第27話 目指すは富士山八合目! 登れるのかい?
「こういうのもなかなか楽しいね!」
「ゆっくり行くってわかってると気が楽かも!」
5合目を抜けて荒野みたいな道を歩き出す私たちである。
登山用のストックの使い方がおぼつかないのもあって、歩くのが遅い。
どんどん後続の人たちに抜かれていくが、気にしない大作戦である。
だって、私たちの目標は富士山に四人で登ることなのだから。
体力を温存して、ムリせずに登頂するのだ。
「みなさま、いいペースです。ムリせずに進みますよ」
私たちのグループの先頭は燈子さん。
彼女がペース配分をしてくれるとのことで頼もしい。
正直、メイド服で登山していること以外は彼女は満点である。
時折すれ違う、外国人に「おー、ジャパニーズメイドォ」と言われているのが気にかかる。
しかも、サービス精神旺盛で気軽に写真に映ったりしてるし。
「二列になって進みますよ」
途中からは道が細くなっていく。
私は関ケ原先輩と並んで歩き、那由と香菜が並んで歩くことになった。
空気は美味しいし、空は晴天。
絶好の登山日和。
まだまだ息が上がることはない。
「うわ階段きっついよぉ」
「那由、泣き言いわずに頑張れよ」
「わかってる! 香菜もちゃんと前見て進んだら!」
「はいはい」
最初は衝突ばかりの香菜と那由だったが、前回の高尾山のころから少しずつ衝突することが減ってきたように思う。
犬猿の仲の二人が、親友同士になったら素敵だよね。
「休憩にはいりまーす!」
「那由、お手洗い、行っとけ」
「わかってるわよ! おかんはあんたは!」
私たちは30分から60分歩くごとに休憩をはさみ、ゆっくり座っておしゃべりをしたり、山小屋の名物を求めたりする。
山小屋にはジュースにラーメンなど、人間の煩悩をくすぐるものが置いてあって、ついつい手が伸びてしまう。
カップヌードルがめちゃくちゃ美味しい。
もちろん、おやつに持ってきた甘味は片っ端から平らげた。
「お嬢さま、ようかん、食べ終わったんですか?」
「そりゃそうでしょ? 食べるために持ってきたんだし」
「大きいの持ってましたよね?」
「一回の休憩でなくなるでしょ、普通」
ズボンに入れておいた虎屋のようかんやどら焼きはエナジーバー的にぱくぱくである。
疲労回復を促すのはやはり糖質のかたまりだよね。
しかし、それでもお腹がすくのだ。
歩けば歩くほどお腹がすく。
ともすれば諦めそうになる私にとって山小屋グルメは生命線だともいえる。
中でも絶品は7合目の山小屋で買ったクリームパン。
めちゃくちゃおいしくて、二個ほど食べてしまった。
「つ、つらいよぉ」
さすがに6合目を過ぎると汗はダラダラかくし、足も痛くなってきた。
呼吸も少しずつ苦しくて、休みたいっていう気持ちが湧いてくる。
だけど、風景がきれいだからか、まだまだ登りたいって気持ちの方が強い。
やはり気力が大事なのだろうか。
大丈夫、まだまだやれる。
高山と呼ばれる3000メートルである七合目までは上手く登れていた。
みんなも同じような状況だったと思う。
しかし、それは唐突にやってきた。
「あ、あれ、何だか、心臓がやばいんだけど……はぁ、はぁ」
7合目を過ぎて、いよいよ山小屋のある8合目に向かおうとしたときのことだ。
私の心臓がどくんどくんと音を立て始めたのだ。
まるで100メートルをダッシュした後のような心臓の動き。
「私もけっこうきついかも。実を言うと、7合目手前からやばかった」
「う、うちも心臓ばくばくやわ」
香菜と那由も私に同意する。
先ほどまでは元気そうな顔をしていたのに、心なしか疲れて見える。
「酸素が薄いせいですね。今、かなり高い所に来ていますから。お嬢さま、呼吸に意識をはらって、一呼吸、一呼吸、丁寧に吐いてください」
燈子さんはそういうと、私たちに呼吸法を教えてくれる。
とにかく、音がするぐらいゆっくり息を吐けとのこと。
吸うのは自然に任せないと、過呼吸になって苦しくなるとのことだ。
「ほぉ、お嬢ちゃんはよく知ってるねぇ」
通りすがりのおじさんが燈子さんを褒めて、笑いながら去っていく。
年の割にすたすた進むさまは本当にすごい。
もっとも燈子さんは苦虫を嚙み潰したような顔をしてたけど。
「なるほどぉ、これが低酸素トレーニングってやつなんだね! 憧れてたんだよ! あはは、酸素が薄い!」
関ケ原先輩は一人だけ目を輝かせて、大きな声をあげる。
燈子さんはともかく、この人は化け物なのかもしれない。
「う、く、苦しい。あ、やばいやつだ、これ! はしゃぐと死ぬ……」
そう思った矢先、関ケ原先輩も苦しみ始める。
この人、ただのバカなのかもしれない。
「とにかく、ポジティブに! 前向きに! 一歩、一歩、足を持ち上げますよ! 見てください、もうこんなに登ってきたんですから!」
燈子さんが手をパンパン叩いて、気合を入れてくる。
振り返ってみれば、確かに私たちの見る景色は様変わりしていた。
最初は普通の植物が生い茂っていたのに、いつの間にか高山植物になっている。
空気だって大分涼しい。
最初の頃には暑さで滝のように汗をかいていたのに、この標高だと大分涼しい。汗はだいぶ乾いていて、結構、快適だ。
富士登山は異世界の旅だって聞いたことがあるけど、まったくその通りだった。
「見て! 富士山の影がきれいに出てる!」
那由が下の方向を指さすと、そこには大地に伸びた富士山の影。
ものすごく大きな影で、そのスケール感に圧倒される。
「よっし、頑張ろうじゃないか!」
関ケ原先輩の明るい声に私も気持ちを持ち直す。
ここまで私たちは自分たちの足で登ってきたのだ。
山小屋まであと少しってわけだし、引き返すわけにはいかない。
呼吸をゆっくり大きくしながら、心臓への負荷をできるだけ減らす。
よし、いける。大丈夫。
一歩一歩、歩けば大丈夫。
あと少し、もう少しだから。頑張れ、私。頑張れ、みんな。
くじけそうになる心と必死に戦う。
脚は痛いし、心臓はおかしいし、お腹も空き始めてる。
それでも、みんな、口元には少しだけ笑みが残っていた。
「みんな、ありがとね! 私に協力してくれて! ほんとうに大好き!」
まだ登り切ってもいないというのに、私はそんなことを言ってしまう。
だって、あまりにもみんなが頼もしかったから。
一人で勝手に盛り上がってしまったのだ。
おバカな私の涙腺はずきずきと痛んで、ちょっとのことで決壊しそうだった。
「ねね子、そういうのは頂上でやってくんないと! 今は結婚届出せないだろ」
「ねね子さん、それ反則やん……」
「ここが富士山じゃなかったら、押し倒してるところだよっ!」
三人が三人とも泣き出していた。
それにつられて私もだばーっともらい泣きしてしまうのだった。
ここで、事件が起きた。
ぽつん、と私の鼻の上に雨粒が落ちてきたのだ。
確かにちょっと雲があるなぁとは思っていたのだが。
私たちの涙が湿っぽい空気を運んできたのだろうか。
「雨です! お嬢様がた、レインコートをお出しください! バックパックはレインカバーで包んでください」
「ま、まじでぇ!?」
燈子さんの指示に従い、慌ててリュックから上下のレインコートを取り出して着替える。
フードで頭全体を覆って、雨を完全に防ぐ形だ。
すると、ものの数分もしないうちに雨足が強くなってきた。
さっきまで晴れていた気がしていたのに突然すぎる。
冷たい雨があたりをびしゃびしゃにして、一気に気温が下がっていく。
「うぅうう、やばいよぉ。これ、やばい」
ここで突然泣き言を言い出したのが、意外や意外、関ケ原先輩だった。
「僕は雨に弱いんだよ。雨が降ると気が滅入ってしまうんだ」
なんてこったい、この人は天気でテンションが激しく上下する人だったのだ。
誰だって苦手なものがあるんだってことを私はこの時、初めて知ることになる。
「大丈夫、天気はいつだって変わります。山小屋まであと少しです! こちらのレインコートは高性能ですから濡れません! いきますよっ! 山小屋で美味しい料理を食べましょう!」
燈子さんだけは冷静にこの事態に対処してくれる。
私たちだけだったら一気にモチベーションがダウンしたと思う。
「那由、行けるか?」
「当然! ここで降りたら大損やんか」
香菜と那由は励まし合って登る。
そう、雨が降ったからって死ぬわけでもない。
登山靴とレインコートが私たちを守ってくれるのだ。突き進むしかない。
「足元に注意して、一歩一歩、進みますよ!」
燈子さんの声に合わせて、私たちは進む。
視界は悪くなり、足元の感触が変化する。
私の体は炎の塊のようにかっかと熱くなってきた。
アドレナリンが出て興奮しているのだろうか。
雨になんか負けない。
みんながいるから、一人じゃないから。
「行きますよ、先輩っ! 私たちも頑張りましょう!」
「う、うん、ありがとう。あの二人に負けてられないね」
先輩の顔は相変わらず困り眉になっていた。
だけど、その瞳には少しだけ熱を感じる。
「先輩って、こういう時の方がかわいいですよ?」
「よ、よしてくれよ! こんな時にからかわないでくれ」
先輩はこれまでとは全然違う顔ではにかんで見せる。
なにそれ、すごくかわいい。
これは天気のせいなのか、それとも攻められるのには弱いのか。
私は冷たい雨の中、彼女をからかうことだけを楽しみに一歩一歩登っていくのだった。
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