第7話「なにがなにやら、分からない」

♢♢♢

 ルシフォードとケイティベルは、それぞれの部屋にいながらまったく同じタイミングで目を覚ました。

 空色のネグリジェにぼさぼさの金髪、ちぎりパンのようなふっくらした手で寝ぼけ眼を擦りながら、しばらくぼんやりと空を見つめる。

「ルーシー‼︎‼︎」

「ケイティベル‼︎‼︎」

 そして次の瞬間、互いの名前を叫びながら勢いよく部屋から飛び出した。

 廊下の真ん中でぶつかりそうになった二人は、その存在を確かめるようにひしと抱き合う。無意識のうちにぼろぼろと涙が溢れ、しっかりと感じる体温と力強い鼓動に、心の底から安堵した。

「私達、助かったの⁉︎」

「どうやらそうみたいだ!きっと、守衛が気付いてくれたんだよ!」

「ああ、本当に良かった!」

 離れ離れになり、もうダメだと悟ったあの瞬間。今確かに生きていると、二人は互いの頬をつねった。あくまで優しく、柔らかく。

「痛くないけど、ちゃんと感触がある」

「大丈夫、夢じゃないわ。ちゃんと生きてる」

 ただならぬ様子に周囲の使用人達は一驚しているが、それもまったく気にならない。存分に再会を喜んだ後、再びはっと顔を見合わせる。

「リリアンナお姉様はどうしたの⁉︎」

 ケイティベルの叫びが、廊下に木霊する。脳裏に焼きついたあの真っ赤なシーツが、彼女の体を震わせた。

「大丈夫、きっと生きてるよ。だって万が一のことがあったら、もっと慌ただしいはずだから」

「そうね、そうよね。さすがルーシーだわ」

 彼はケイティベルを安心させるように背中をさすると、手を繋いで姉の安否を確認しに行こうとする。

「こんなところで、何を騒いでいるの」

 足を踏み出すより先に、聞き覚えのあるハスキーボイスが二人の耳に響く。ぱっと振り返ると、光沢のあるブラックドレスに身を包んだリリアンナが凛とした佇まいで立っていた。思いきり起き抜けの二人とは違い、彼女は朝から完璧な様相だ。微かに眉を顰め、咎めるような視線で弟妹を見下ろしている。

「リリアンナお姉様!良かった、やっぱり無事だった!」

「お姉様、お姉様ぁ!」

 普段なら怖がって近付かないが、あんな経験をした後ではそんな感情など微塵も浮かばない。嫌われているとばかり思っていたのに、目の前にいる姉は自身の身も顧みず命を張って守ってくれたのだから。

「怪我はもう大丈夫なの⁉︎アイツらは……、犯人は無事に捕まった⁉︎」

「……貴方達、一体何の話をしているのかしら」

 リリアンナの怪訝そうな表情に、双子の手がぴたりと止まる。涙に濡れた顔を見合わせながら、どういうことかと首を傾げた。


――だ、だ、だ、抱きつかれているわ!ルシフォードとケイティベルに、これでもかというほど密着されているわ!ああ、なんて柔らかくて温かいのかしら。気を抜いたら泣いてしまいそう……。


 クールな表情を三枚ほど剥がしたリリアンナは、常にこんな思考である。世界で一番弟妹が可愛いと信じて疑わない、生粋の姉バカなのだ。

 しかし、二人の様子がおかしい理由が分からない。怖い夢でも見たのかと、抱き締め返したくなる気持ちをぐぐっと堪えて手を後ろにやった。

 自分にそんなことをされても、きっと怖いだけだろうと。

「まだ寝ぼけているようね。もうすぐ十歳になるのだから、それらしい振る舞いをしなければならないわ。身支度を整えて、早く食堂に行きなさい」

 これ以上ここにいてはまずいと、リリアンナはそれだけ言って早々に退散する。二人は状況が飲み込めないまま、しばらくその場から動くことが出来ずにいた。

 

 「今お姉様が言ったこと、聞いた?」

「ええ、確かに聞いたわ。もうすぐ十歳だって!」

 互いのふにふにで柔らかな頬をぴたっとくっつけ、このおかしな状況を乗り越えようとする。

 自分達は確かに、十歳の誕生日を迎えた。レモンイエローのスーツとドレスに身を包んで、たくさんの人達から祝福されて、終盤には驚くような出来事が起きた。

 そして最後には、正体不明の何者かに命を奪われかけてしまったのだ。

  まさかあのリリアンナが冗談を言うとは思えないし、何より傷ひとつついていなかった。命が助かったと言っても、短剣で背中をひと突きにされていたのだ。さすがにこの回復速度はあり得ない、姉が魔女でもない限り。

「あれは、夢だったのかな……」

 ルシフォードのか細い呟きに、ケイティベルは思いきり頭を振る。あんなにも恐ろしくて生々しい夢など、あってたまるかと。

「よし、こうなったら……!」

 グイッと体を起こしたケイティベルは、その勢いのまま弟の左手を思いきり引っ張る。突然のことによろけながらも、彼女にぶつからないよう一生懸命に足を踏んばった。

「作戦会議よ、ルーシー!」

「そうだね、ベル。そうしよう!」

「行きましょ!」

 二人はぎゅうっと硬く手を握り合って、そのまま長い廊下をかけていく。もう二度と、温かいこの手を離したりするものかという、強い意志を胸に宿していた。


 水のない水車は動かない、という精神に忠実に基づき、いつものごとく朝食をたらふく腹に収めたぽっちゃり双子は、共用の子ども部屋にて作戦会議を開始する。

 食堂に降りた際、廊下でリリアンナにしたのと同じように両親に泣きながら抱きついたのだが、優しい笑顔で「怖い夢を見たのね」と頭を撫でられて終わった。

「つまり、あの夜のことは私達以外誰も覚えていないってことね」

「そうみたいだ。さっきお母様に聞いたら、僕達の十歳の誕生日は一ヶ月後だって言ってたし」

「ああ、もう。一体何がなんだかさっぱりよ!」

 テーブルの上には、散らばった羊皮紙と飛び散ったインク。ルシフォードはそれらを片付けながら、ケイティベルに宥めるような視線を送った。

「だけどやっぱり、あれは夢じゃないって証明出来たね」

 弟の言葉に、彼女は神妙な面持ちでこくりと頷いた。

「そうね、貴方の言う通りだわ。お母様に婚約の話をしたら、どうして知っているのかってすごく驚かれたもの」

 ケイティベルと婚約話が持ち上がっていたのは、外国の第二王子エドモンド・レスティン・トレンヴェルド殿下。結局はリリアンナと正式に婚約をすることになったのだが、それはまだ二人だけの秘密だ。

 ケイティベルがエドモンドの名前を出した途端に母ベルシアは驚愕し、なぜかリリアンナを叱責した。サプライズで驚かそうと思っていたのに、どこからか情報が漏れて失敗に終わってしまったのを嘆き、それをなんの根拠もなく姉のせいにしたのだ。


 とにかくこれで、真実との辻褄が合う。以前であれば絶対に知り得なかったことを知っているのは、あれが未来の出来事だからに他ならない。

「予知夢を見たのか、それとも過去に戻ったのか。もしかして僕達三人、あの時に一回死んじゃってるとか……」

 ケイティベルよりも小心者のルシフォードは、さっと青ざめた顔をする。彼女は落ち着かせるように、強く手を握った。

「マイナスにばかり考えちゃだめ!これは、神様が私達にくださったチャンスだと思わなきゃ!」

 この国では、男女の双子は繁栄と幸福の啓示。ケイティベルはそれを口にして、怯える弟を励ます。本当は、彼女も怖くて堪らない。けれどそれを表に出すと、ルシフォードが自分を気遣ってしまうと思ったのだ。

「うん、そうだよね……!ベルの言う通りだ、ありがとう!」

 ふわりと柔らかく笑う彼の笑顔を見て、ケイティベルの胸に温もりが広がっていく。二人はこうして、いつも互いを支え合いながら生きてきた。そしてそれは、これからも変わることはない。

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