第29話
思考が上手く定まらない。
感情が上手く言葉にできない。
騙されてた? 裏切られてた?
ネガティブな感情が浮かんでは消える。
俺は彼女ではない。だから、彼女の考えは正確にはわからない。
でも、ひとつだけ間違いないと言えることがある。
彼女からは悪意は感じられない。
心からは愛情しか感じられない。
♢♢♢♢♢
ガチャ
玄関を開けると見慣れた靴がある。
「あれ? おかえりなさい。予定より早かったですね」
まだ15時前だろうか? 予定では17時くらいに戻るはずだった。
無言で靴を脱ぎテーブルの前に座る。
「斗真くん?」
異変に気づいた心が反対側に座りじっと様子を伺っている。
「何か、ありました? 顔色が随分と悪いですよ」
心配そうな声に顔を上げて彼女と視線を合わせる。
ああ、改めて見ると納得できる。
これまでもふとした仕草に面影が重なったことは何度もあった。あれは勘違いなんかじゃなかったんだ。
『初めまして』
兄貴の結婚が決まり両家の顔合わせで俺が言った言葉。ひょっとして、これが間違いの始まりだったのか?
裏切られたとか騙されたってことじゃなく、俺が心を傷つけたのか?
『どうして気づいてくれないの?』
だから距離を取るような言葉使い? いや、でも距離感はおかしいか。
幼い頃の彼女はとにかく甘えん坊だった。今の頼りになる感じはなかった。まあ、小学2年生だったのだから当たり前だけど。
『とぅくん』
幼い頃、彼女は俺をそう呼んでいた。舌足らずで斗真と言いにくかったのかもしれない。
上目遣いもお手のもの。でも身長差を考えれば当たり前か。
「斗真くん? 斗真くん、聞いてますか?」
ハッとなり意識を前に向けると目の前に心配そうな顔。
「ホントに大丈夫ですか? また熱中症で気分悪いですか?」
「……大丈夫」
考えがまとまらない。
そりゃ最初は怒れたさ。
悔しいし悲しいし。
帰ったら文句の一つでも言ってやらなきゃって。ケンカになることだってあるだろうって。
でも、よく考えてみれば悪いのは俺のような気がしてきたし彼女に口で敵うわけないし。
「あれ? 俺、何があっても心に勝てなくね?」
「はい? わたしに? 何でですか?」
やばい! 無意識に口に出てた。
「斗真くん、やっぱり熱中症じゃないですか? ものすごい汗かいてますよ。とりあえず飲みも———」
「心」
「は、はい」
立ち上がりキッチンに行こうとした彼女の手を握り引き止めると、ビクッと身体を震わせながらも止まってくれた。
「あの、さ」
「……はい」
緊張で顔が見れない。
でも、ここでハッキリさせなきゃ俺も彼女も動けない。
「心は……、心が、しんちゃんなんだろ?」
「うん。そうだよ、とぅくん」
即答。
涙交じりの掠れた声だが迷いのない返事に恐る恐る顔を上げる。
ぼふん。
「とぅくんの、ばか」
「……はい」
勢いよく飛び込んできた心をしっかりと抱き止める。
「はじめましてじゃないよね?」
「はい」
「わたし、ずっとずっと待ってたんだよ?」
「うん」
「なんで?」
「うん?」
「なんでわかってくれなかったの?」
「いや、だって名前違うし」
「わたしはわたしだもん」
「いや、そうだけど」
「コーチのせい」
「うん」
「わたしはすぐにわかったもん」
「……なんで?」
「ずっとあいたかったもん」
「え〜っと、……あ、愛?」
「うん、愛。とぅくんはわたしへの愛が足りない」
「そんなこと———」
「足りない」
「……はい」
「もっとぎゅってして?」
「うん」
小さな彼女を壊してしまわないように恐る恐る力を入れる。
「えへへへ」
モソモソと顔を上げ恥ずかしそうに笑う心。
「ねぇ、とぅくん」
「うん?」
「大好き。ずっとずっと会えなかった間もずっと大好きだったの」
「あ、ありがとう」
「もぅ、そこは『俺もだよ』でしょ?」
確かに彼女の言うように俺は『しんちゃん』のことがずっと好きだった。
でも、
「好きだよ、心」
しんちゃんとしてではなく『小倉心』が好きなんだと思うんだ。
「とぅくん」
潤んだ目で見つめる心が、その目を閉じて顔を近づけてくる。
これで俺たちは恋人同士。
何も障害になることはない。
拗れた初恋に終わりを告げて新しい未来に———。
「あれ?」
何かを思い出し固まる。
「とぅくん?」
あと数センチで触れ合う距離なのに俺の視線はどこかにさまよっている。
「心?」
「なぁに?」
「ウチのチームのマネージャーになるってホント?」
「……サプライズの予定だったのに、かほちゃんってば」
ぷんすかと怒っている心に衝撃的な一言を告げる。
「じゃあまだ付き合えないじゃん!」
「……えっ? な、なんで〜〜〜!!!」
心の悲痛な叫び声が鳴り響いた。
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