2-5 いつかの青い瞳と黄色い花畑


「はあ…」


麦わら帽子を被ったシア・ラグクラフトは港町を歩いていた。

彼女は俯いて歩きながら、小さく溜息をつく。


シアの溜息の原因は父によって匿われている青年・キールにあった。

気分転換に港町に来たが、シアの頭の中はキールのことで一杯だった。


「せっかくの再開だったのに、憶えていないなんて酷いよ。」


真っ白なワンピースに白銀の髪をなびかせるシアの顔は憂鬱気だった。


「私はあの時からずっと憧れてたのに。」


広場の石垣に腰かけたシアは昔を思い出すように街並みの奥に見える海を見つめる。

広場中央の樹がシアを日差しから守り、潮風香る海と空はどこまでも青く佇んでいる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「シア、今日は皇帝様が来る日だから、おめかししなくちゃね。」


母親のそんな言葉と共に、当時9歳のシアは初めてのお化粧をした。

今日は帝国の皇帝と第3皇子がラグクラフト城を訪れる日。


「今日は第三皇子様もいらっしゃるそうよ。貴女の2つ下の歳も近い御方よ。」


母の言葉にシアは同世代の皇族の存在に子供ながら緊張を覚える。

青と白を基調としたドレスに着替えたシアは母と正装の父と共に城門にて皇帝を待つ。


「来たな。」


父の呟きと共に丘から皇帝一向の馬車が近づくのが見えてきた。

馬車の列はどんどんと近付き、やがて大勢の騎士に守られた皇帝が馬車から降りて姿を現す。


「遠路はるばるお越しくださいまして恐悦至極に存じます。」


父がそう言って頭を下げると、シアは母にならってドレススカートをつまんで頭を下げる。

父が頭を上げたのを確認してシアが顔を上げると皇帝の横に佇む少年と目が合った。


黒い髪に皇帝と同じ青い瞳を宿した少年は、シアに軽く会釈をする。シアも宮廷のマナーとして習ったように微笑んで会釈に応える。


少年はそんなシアを見て少し寂しそうな、困ったような笑顔を浮かべる。シアの脳裏に何故か皇子の浮かべた笑顔が強く焼き付いた。



皇帝一向の滞在は1週間程の予定だった。

父も母も皇帝の対応に忙しいようで、シアは皇子の相手をすることになる。


最初、シアには第三皇子キールはとても退屈な少年に映った。


城内の案内をした際にいくつか会話をしたが、それ以外に会話はなくキールは王宮から持参したと思われる本をひたすら無言で読んでいる。


「つまらないだろう。外に行ってもいいよ。」


「いえ、こちらで控えさせていただきます。」


「そうか、、、」


皇子は読書をする自分の傍らに控えるシアに何度か退席を提案するが、拒絶というよりは気遣いの念をまとった皇子の発言をシアはそのたび断る。


正直、皇子の近くに控えるのはつまらなかったが、母からの指示に逆らうつもりはなかった。


退屈しのぎにシアは皇子のことを観察する。


皇子は幼くも精悍な顔立ちをしており、肌は白かった。

黒い前髪と長いまつ毛から覗く青い瞳は、白い肌と相まって一層深く見える。


結局、皇子は一日を読書に費やした。

シアも何もしないのも退屈だったので、一緒に本を読むことにした。


「なんなのよ‼ あの皇子様、退屈すぎ‼」


シアはその晩、ベットで退屈すぎる皇子への不満をぶちまけていた。

枕をポスポスと叩き、足をばたつかせながら布団にうずくまる。


「顔はいいのに、もったいないわ。」


そう呟き、シアは眠りにつくのだった。


△ ▽ △


退屈な2人の関係に変化が起きたのは4日目だった。

2日目と3日目も読書に1日を費やした皇子にシアが業を煮やしたのだった。


「人生つまらなくないですか?」


今更ながら酷い言い方だったと思う。

しかし、それほどまでにシアは怒っていた。


「淑女をほったらかしにして、ずっと読書なんてどうかしてるわ‼」


シアが叫ぶと皇子は少し驚いた素振りを見せる。

真っ直ぐ見つめられた青い瞳にシアは少しだけ怯むが、怒りは収まらなかった。


「ずっとそばに控えているのに、私のことほったらかしじゃないですか!!」


「いや、退屈なら外に出ていいって、、、」


「違います!! 私は皇子様と一緒に何かをしたいのです!!」


シアの言葉に皇子は驚いたように目を見開く。

そして、何故か嬉しそうに口元を綻ばせるとシアに柔らかな微笑みを向ける。


「それは失礼しました、レディ。それでは、一緒に庭を散策しましょう。」


シアは皇子の始めて見せた優しい笑顔に思わず固まる。

「この皇子、顔が良い!!」内心そんなことを思うシアだった。


△ ▽ △


部屋を出た2人は城の中庭を歩く。


「その、ほったらかしにして、ごめんなさい。」


「、、、」


麦わら帽子を被ったシアは拗ねたように口を尖らせて黙る。

キールは戸惑うように微笑むが、その表情は初日とは違い随分と明るかった。


「申し訳なかったよ、レディ。許してほしい。」


皇子の言葉にシアの頬が少し緩む。


「君が僕なんかと一緒に何かをしたいだなんて思ってなかったんだ。」


「、、、そんなことないです。」


「そんなことを言ってくれたのは君が初めてだよ。ありがとう。」


そう言うと皇子はまた困ったような、自虐的な笑顔を浮かべる。


「僕は皇子様だからね。みんな僕に気を遣うんだ。君も最初、そうだったでしょ?」


「、、、」


「でも、それでいいんだ。」


「それでいい?」


「僕は誰にでも等しく振るわなければならない。ならば等しく気を使われた方がやりやすい。」


「そんなことっ、、」


「僕は誰の前でも正しくいなければならない。」


キールはシアの否定を遮って語気を強める。


「僕は父のような、誰よりも強くて優しい、正しい皇帝になるんだ。」


先程まで明るかった皇子の顔に影が帯びる。


「それが皇帝の息子として生まれた責務なんだ。そこに人としての幸せはいらない。」


少年は自分に言い聞かせる様に言葉を続ける。

それは彼自身を縛る、呪いのようだった。


「正しくあるために、そこに人としての感情はいらない。」


次の瞬間に、シアは思わずキールを抱きしめていた。

それは哀れみの感情だった。人として生きれない者への哀れみ。


「どうして君が泣いているんだい?」


「何も言わないで。」


シアの目元には涙が浮かんでいた。

キールは黙って為すがままにされている。


シアにはこの2歳年下の皇子をもはや孤独な少年にしか思えなかった。多くの物を背負って立とうとする少年の小さな背中に手を回し、強く抱きしめる。


幼いながらに思う、自分がどうか彼を支えられたら、と。


▽ △ ▽


少女は皇子をとっておきの花畑へ案内する。

既に陽は傾きつつあった。


城の裏にある菜の花畑はシアのお気に入りだった。


夕焼けに染まる黄色い花畑を2人の子供が走る。

麦わら帽子を被った少女が先を行き、少年がそれを追いかける。


「キール様、こっちよ。」


少女は振り返るとニッコリとした笑顔を向けて少年に呼びかける。

皇子を見つめる少女の淡い桜色をした瞳は夕日に反射して燃えるように輝いている。


夕日は花々の黄色をより鮮やかにし、眩しい陽光が2人を包む。

少女は柔らかな微笑みを浮かべ、皇子もそれに応える。


―愛しているわ、私の皇子様。


そんな思いを口には出せず、シアはそれでも微笑むのだった。


▽ △ ▽


翌日、皇子は皇帝と共にラグクラフト公領を去った。

南方で発生した反乱への対応の為に皇帝が王城へ引き返したためである。


そして、馬車へ乗り込む背中がシアが最後に見たキールの姿となった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


遠くの記憶から現実に戻ったシアは溜息をついて立ち上がる。

自分は彼を支える特別な1人ではなく、彼に優しくされた有象無象の1人に過ぎなかったのか。


「忘れられてるってことは、そう言うことだよね。」


その時、街の通りの方から人が騒ぐ声が聞こえた。

何かあったのかと気になって振り返った時、街を駆ける男と目が合う。


次の瞬間、男はシアの方へ走ってくる。

とっさにシアは逃げようとするが、時すでに遅く口元に布を当てられる。


「悪いな、お姫様。利用させてもらうぜ。」


男は下種な笑みを浮かべてそう言うのだった。

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