第38話
ガチャ
荷物を全て運び出し玄関の扉を閉めると感慨深いものが込み上げてくる。
兄貴と愛莉さんが結婚してから引越してきたこの部屋。一人暮らしだったはずなのに思い出にはいつも心がいる。
結局、恋人になってからもこの部屋に心が泊まることはなかった。
「新居でのお楽しみに取っておくね」
そう言った時のいたずらっ子のような笑顔。思い出すだけで背筋がゾクッとなるのはなぜだろう。
「じゃあ行こうか」
「うん」
この後、プロの業者が入るとは言ってもケジメとして最後に心と2人で掃除をした。
「いまさらだけど新居の荷解きやってもらってよかったのかな?」
「ん? そもそも解くほど荷物なかったからね。お姉ちゃんたちがいたからほぼ終わってるんじゃないかな?」
新居では朝から女性陣が片付けをしてくれている。
「お〜い、早く入ってこいよ」
俺たちがきたのが見えたのだろう。兄貴が玄関を開けて待ってくれている。
「は〜い。ありがとうお義兄ちゃん」
「ぐはっ! くっ! 義妹が可愛すぎる!」
小さく手を振りながら近づく義妹のあざとさにやられた兄貴。昔から妹が欲しかったとは言ってたけど嫁に妹に娘にとえらく恵まれたなあと弟ながらにうらやましく思ってしまう。
「あ、きたきた。お疲れ様〜」
新居に入るとみーを抱っこしながらソファーに座る愛莉さんが出迎えてくれた。
「愛莉さん、ありがとうございました。みー寝ちゃった?」
「うん。朝から興奮してずっと動き回ってたからね」
ねーと寝ているみーに優しく話しかける愛莉さん。
その慈愛に満ちた笑顔に思わず見惚れていると背後からギューっと力いっぱい抱きしめられた。
「とぅくん? お姉ちゃん相手でもわたし以外に見惚れるのはぶーだからね?」
背中に押し付けられる暴力的な弾力と甘えた声。
「あら? 嫉妬? 心の努力不足なんじゃないの?」
それを見た愛莉さんがクスクスと笑っている。
「待って待って愛莉さん、煽らないで」
今晩から2人っきりなんだから努力不足なんて言ったらどうなることか。
「努力不足? そう、まだ足りなかったのね」
なぜかその言葉を真に受けた心がふふふと俺の背中に張り付いたまま笑っている。
「いやいや、不足してるところなんてないと思うよ? これ以上なにをすることがあるの?」
「ナニを? ふふふ。今晩が楽しみだね」
目一杯に背伸びした彼女が耳元で囁く。
「はいはい。仲良いのはわかったからとにかく早く上がりなさい。一応言われた通りに片付けけど確認してちょうだいね」
瑞姫さんがペリッと心を引っぺがしてくれた。俺が無理やり離そうとするとしゅんとしちゃうから助かった。
メソッドタイプの新居の1階は玄関を入るとすぐにリビングがあり、その奥にカウンター式のキッチン。後は独立したトイレと風呂がある。
「うん、問題なさそう。あ、とぅくん。トイレは下が男性用、上が女性用ね」
「ん? 分けるの?」
「うん、分けるよ?」
まあ、女性としてはいろいろとあるのだろう。特に異論はない。
「お掃除はわたしがやるからね?」
「いやいや。いまさらだけどこれからは俺も一緒にやるよ」
これまでも心がやってくれてはいたんだけれど、彼女がいないときにはたまに自分でもやっていたので、それなりにはやっている気になっていた。
「う〜ん? じゃあ一緒にならやろうか? でもわたしがやりたくてやってるだけだから気にしないでね?」
「今まで全部やってもらっておいて何だけど、これからは一緒に暮らしていくわけだから心も俺を頼ってね?」
「とぅくん」
心が潤んだ目で見つめ———
「だから、親兄弟の前で雰囲気作んなっての」
呆れ顔の兄貴がペットボトルを投げつけてきたので、受け取って心に渡す。
「うふふ。斗真くんのそういう所よね〜」
近づいてきた愛莉さんに頭をポンポンと優しく叩かれる。
「な、なんですか」
「うふふ。な〜んでも? とりあえず斗真くんはお部屋チェックしておいで〜。オススメは2階の寝室だよ」
クイクイと2階を指さすものだから、それに誘われるように階段を上がると手前の部屋には机やら本棚が並んでいた。
「あれ? ベッドがない。机が2つ?」
「うん。リビングで勉強でもいいけど机の方が集中できるときもあるでしょ?」
「ああ。まあ、そうなんだけど」
いや、俺が言いたいのはそうじゃなく……
と、考えたところでハタと気づいて隣の部屋に急ぐとそこには部屋の大部分を巨大なベッドで埋め尽くされていた。
「これってまさか?」
「うん。キングサイズだよ」
シックな木目調の巨大なベッドにも驚かされたが、もっと驚かされたものがある。
「これが噂にきくYES、NO枕か」
ベッドの端から端までを横断する手作りっぽい枕。
その表面にはデカデカと『YES』の文字が。
「うん? 違うよ」
俺の呟きを聞いていた心がベッドによじ登り、巨大な枕をヨイショとひっくり返すと、
「これは『YES、YES枕』だから。わたしはいつでも大丈夫だからね!」
ベッドの上からぴょ〜んと飛び降りてきた心が俺を刺激するように正面からギュッと抱きつく。
「もう遠慮いらないもんね? ね?」
その期待に満ちた眼差しを俺は遠い目で受け止めた。
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