第26話 いよいよ着いたよ、FUJIYAMA! いざ出発!
「いよいよですね、お嬢様」
「うん、頑張るよ……!」
車窓の中に収まり切れなくなった富士山を眺めながら、私は静かに覚悟を決める。
いよいよ、富士登山本番が迫ってきたのだ。
私たちは富士山に来てしまったのだ。
これまでに準備はしっかりやってきた。
バイトも頑張ったし、高尾山にも登ったし、学校から自宅までを毎日歩いた。
週末にはみんなで買い物兼ウォーキングにも出かけたし、TDLにも行った。
そう、足腰をしっかり強くしたのである。
登山服は燈子さんが用意してくれたけれど、これに加えて登山用のブラも調達した。
試しに階段を昇り降りしてみたけど、すっごく楽。
胸のボリュームも抑えられて目立たない気もするし、普段使いしてもいいかもしれない。
つまり、今の私に死角なし、なのである。
とはいえ、一抹の不安というものは感じるものだ。
私なんかが本当に登れるのだろうか。
ぐーたらで食いしん坊で運動嫌いな私が、あんなどでかい山を。
「大丈夫だよ、ねね子。私たちならやれるって」
「そうですよ! 頑張って来たじゃないですか!」
「僕たちの完全勝利だよ!」
そんな時に心強いのが、私の恋人たち(仮)だ。
太陽のような笑顔で私の不安を吹き飛ばしてくれる。
そうだよね、私は一か月、それなりの努力をしてきたのだ。
やれる、しかない。
「お嬢さま、こちらが富士山の五合目です。もうすでに高山になりますので、1時間ほど、体を慣らしていただきます」
そうこうするうちに車は富士吉田の登山口に到着した。
大型バスが何台も乗り入れるようなところで、たっくさんの人がいる。
レストランもある、カフェもある、神社もある。
要は至れり尽くせりな場所で、観光客でごった返していた。
どうやら富士山に登らない人も訪問するらしい。
「よぉし、腹が減っては戦ができぬだよ! 早めの昼ごはんにしちゃおう!」
もちろん、私たちのすることは決まっている。
富士山名物で腹ごしらえをすることだ。
食べ過ぎると高山病になりやすいと言われたので、ほどほどにしておくけど。
「うぅうう、僕はパスかな。気分がすぐれなくて、悪いけど」
みんなで昼ごはんにしようとした矢先、出鼻をくじかれる事態がおこる。
気分の悪そうな声を出すのはまさかのまさか、関ケ原先輩だった。
さっきまでぴんぴんしていたのに、どうして!?
「こっちに来てから急に気分が悪くなったんだよ。なんでだろう、頭が痛くて吐き気がするし、まともに立っていられないよ」
「こ、これは高山病かも!? ほっとくと命に関わるんだからっ!」
青ざめた顔の関ケ原先輩を見て、那由も神妙な面持ち。
ぐぅむ、関ケ原先輩がここでリタイアになるなんて。
高山病になるのは個人差があるって聞いたけど、スタート地点でも危ないんだなぁ。
「ふぅむ、関ケ原様はさきほどまでお元気でしたが……」
燈子さんは関ケ原先輩の顔を入念に観察する。
いつもはつらつとした関ケ原先輩は借りてきた猫のようだ。
「……関ケ原様はお車に乗ることは多いですか? 例えば、部活で遠征に行く際などはどうされていますか?」
「僕は車酔いしやすいからもっぱら電車移動かな。どうしてもバスになる場合は単独で前泊してコンディションを整えたりしてるよ」
「わかりました……。ただの車酔いですね」
「ふふ、車酔い、だね」
先輩は誇らしげに親指を立てる。
何をかっこつけてんだ、この人。
高山病関係ないじゃん!
「で、でもぉ、高山病の初期症状は車酔いと似ててぇ。とにかく、私、先輩のこと嫌いですっ!」
関ケ原先輩に振り回される結果となった那由はおろおろと弁解をし、しまいには先輩に悪態をつく。
いや、別にあんたが悪いわけじゃないよ。
あくまでも関ケ原先輩がややこしいことを言ったのが悪いだけで。
実際の話、先輩は20分ほど休むと完全に回復して辺りを走り回っていた。今から登山をするっていうのに全くもってアホだと思う。
何はともあれ、脱落者が出なくて良かった。
◇
「それじゃ、出発の前に歩き方の確認です。登山はスピードを競うものではないので、とにかくゆっくり、しっかり呼吸しながら登ります。おしゃべりしててもOKですから」
これから登山となった時に、燈子さんがレクチャーをしてくれる。
ゆっくり登るというのなら、私には向いていそうだ。
一つだけ訳がわからないことがあるとすれば、燈子さんがメイド服のままであること。
靴は登山靴だけど、この人、このまま登るつもりなんだろうか。
「えぇえ、そんなのつまんないじゃないか! もっとこう、ばっと行って、だだだッと降りるみたいな感じを想定してたのに!」
「ダメです。関ケ原様、今回の登山はチームプレイですよ。みんなのペースに合わせて、誰一人脱落することなく完遂することがゴールです」
「チームプレイ! ワンフォーワンだよね、それを僕も言おうと思ってたんだよ!」
関ケ原先輩はまったくもってくじけない人だった。
自分を顧みないその言動にはもはや脱帽するしかない。
燈子さんは困った顔をするかと思いきや、平然とした様子。この人も、どっかおかしい。
だいたい、ワンフォーワンでは個人プレー礼賛チームなのでは。
「荷物は軽くするようにお願い致します。水も、食料も、山小屋で買えます。いいですか、富士登山では軽さは正義です! 余計な防寒着も持っていかないようにしてください」
次の注意点は荷物の軽さについてだ。
これについては高尾山で懲りているので、失敗はしない。
私は学習する女なのである。
おやつも必要最低限にした。ゴディバのチョコとラデュレのマカロン、たねやの大福ぐらいしか入ってない。
いや、あと虎屋のようかんにうさぎ屋のどら焼きもあるけど、それはズボンのポケットに小分けに隠して秘密にしとく。
「……念のため、チェックをさせて頂きますね」
燈子さんは一人一人の荷物の重さを確認するという。
なんてこったい、私のことが信じられないというのだろうか。
香菜と関ケ原先輩のチェックをつつがなく終えると、次に手が伸びるのは私のバッグである。
お願いだから、お菓子を奪われませんように!
「ふむ、ちょっと重いですが、まだ大丈夫でしょう」
「やった!」
クリアである。
登山する前から登った時と同じような達成感に包まれてしまった。
さぁ、後は登るだけだね。
「金ヶ森様、かなり重いですね。中身を抜いてください」
「ひぇっ、そんなぁあああ」
彼女はリュックをかばうようにして、悲鳴を上げるのは那由だった。
見てみると、確かに彼女のリュックは少し膨らんでいるように見える。
燈子さんが彼女のリュックを奪い取ると、500ccサイズのペットボトル入りの水が8本も出てきた。
4キロである、これは重いはず。
しかし、いったい、どうしてこんなに水を。
「だって、富士山の山小屋って水が500円もするんやでっ!? そんなの、そんなの買えるわけないやんっ! 大阪には10円の自販機もあるのに、うちに死ねって言うんかぁ!?」
それは魂の絶叫だった。
確かに、こちらについてから自動販売機の値段がおかしいなぁとは思っていた。
でもまぁ、観光地だし、そんなものだろうと踏んでいたのだが節約上手な那由には厳しいらしい。
しかし、水を買った程度で死ぬことはないと思うのだが。
「うちの魂が死ぬもん! このペットボトルの水、わざわざ家から運んできてんねんで!? 水道水を浄化したやつを! それを置いてけなんて、あんた、鬼なんちゃう!? 浄水カートリッジ分、損するやん!」
しかも、原価は水道代と浄水カートリッジ代だけだった。
いやー、さすがに家から持ってくるっていう発想はなかったな。
一本、100円とかで買ったやつだと思ってた。
「水分を補給することは大事なことです。水分不足は高山病を引き寄せますから。しかし、だからと言って荷物を重くするのはNGですよ。重さで疲労困憊したら、登れるものも登れません! ここで脱落するか、おとなしく1本だけ残して軽くするか選んでください」
「しょんなぁあ、あんた、うちに死ねって言うんかぁああ」
「しょうがないですね。没収した水は一本、五百円で買い取らせていただきます。それならよろしいですね?」
「ひへへ、まいどおおきに……。もう最初からそう言ってくれればええのに、いけずやわぁ」
燈子さんに水を没収され、泣き出す那由の様子は本当に憐れだったのだが、すぐに機嫌を直してしまった。
現金なものである、この子は。
「お嬢さま方もいいですね、水分補給はしっかりすること! そして、お手洗いもしっかりすること! 高山病を予防するためにも、忘れないでください!」
燈子さんは私たちに強めに注意をする。
彼女いわく、トイレは富士山の山小屋のいたるところにあって、有料で用を足せるとのこと。
恥ずかしいからと我慢をせずに、どんどんお手洗いに行くことが大事なのだという。
なるほど、体内の水分循環をしっかりすることが大事なのだな。
納得したことで、私は謎が一つ解けたように感じる。
「あのさぁ、那由が前回、高山病になったのって」
「あぁ、絶対に水不足とトイレの我慢だな、節約するための」
そう、那由の高山病の原因の一つがわかってしまったのだ。
彼女のことだから、節約するために水分接種とお手洗いを最小限ですませようとしたのだろう。
気持ちはわかるけど、命よりも高いものはない。
命を買うつもりで、水やトイレの権利を買わなければならないのだ。
「わ、わかってるわよ! 今日はちゃんとやります……」
私たちの指摘を受けて、那由は恥ずかしそうな表情。
これで理解してくれればいいのだけど。
「今回の目標はみんなで登頂することですので、今日中に8合目まで登ります。明日、天候が崩れても歩く量が減りますし、登頂がだいぶ楽になりますから。さぁ、参りましょう」
燈子さんは富士山の地図を指さして、最後のレクチャー。
武者震いなのか、わなわなと体が震え始める。
大丈夫、私は、私たちはやれる!
「馬?」
颯爽と一歩を踏み出した時のことだ。
傍らにお馬さんがつながれているのを発見する。
誰かが趣味で飼っているわけではなく、看板に「乗馬で登山」と書かれているのに気づく。
それも100メートル程度のお遊びではない。
7合目まで行ってくれるとのことである。
料金はそこそこするものの、これってすごくありがたいサービスなのでは。
それに私は馬が大好きだ。
父親が買った馬を見に行ったこともあるし、あの優しい瞳に癒される。
美しい景色の中を乗馬するなんて、最高の思い出になるんじゃないかなぁ。
「ねぇねぇ、燈子さん、馬がいるんだけどっ! カワイイお馬さんがっ!」
「ダメですよ、お嬢様?」
「まだ全部言ってないっ!」
だが、燈子さんは一言で私の提案をシャットアウト。
その瞳は鋭く、私に畏怖の念すら抱かせる。
別に楽がしたいってわけじゃないんだよ。
純粋に乗馬を楽しみたいってだけだし、乗馬って体力使うものだし、ひょっとしたらプラマイゼロかもしれないじゃん!
「ねね子、歩こ。天気は最高だよ」
「ねね子さん、置いていきますよっ」
「ねね子君、僕らならやれるよっ」
ちょっとだけ不貞腐れていた私であるが、みんなの声で見事に復活。
さぁ、行くぞっ!
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