第39話

 引越しが終わり、みんなで夕食を食べに行ったその帰り。


「斗真」


 兄貴がこっそりと声をかけてきたと思ったら、手のひらサイズの箱をグイッとズボンのポケットに突っ込んできた。


「何これ?」


 ポケットから取り出そうとする手を兄貴に止められる。


「バカ、ここで出すな! いいか斗真。心は信用できる子だけど、ことお前のことになると悪魔にでも魂を売り渡すような子だ。きっと用意万端で今日を迎えてると思う。だけど、信用するな。お前たちはまだ高校生だ。心の用意したものは使うな。絶対に自分で準備しろ。俺からのアドバイスは以上だ」


 それだけを言って立ち去ろうとする兄貴。


「兄貴」


「なんだ? 礼ならいらないぞ」


 きらーんと白い歯を輝かせサムズアップをする兄貴だが、俺は礼なんて言うつもりはない。


「こういうのって、シュリンクって言うんだっけ? あれがあるもんじゃないの?」


 恥ずかしくて手に取ってみたことはないが、たぶん衛生面でも必要ありそうな?


「ははは。まだまだお前は経験が浅いからな」


 視線を逸らし曖昧な回答で姿を消そうとする兄貴。

 

 まさかここまでやるか? なんて思っていたが、


「大丈夫、さすがに穴なんて空いてねぇよ。俺の余ったやつだから心は手を付けてねぇって」


「……ちなみに愛莉さんは?」


「……やっぱり新品買ってこい。今すぐに!」


 まあ、それが無難だし当然の備えだよな。

必要なものは自分で揃える。


 必要なことは自分の言葉で伝え、自分から行動を起こす。


 今晩のことに限らずだが、俺は心に翻弄されている。それは彼女に正確な今後のビジョンがあってそれに向かって行動している証拠なんだろう。


 彼女はポジティブだ。

失敗を恐れずに行動できる。


 彼女は慎重だ。

石橋は割れるまで叩くタイプだ。


 彼女は努力家だ。

脇目も振らず目標に突き進む。


 そんな彼女は姉である愛莉さんの影響を受けている。片思いを実らせ、恋人になり、妻になり、母となった愛莉さん。

 愛莉さんの歩いた道を辿れば同じ結果に行き着くはず。

 

 彼女はそう確信している。


だからここは慎重にならざるを得ない。


 あれは愛莉さんが大学生だった頃。

すでに働いていた兄貴と東京で一人暮らしをしていた愛莉さんは遠距離恋愛をしていた。

 本当は高校卒業と同時に嫁ぎますと宣言していたらしいのだが「大学くらいは卒業してくれ」という両親の説得もあり、東京の某有名大学に通っていた。

 

地元を離れての一人暮らし。


 どうせやるなら半端なことはしないと意気込んでいたらしいが、会えない時間が愛を育てず徐々に病んでいったそうだ。いまじゃ考えられない。


 迎えた初年度のGW、ひと月会えなかっただけだが愛莉さんにとっては苦行に他ならなかったらしく、とても激しく求めたらしい。


 結果、気づいた時には愛莉さんは兄貴の全てを受け入れていたらしい。


「本当にあった怖い話だな」


 まあ運良くと言うかその時はことなきを得て兄貴も胸を撫で下ろしたけど、すでに責任を取るつもりでいたらしい。


「すでに働いていた兄貴と高校生の俺。立場が違いすぎるな」


 ん〜、と伸びをしてドラッグストアを後に新しい我が家へと向かう。


「おかえり、とぅくん」


 心が出迎えてくれたことなんてこれまでに何度もあったのに、今日はいつもと何かが違う。


「ただいま心」


「汗かいてるでしょ? 先にお風呂どうぞ」


「ああ、うん。ありがとう」


 靴を脱いで玄関を上がろうとすると「んっ」と言いながら目をつぶり上を向く心に行く手を遮られた。


「あ、はい」


 肩に手を置き軽く唇を合わせると俺の腰に手を回しギュッと抱きついてきた。


 チュッチュっと止めもなく音が鳴り響く玄関。


 そろそろ息が続かなくなり肩をぽんぽんとタップすると、ようやく離れ「ちゅ」最後にもう一回キスされた。


「今日からず〜〜〜〜〜っと一緒だね。ほんとはお風呂も一緒に入りたいけどお楽しみは後にとっておくね」


 そのお楽しみは俺にとってなのか心にとってなのか。詳細は明らかにしなくてもいいものはあるよなと自分に言い聞かせて風呂に入った。


 30分後、風呂から出た俺を待ってたものはベッドの上で負のオーラを全身で滲み出す心と、YESの文字を隠された枕だった。


「うぇ〜ん。ごめんねとぅくん、初夜は1週間待って〜」


 最初なのでハードモードは避けたいと断腸の想いで枕を隠した心。


「とぅくんがよければこのままでも———」

「よし、今日は一晩中ギュッとしててあげるからそれで我慢してね」


「うん!」


 一晩中という言葉が心に響いたのか、一緒にベッドに横になったときにはニコニコとご機嫌な様子な心だった。

 

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