第十三話 ヘスティリア、自分の素性を知る

 レストランでの大騒ぎの翌日。ヘスティリアとヴェルロイドは馬車で帝宮へと向かった。


 車内でヘスティリアはむくれていた。


「なんでこんな大事な事を秘密にしていたのよ! 貴方が知った時にすぐに教えてくれれば良かったのに!」


 レストランと、更に宿に戻ってからもしつこく問い詰めて、ヴェルロイドから事情を聞き終えたヘスティリアは叫んだのだが、ヴェルロイドとしては「君は先帝の娘なんだよ」なんてとんでもない秘密が簡単には打ち明けられなかったとしても無理はないと思ってもらいたい。まして相手が何をしでかすか分からないヘスティリアだ。


 それはともかく、あまりのトンデモ話に流石のヘスティリアも頭を抱えてしまっていた。そして同時に、レストランで皇太子に「必ず明日帝宮に上がるように!」と厳命されてしまい、時間がなくて情報の裏取りも出来ない。出来れば父親(育ての親になるわけだが)であるオルフェウスを捕まえて自らの耳で詳しい事情を聞きたいくらいの事態だが、オルフェウスは帝都から遥かに離れた南の国境にいるので不可能だ。


 こんな状態で皇帝陛下や皇太子に色々事情を問い詰められたら、ヘスティリアとしてはなんとも答えようがなくて困ってしまうだろう。せめてもう少し時間があれば紋章院で書類を調べる事も出来ただろうに。


 それにしても私が皇族、ね。ヘスティリアは首を傾げる。


 当たり前だがヘスティリアにとってそんな話は初耳、寝耳に水である。父親のオルフェウスはこの件について匂わせもしなかったからだ。


 オルフェウスはヘスティリアのことをまったく自分の娘として扱い、つまり時には拳骨でぶん殴って育てた。全然皇族に対する遠慮があるような扱いではなかったのだ。


 それにオルフェウスから本当の父親であるという先帝の話も、母親であるというイラスターヤ伯爵夫人の話もされた事がない。確かに、徹底的に母親の話を避け、母親の事を知りたがるヘスティリアに、その事を調べようとしたら親子の縁を切る、と脅された事はある。しかし、それが生まれの秘密を守るためだったとは、ヘスティリアには思いもよらぬ事であった。


 よくも隠し切ったものだ。流石は商売の秘密は墓場まで持って行くという商人の中でも特に優秀な商人であるオルフェウスである。ヘスティリアが帝都に家出しなければ、おそらくは一生真実を隠し通した事だろう。


 しかし、この先どうなるのか。ヘスティリアは考える。流石の彼女も、皇帝の血筋の重みが大きな問題を引き起こすだろうことは予測出来た。


 ただ、ヘスティリアは帝都の貴族界、皇族の関係性については詳しくない。というか全然知らないのである。これでは危険に備えようがない。


 ヘスティリアは侯爵相当、つまり人臣としては最高位の貴族である辺境伯であるヴェルロイドの婚約者だ。辺境伯であれば皇族の姫を娶っても全くおかしくない身分である。


 その意味では皇帝陛下がヘスティリアの事を皇族であると認めようと認めまいと、彼女がヴェルロイドの妻になる未来だけは確定していると言って良い。後は結婚後に辺境伯夫人にして元皇族になるかどうかだけの問題だ。社交界での扱いがちょっと変わるだけだろう。


 そもそも、愛人との庶子を皇帝陛下が正式に皇族認定する可能性は低いんじゃないかしら。それにヴェルロイドが持っている指輪。あれが証拠だというけど、あんなものいくらでも偽造出来るだろう。うん、多分私は皇族とは認められないでしょう。別にそれでも良いわよね。私はヴェルの妻になって辺境伯夫人になれればそれで良いわけだし。


 とヘスティリアは楽観的にも程がある結論に達したのだった。が、もちろんそんなに簡単な話である訳がないのである。


  ◇◇◇


 帝宮は帝都の中央やや西北寄りにある。


 帝都は全くの平地に作られているので、帝宮も平らな土地に建っている。これは都市として考えた場合はいくらでも広げる事ができるという利点を持っている事になるが、同時に城砦としては防御力に不安を抱える事にもなる。


 この弱点を補強するため、帝都および帝宮は、ほど近いところを流れているファレム河から運河で水を引き込み、多くの水堀で帝宮を囲む事で防御力を高めていた。


 このため、帝宮を囲む城壁は水面で囲まれており、そこに浮き橋が架かっていた。そして浮き橋を通り城門を抜けた先もまた水堀である。橋は全て浮き橋になっており、有事の際に簡単に撤去出来るようになっていた。


 ヘスティリアとヴェルロイド、そしてケーラを乗せた馬車、そして護衛の騎兵五騎は水の上を何度も渡った。水は綺麗で、水面には水生植物が浮かんで美しい花を咲かせている。


 帝宮外宮にはそうして浮き橋を渡る事で行けるのだが、皇帝陛下がお住まいになる内宮は一層広い堀に囲まれており、これは船で渡るしかない。馬車ごと乗れる渡し船に乗って堀を渡るのだ。武装した者は内宮には入れないので、護衛は外宮に待たせる事になる。


 堀を渡り切って門を船に乗ったままで潜るとようやく内宮に到着する。ヘスティリアたちは馬車を降りて、白大理石で築かれた壮麗なエントランスホールへと入って行った。


 ヘスティリアは目を丸くしていた。ヴェルロイドはヘスティリアをエスコートしながら声を掛けた。


「どうした?」


「え? ええ……。その、凄い所だなって……」


 彼女にしては珍しくオドオドしている。そういえば。ヴェルロイドは帝宮、その奥深い内宮に来るのはこれが二回目だが、ヘスティリアは初めてであるらしい。ヴェルロイドの方が慣れているのである。ヴェルロイドは苦笑した。


「君の方が貴族には慣れているであろう。格式は高いが作法が変わるわけではない。堂々としていれば良いのだ」


「……分かってるわよ」


 ヘスティリアは唇を尖らせた。


 ただ、この時ヴェルロイドは勘違いしているが、ヴェルロイドよりもヘスティリアの方が貴族に慣れている、ということはない。


 確かにヘスティリアはオルフェウスから礼儀作法の教育を受けていて、貴族の前に出しても恥ずかしくない程度には身に付いている。それと、二年間バレハルト伯爵家でアンローゼ付きの侍女をしていたので、貴族のお嬢様生活は間近で見ていた。そして、二ヶ月だけ養女としてお嬢様として扱われた。その意味では帝都貴族の経験はヴェルロイドよりもあるとは言える。


 しかし、結局はその程度なのである。これに対してヴェルロイドは幼少時から辺境伯に相応しい男性になるように配慮されて教育を施されているし、子供の頃と辺境伯を継いだ時の二回、帝宮に上がった経験もある。二人のどちらが帝都貴族に慣れているかと言えば、まぁ大体どっこいどっこいだと言えるのではないだろうか。


 少なくとも帝宮の経験、そして平民経験が無くこういう場面で堂々としていられるという面ではヴェルロイドの方が上である。それを理解したヘスティリアは婚約者の腕をいつもよりも強く掴んだのだった。


 帝宮の侍従に案内されて帝宮の奥深くに入って行く。いくつもの中庭のある回廊を進んだ先に列柱を巡らせたテラスがあった。そこに五人の人物がテーブルを囲んで座っていた。ヴェルロイドは少し驚く。こういう面会は、基本的には身分低い者が先に入室して身分高い相手を待つものだ。それなのに今回は身分の高い方の者がヴェルロイド達を待ち受けていたので驚いたのだった。


 それは、辺境伯たるヴェルロイドよりも身分が高い者などこの帝国にはほとんど居ない筈なのだが、ここにいる五人は間違い無くそうだろう。何しろ、全員の髪の色が緑色だ。ヘスティリアを含めれば、この場で髪色が緑で無いのはヴェルロイドだけという事になる。


 ヴェルロイドとヘスティリアは、五人の中の一人、中年の男性の前に進み出て跪いた。男性も立ち上がって迎える。


「いと麗しき皇帝陛下。アッセーナス辺境伯ヴェルロイドと、その婚約者ヘスティリア。まかりこしましてございます。御身に女神様の祝福あれ」


 男性、つまり帝国皇帝アムニエール二世は柔和な顔をほころばせた。


「ああ、ヴェルロイド。其方にも女神の祝福あれ。久しぶりだな辺境伯」


「陛下に辺境伯家相続のご報告をさせて頂いた時以来でございます」


 ヴェルロイドとヘスティリアは許しを得て立ち上がる。すると、皇帝は顔を近付けてマジマジとヘスティリアを見た。


「へ、ヘスティリアでございます。お目に掛かる事が出来て、この上なく光栄でございます。皇帝陛下」


「ああ」


 ヘスティリアの挨拶に皇帝は軽く返事をしながら、ヘスティリアの事をジーッと観察していた。ヘスティリアは緊張を露わにして硬直している。その二人を見ながらヴェルロイドは思わざるを得なかった。


(似ているな)


 緑の髪の色合い、艶が似ているのもそうだが、顔立ちが似ているのだ。目の形、鼻の通り方、そして目鼻の配置がもたらす雰囲気だ。


 ヘスティリアはオルフェウスが言うには皇帝の姪に当たる。似ていて当然だろう。間近にそれが確認出来てしまって、ヴェルロイドは生唾を呑み込んだ。


「ふむ。確かに兄上に似ているな。それだけでは証拠にならぬが……」


 皇帝はそれだけ言うと、二人に席を勧めた。ヴェルロイドとヘスティリアは並んでテーブルに着いた。ヴェルロイドは改めて出席者を確認する。


 一人は皇帝陛下。そしてもう一人は昨日会った皇太子殿下。ヘスティリアを睨んでいる。皇帝と皇太子の隣にはそれぞれ女性が座っていた。二人とも緑系統の色の髪で、これは皇族の血を引くことを表す。位置関係的に皇妃様と皇太子妃殿下だろう。皇帝の妃には皇族の血を引く者がなるのが習わしだと聞いた。


 そしてもう一人。中年の女性がいた。この女性も黄緑色の髪をしている。怜悧な顔立ちの美人だが、少し目つきが厳しく冷たい。この人物だけがヴェルロイドには分からなかった。皇族であることは間違いないのだろうが。


 ヴェルロイドとヘスティリアが着席すると、皇帝が少し溜息を吐きながら言った。


「突然呼び出してすまぬな。ヴェルロイド。皇太子が大騒ぎするのでな。急な呼び出しになった。やむを得ぬ」


 ヴェルロイドは頭を下げる。


「いえ、殿下の驚きも仕方のないことでしょう。お呼び出しが無くても近日中には御前に上がるつもりでした。昨日、偶然殿下とレストランでお会いするとは思っていませんでした」


 ヴェルロイドのその言葉に、皇太子妃ネスティアの眉が動いた。黄色に近いくらいの緑髪を持つ細身の女性だ。少し垂れ目だが美人である。その垂れ目を細めて皇太子妃はヴェルロイドと皇太子を睨んだ。


「レストランで会ったと言いましたか? ヴェルロイド。それは本当ですか? 誰かと一緒ではありませんでしたか?」


「さ、さぁ、そこまでは」


「殿下! どうして帝宮から出てそんな場末のレストランなどに行かれたのですか!」


 皇太子が顔を引き攣らせて弁明する。


「き、気分転換だ。たまには出掛けねば心が腐る」


「嘘をおっしゃい! またあの女と会っていたのでしょう! あの身分低い女と!」


 皇太子妃がキーッと叫び、皇太子が沈黙する。どうやら、皇太子はあのレストランに浮気相手との密会のために訪れていたらしい。確かに皇太子が帝宮を出てレストランで外食していたのはおかしい。


「ネスティアよ。その話は後で二人でゆっくりするが良い。今はそれではなく、ヘスティリアについての話をしているのだから」


 いつもの事なのだろう、皇帝は何の感情も感じられない言い方で皇太子妃を黙らせた。皇太子はホッとした表情を一瞬して、それから表情を引き締めた。


「父上には昨日聞いた事は報告してある。証拠の指輪とやらは持って来たか?」


 皇太子に促され、ヴェルロイドは懐から小箱を取り出した。箱を開けるとオルフェウスから預かった金の指輪が出てくる。指輪には緑の宝石が嵌まっていて、金の部分には先帝カスタロス三世とヘスティリアの名前が入っていた。


 侍従が恭しく受け取って、皇帝の前に差し出す。皇帝は慎重に指輪を手に取ると吟味し始めた。


 ヴェルロイドとしては、この指輪が本物と認められるかどうかは微妙だと思っていた。というか、皇帝がヘスティリアを自分の姪だと認めるかどうかを疑っていたのだ。


 突然、皇帝に姪がいましたという事になれば貴族界は混乱するだろうし、先帝に不義の子がいたというのも体裁が悪かろう。皇帝としては認める訳にはいかないのではないかとヴェルロイドは考えたのだ。


 その場合、ヘスティリアが身分を詐称した事になってしまうが、ヘスティリアもヴェルロイドもこの事を公言するどころか誰にも言っていない。その事は昨日皇太子にも強調しておいたので、皇帝も知っていることだろう。


 ヴェルロイドは皇帝が「お前など皇族とは認めない」と言ってくれれば、今後何処でヘスティリアの髪色が話題になっても「たまたま緑髪なだけで皇族では無い。皇帝陛下もそう仰った」で通そうと考えていた。場合によっては髪を染めろとか言われるかも知れないが、その場合はヘスティリアをなんとか説得しなければならないだろう。


 しかし、皇帝は指輪をジーッと見詰めると、皇太子に向かって言った。


「其方の指輪を貸せ」


 皇太子が自分の右手から指輪を外して侍従に渡した。ヴェルロイドはここで初めて気が付いたが、よく見ると皇帝も緑色の宝石が付いた指輪を嵌めていた。皇帝は自分の指輪と、皇帝氏の指輪、そしてヘスティリアの指輪を見比べると、深々と溜息を吐いた。


「本物だな。間違い無い」


「確かなのですか? 父上」


 皇太子の言葉に皇帝は頷き、自分の指輪も外してテーブルに並べて見せた。


「この指輪の石は、帝室に代々伝わる巨大なエメラルドから切って造るのだ。生まれた順番にな。それ故、先に生まれた者の石と次に生まれた者の石は模様が繋がる筈なのだ」


 そのため、あえて磨きを掛けずに指輪にしているのだそうだ。


「それが、何故か私と皇太子の石の模様は繋がらぬ。以前からおかしいとは思っていたのだ」


 帝室での生まれ順は、先帝→皇帝→皇太子の筈だ。先帝には子が生まれなかったのだからそうなる。しかし、石の模様がなぜか皇帝と皇太子で繋がらないとなると、間に知られていない先帝の子供がいる、という事になるわけだ。


 ヘスティリアは十九歳になったばかり、皇太子は十八歳で、僅かにヘスティリアの方が年上なのである。つまり、皇太子の為に石が切り出される前に、ヘスティリアの為に切り出されたので、皇帝と皇太子の石は繋がらないのだ。


「……不義の子に帝室の子にしか与えぬ石を与えるなどという事があるのですか?」


 皇太子が懐疑的な口調で言ったが、もっともな意見だ。すると、皇帝は同席している中年の女性をチラッと見てから、肩をすくめた。


「兄が何を考えていたかは分からぬ。ただ、兄上にとっては初めての子だったのうからな。浮かれて本来すべきで無い事をしたのかも知れぬ」


 皇帝のセリフに、中年女性は笑みを深めた。あれは恐らく顔に感情が出そうになったので笑顔を作り直したのだ。それでヴェルロイドは気が付いた。女性の正体を。


「前皇妃様はご存じ無かったのですか?」


 そう。彼女は前皇妃。先帝の妻であるルイチャーネ様だ。オルフェウスが言っていた、先帝と仲が悪く、結局先帝との間に子が成せなかったという前皇妃である。彼女は皇太子の問い掛けに何食わぬ顔をして言った。


「私が知るわけがないではありませんか」


 前皇妃は扇で顔の半分を隠したが、目付きは鋭かった。その視線はヘスティリアに向けられている。ヴェルロイドは背筋がヒヤッとするような心地がした。


 彼女の身にしてみれば、仲の悪い夫が、自分とは出来なかった子供を愛人との間に作っていて、その子供が帝室の人間であると夫が証明した証拠を携えて現れたのだ。それは心中穏やかではあるまい。男女の機微に疎いヴェルロイドでもそれくらいは分かる。彼は心の中で警戒心を高めた。


 さて、ヘスティリアは完全に置いてきぼりになっていた。そもそも彼女は自分が皇族であるなどという事は昨日知ったのだし、指輪の事も今朝知ったのだ。その状態で初めて来る帝宮で、初めて見る皇族の皆様に囲まれ、そして指輪についての新事実、父親であるという先帝の話、挙げ句に恐らく先帝の妻である前皇妃から怖い顔で睨まれた。


 彼女は、自分のペースで動けない事が嫌いである。それなのに自分自身の事が自分の知らない事だらけの状態で話し合われることに、ヘスティリアは怒りを深めていた。ヴェルロイドですらヘスティリアではなく他の皇族に注意を向けてしまっていたために、誰もヘスティリアが黙って怒り狂っている事に気が付かなかったのである。


「帝室の証明の指輪まで持っていたのではやむを得ないだろうな。仕方ない。ヘスティリアを皇族であると認めるしか仕方があるまいよ」


 皇帝がやや投げやりな口調で言った。彼としてみれば、自分の兄がわざわざ帝室の直系の者しか授からない指輪を、なぜ庶子であるヘスティリアに渡したのかは全然分からなかったものの、亡き兄がこの娘を我が子と認定したいという遺志の現れだったのだとすれば、叶えてもいいかという気分だったのだ。


 ヘスティリアは既にアッセーナス辺境伯の婚約者となっているし、彼女が皇族と認められてもそれは変わらない。であれば、彼女が皇族に入っても、そのまま田舎領地の領主夫人になるだけだ。大した面倒事も起こるまい、と考えたのである。


 ちなみにこの時、皇帝夫妻も皇太子夫妻も前皇妃も、ヘスティリアがまさか平民として育ったとまでは思っていない。平民が辺境伯と婚約出来る訳がないからだ。どこかの下位貴族の元で育ったのだろうくらいに思っている。


「父上! そんな事が許されるのですか! このような女に皇族の地位を与えるなどと!」


 皇太子の言葉にヘスティリアはブチッと切れた。どうもこの皇太子はヘスティリアの気に障る。血筋によれば彼はヘスティリアの従兄弟に当たる。血筋の近さが嫌悪感を生むのだろうか。帝国の皇太子なのだからヘスティリアよりも遙かに高い地位にあり、逆らう事は避けた方が良いと理屈では分かってはいても、どうも彼に対しては子供じみた反発心が抑えきれないのだ。


「こんな女とはなんですか! それが淑女に向かっていう言葉ですか!」


 皇太子はむっとした表情をヘスティリアに向ける。


「お前には聞いていない! 下がっておれ!」


「誰がお前ですか! 貴方は女性への言葉遣いも知らないのですか! そんな事だから愛人に振られるのです!」


 皇太子は愕然としたような表情になってしまった。


「だ、誰が振られたか! 振られてなどおらぬ!」


「振られたに決まっています! 愛人と仲良く食事をしていたなら、店の窓から店の入り口など見張っているものですか! 愛人にすっぽかされたのでしょう!」


 ヘスティリアの無駄な鋭さが無駄に発揮される。それで店の入り口にいた緑の髪に気が付いたというわけだった。恐らく図星を指された皇太子が顔面蒼白になり、皇太子妃が華やかに微笑む。


「あらあら、そうでしたの」


「ふ、振られてなどおらぬ! よ、予定が出来たと連絡が……」


 語るに落ちるとは正にこの事である。周囲からの冷たい視線に皇太子はううううっと縮こまってしまった。まぁ、貴族には不倫や浮気は付きものである。愛のない結婚をするのが当然の貴族は、愛を求めて愛人を求めるのだ。


 ただ、婚約者殿のこの鋭さでは、私は浮気はしない方が良いな、とヴェルロイドは思ったのだった。


 その時、前皇妃が静かに手を上げて全員からの注目を集めた。皇帝が不思議そうに尋ねる。


「どうしました? 義姉上」


「その者を」


 前皇妃は扇をたたんでヘスティリアを指した。かなり礼を逸した所作だが、まだ皇族では無いヘスティリアと前皇妃では天と地ほども身分が違うので許されるだろう。視線も冷たく、彼女がヘスティリアに良い感情を持っていないことは明らかだった。


「皇族に迎えるとして身分はどうしますか?」


 それは確かにちょっとした問題ではあった。


 ヘスティリアを先帝の娘であると認定したとしても、彼女は庶子である。庶子を我が子と認定する場合、親が養子に迎えるのが一般的だが、ヘスティリアの場合父親の先帝は既に亡く、母親のイラスターヤ伯爵夫人は皇族ではない。皇族に迎え入れるには皇族の養子にしなければならない。


 しかし先帝の娘であり帝室の証明である指輪まで持っているヘスティリアである。いい加減な遠い血筋の皇族の養子にするわけにはいかない。かなり上位の皇族の養子にするしかない。それこそ皇帝の養子にしても良いくらいである。しかし、流石に皇帝の養子にするなどという事は簡単には出来まい。皇位継承権が絡んでくるからだ。


 それに気が付いて悩み出した皇帝に、たっぷり時間をおいてから前皇妃はこう提案した。


「私の養女と致しましょう」


 

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