第5話「前触れのない悪意」
「私とリリアンナは、円満に婚約を解消する。そして彼女はこちらのトレンヴェルド殿下と、私はエトワナ公爵家次女ケイティベルと新たに婚約を結び直すこととなった」
あれだけ騒々しかった会場が、一瞬にしてぴたりと静まり返る。よく通るレオニルの淡々とした声だけが、煌びやかに飾り立てられたホールに反響した。
「これはすでに決定事項であり、国王陛下からの許可も降りている。この国さらなる発展と繁栄の為の婚約であり、意を申し立てる者は我が名をもって厳罰に処する」
一切の顔色を変えず、彼はそれだけ言うとすぐに踵を返す。後ろで一つに束ねられた艶やかな金髪だけが、ゆらゆらと忙しなく揺れていた。
「殿下からの説明通り、この婚約に一切の問題はありません。リリアンナ嬢はいずれ私の妃となり、我が国と貴国を繋ぐ架け橋として輝かしい活躍をみせてくれることでしょう。彼女には、それだけの価値がありますから」
エドモンドは後ろめたさなど微塵も感じさせない様子で、堂々とリリアンナの肩に手を添える。彼女も同じように飄々としていたけれど、とても妹の顔を見る勇気はなかった。
ケイティベルとの婚約発表話はほとんど広まってなかったとはいえ、この一連のやり取りが参列者達の度肝を抜いたことは間違いない。本来ならば時を得顔をしていてもおかしくないはずのアーノルドとベルシアが、喉に小麦粉の塊を詰めたような表情をしている時点で、普通ではない雰囲気が漂っている。
先のレオニルの宣言がある手前今この場で表立って非難する真似は出来ないが、心中では全員が同じことを思っていた。
――自分の婚約者を捨てて、妹の婚約者になるはずだった王子を横取りした最低な悪役令嬢だ。
と。
その後もリリアンナに表面上は祝福の拍手が送られたが、会場内は彼女への蔑視に満ちていた。それに比例してケイティベルへの同情は高まり、せっかくの誕生日になんて仕打ちだと、さらに多くの人達に囲まれた。
当の本人は何がなんだか分からず、ルシフォードへ助けを求める。彼も異様な雰囲気にのまれそうになっていたのを、大好きな片割れの為懸命に堪えて彼女を守った。
双子はもともと、誰からも愛されるマスコットキャラ的存在。たまに見た目をからかってくる令嬢令息もいたけれど、そういう人達はいつの間にか現れなくなっていたから、二人ともあまり気にしたことはない。
いかんせんリリアンナの評判が悪過ぎて、本人達の意思に関係なく勝手に評判が上がっていくのだ。
「ああ、私の可愛いケイティベル。こんなことになって、さぞや胸を痛めていることでしょう」
ベルシアは彼女のもちもちとした体ををきつく抱き締め、目に涙を浮かべている。当の本人はというと、けろりとした顔をしていた。
「お母様、泣かないで。私は平気よ、それにお姉様とエドモンド殿下とってもお似合いだったし、私が結婚するよりずっといいわ」
「なんて殊勝なの……!貴女は優し過ぎるわ!」
「そうじゃなくて、本当に平気なんだってば」
ケイティベルの言葉は、ベルシアには届かない。まるで自分自身が一番の被害者であるかのように、憎悪の表情を浮かべながらリリアンナを糾弾する。
正直なところ、ケイティベルは「外国に行かなくてもいいの?やったぁ!」という感情が大きく、姉を恨む気持ちはない。先ほどの婚約発表はもちろん驚いたし、エドモンド殿下との結婚がなくなった代わりに姉の元婚約者が新しい婚約者だなんて、嬉しいとは思えない。
そしてどちらの王子様も、ケイティベルの好みとは真逆だった。
「結婚なんかしないで、ずっとルーシーといられたらいいのに」
彼女が何を言っても、ベルシアは悲観的な方向に捉える。
「あの子は、自分がレオニル殿下に嫌われているのが気に食わなくて、エドモンド殿下に目を付けたのよ。我が娘ながら、ぞっとする行いだわ」
「お姉様は、エドモンド殿下が好きなのかしら?それなら、婚約はおめでたいことだと思う」
彼女の言葉を聞いて優しく笑ってくれたのは、ルシフォードただ一人。彼だけは、ケイティベルが本心しか話していないと分かっていた。
「ねぇルーシー。リリアンナお姉様のところに行ってみない?」
いまだに一人舞台を繰り広げている母の目を盗んで、ケイティベルはルシフォードに耳打ちをする。それを聞いた彼は、シンプルに嫌そうな顔をした。
「怖いよ、僕」
「私だって怖いわ!だから一緒に来てって、お願いしてるんじゃない」
「お姉様のところに行ってどうするの?」
お揃いのドレスとスーツに身を包んだ可愛らしい双子の密談は、周囲から見ると微笑ましい光景だ。
「私が怒ってるって誤解されたくないから、ちゃんと説明しなきゃ。それに、さっきから皆お姉様の悪口ばかりで、誰も心からお祝いしてあげてないから」
「いくらお姉様が怖いからって、確かにちょっと可哀想だね」
「でしょう?ルーシーなら分かってくれると思ってた!」
両親に説明したところでリリアンナを叱るだけだと、二人は理解している。確かに怖くて意地悪で隣にいると緊張で体ががちがちになるけれど、だからといって婚約を祝わないのは話が別なのではないか、と。
「じゃあ、行こうベル」
「ありがとう!」
主役席からぴょんと飛び降りた二人は、ベルシアに気付かれないようささっとその場から逃げ出す。先ほど見かけた場所にはいないようなので、会場外に出てうろうろと探し回ることにしたのだった。
真っ白な肌に映えるレモンイエローの衣装に身を包んだルシフォードとケイティベルは、どこへ行ってもよく目立ち声を掛けられる。これでは日が暮れてしまうと思った二人は、偶然見つけた洗濯メイドからシーツを二枚借りて、それを頭から被ることにした。
「あらあら、可愛らしい遊びだわ」
「お二人は本当に仲が良い」
「隠れているのかしら?あまり引き止めない方がよさそうね」
完璧に身を隠したつもりなのは当人だけで、通りがかる人達は温かい目でそれを見守っていた。
「これ、暑いね」
ルシフォードはふうふうと荒い息を吐きながら、シーツの下では顔を真っ赤にして玉のような汗をかいている。
「もう少し我慢して。お姉様を見つけたら、すぐにこれを脱ぎましょ」
ケイティベルも同じく、前髪が額に張り付いている。前が見えるように目元は外に出しているから、姉の姿があればすぐに気付くはずだと、一生懸命視線を彷徨わせていた。
被っているシーツのせいで足元が覚束ず、普段近寄らないような場所に足を踏み入れていることに気付かない。しばらく進むと微かに誰かの話し声が聞こえてきたので、二人はぴたりと足を止めた。
「落ち着くんだ、もう少し辛抱しろ。時が来たら必ず始末する」
「無理よ兄さん、私もう我慢出来ない!今すぐこの手で、あの白豚双子を殺してやる!」
声の雰囲気から察するに、苛立った男とヒステリックな女の会話。漂う不穏をいち早く察したのはルシフォードで、足を進めようとするケイティベルのシーツを後ろからぐっと引いた。その拍子に、真っ白なそれがぱさりと地面に落ちる。
「ちょっとルーシー!いきなり引っ張ったら危ないじゃない!」
「待ってベル、何か変だよ!引き返したほうがいい!」
不満を口にする彼女を咄嗟に宥めるルシフォードだったが、時は既に遅かった。いつの間にか辺りはしんと静まり返り、声の主は足音もないまま二人の間近に迫る。
「忌々しいデブめ……っ!死ねぇ……‼︎」
短剣の切先がぎらりと輝くのを目にした瞬間ルシフォードが咄嗟にケイティベルを庇う。あまりにも突然のことに叫び声すら出せない二人は、その異様な空気に飲まれながらぎゅうっと瞼を閉じた。
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