!」
雰囲気から察するに、本当にやりかねない。三人は揃って首を左右に振った。
「レオニル殿下ならばきっと、弟妹をお守りくださると信じておりました。エドモンド殿下におかれましても、こちらの都合に巻き込んでしまい申し訳ございません」
「そんな、他人行儀な言い方は止めてください!僕達はいずれ家族になるのですから」
勢いよく口にした後、エドモンドはなぜか頬を染める。特段変な言い方はしていないが、リリアンナと「家族」というフレーズが、やけにくすぐったく甘酸っぱく、そして嬉しかった。
たとえそれが、義姉と義弟という距離だとしても。
「……協力は惜しみません」
自分の発言に、自分で勝手に傷付いていた。
「あの、エドモンド殿下」
「はい、僕です!」
ふいにリリアンナから名指しされ、エドモンドはびしりと背筋を正す。いつの間にこの令嬢にこんなにも心を乱されるようになったのか、彼自身も分からない。
「それに、レオニル殿下も」
「ああ、なんだろうか」
「もうひとつ、聞いていただきたいお話が」
リリアンナの言葉に、双子もきょとんと首を傾げる。事前の秘密会議では、護衛を頼むという以外の話は出ていなかったからだ。
彼女は普段通りの表情を浮かべたまま、薄い唇を開いた。
「婚約者を、交換していただけないでしょうか?」
直球過ぎるその台詞は、全員があんぐりと口を開けるには十分な破壊力を持っていた。
「お、お姉様……!」
「勝手なことをしてごめんなさい、ケイティベル」
微かに悲しげな表情を見せる姉に、ケイティベルはこれでもかと首を左右に振る。実は昨夜、女性二人は婚約について十分に話し合っていたのだ。
レオニルとの交流が増えるにつれ、ケイティベルが彼に感じていた畏怖は少しずつ消えていった。本当のレオニルはリリアンナそっくりで、一度既視感を感じるとそれからはもう心を開くだけ。
まるでお伽話のお姫様のように扱われたかと思えば、頬を赤く染めて俯いてみたり。レオニルはとにかく、ケイティベルの一挙手一投足に振り回されていた。もちろん、本人が自ら望んで。
それからリリアンナは、エドモンド殿下を好意的に見ていると妹に打ち明けた。まだ芽吹いたばかりのそれは恋愛とはほど遠いが、初恋もまだの彼女にとってはそれでも目覚ましい進歩だった。
いつだって家族が最優先だったリリアンナが少しずつ自身の感情を大切にし始めていることが、ケイティベルはとても嬉しかった。同時に、以前の自分はなんて愚かだったのだろうという後悔の念にも襲われた。
表面に見えているものだけがすべてではないと、姉を見ていればよく分かる。同様にレオニルに対する色眼鏡を外したら、鉄仮面だと思っていた彼の表情は意外にもころころと変わる。それを見ると歳の差を感じず、それどころか可愛らしい子どものように思えていた。
そうしてエトワナ姉妹は夜が明けるまで、リリアンナのベッドの上でいつまでも尽きないお喋りに花を咲かせた。互いの婚約者を交換しようと明言こそしなかったが、ケイティベルが他国への嫁入りを嫌がっていることは事実であるし、リリアンナも一度くらいは両親の言いつけに背いてみたかったという、ほんの悪戯心も芽生えた。
それに振り回される男性陣はたまったものではないだろうが、偶然にも互いの本音はぴったりと一致している。レオニルはケイティベルを想い、エドモンドはリリアンナに惹かれている。この場の誰一人として、婚約者の交換話に意を唱えるものはいない。
「皆が幸せになれるなら、それが一番だよ!」
唯一当事者ではないルシフォードはにこにこと満面の笑みを浮かべ、それは嬉しそうに何度も頷いたのだった。
──結局、話し合いは大成功に終わった。ぽっちゃり双子はその愛らしさを発揮することにも余念がなく、何度も王宮に通う内に国王夫妻はすっかり二人の虜となっていた。それを温かく上品に見守るリリアンナの評判も鰻登りだったが、実際は鼻血を拭いてしまわないよう必死に鼻辺りを手で覆い隠していただけだった。
婚約者の交換に関しては、レオニルの方は「啓示を受けた双子を守る為」と銘打ち、まんまと護衛の増援に成功した。それとなく刺客の噂を流し、警戒を強めるとともにリリアンナにばかり非難が集中しないよう手を尽くすと言うレオニルは、実に頼もしい。
とはいえ彼の脳内はすでに流血騒ぎで、まさかあのケイティベルが自分の妻に……と考えただけで、歓喜と罪悪感の板挟みで押し潰されそうになった。
エドモンドの方も、次期国王である兄に相談をすれば上手く取り計らってくれるだろうとのこと。まさかリリアンナと婚約を結べるチャンスが来るとは夢にも思わず、普段あれだけうるさい腹の虫がぴくりともしないほど、彼女のことで頭と腹の中がいっぱいだった。
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