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 廊下の窓から外を見れば、景色が白んでいた。雪だった。


「先輩も、もう卒業かあ」


 あと一ヶ月もすれば、シオリはここから社会へと出ていく。スコアに応じた職業を選んで。

 だがフィオンは何の心配もしていなかった。彼女のスコアは98から横ばいのまま。きっと希望通りの職種――小説を書く仕事を選べるだろう。


「50nさん、授業が終わったのですから、早く部屋に戻りなさいね」


 背後からせわしない声が聞こえた。フィオンの担任教師である若い女性だった。


「はい。すみません」


 だがフィオンが返事をするよりも前に、早足で立ち去っていく。彼女はいつも忙しそうにしていた。


「あれ」


 フィオンは床に落ちている小さなものに気づく。


 ……プリペイドカード?

 いつかノートを買うためにシオリからもらったものとよく似ていた。なるほど、シオリがカードを持っていたのはこういうカラクリだったらしい。

 とはいえ、


「届けておいた方がいい、よね」


 シオリと同じようにくすねようとまでは思わない。そもそも施設の外に出ることがないのだから、使う機会がない。返しておこう。


 フィオンはカードを握りしめると、職員室へと向かう。寮監を含めたこの施設の職員は、大抵そこで何かしらの仕事をしていた。

 職員室の前は、やけに静かだった。基本的に職員以外が来る場所ではないのだから当然といえば当然なのだが。


「――40rも、もう卒業ですね」


 ノックをしようとしたところで、中から会話が漏れ出てきた。どうやら話題はシオリのことのようだ。フィオンは思わず聞き耳を立てる。


「あそこまでスコアの高い人間は久しぶりだそうですね。一体何が理由なんでしょう」

「スコアの計算方法は複雑と聞いています。学業、運動の成績が良いことは必須でしょうが、個体差のようなものもあるのかもしれません」


 担任教師の問いに、ぴんと張った声が続く。寮監のものだ。


「ともあれ、同室の50nにも良い影響を与えているようですし、何よりです。彼女たちのスコアは施設の成績にもつながりますから」


 まさか自分たちが小説やイラストを描くことでスコアを上げたなんて、思いもしないだろう。もしかすると名前で呼び合っているのも一因かもしれない。それはともかくとして、高スコアで褒められていることは悪い気はしなかった。フィオンは少し足が宙に浮く感覚を覚える。


「でも……そんな逸材いつざいでも、ここから出たら他の生徒と同じように工場で働く、んですよね」


 だが直後、その浮遊感は一気に突き落とされた。


 ……え、今なんて?


 フィオンの脳内は混乱する。スコアが高ければ高いほど、卒業後の進路の選択肢が増えるんじゃあ。

 聞き間違いであってくれ。祈るようにフィオンは念じる。しかし続く寮監の言葉は無情だった。


「当たり前でしょう。職業選択の自由なんて、の子どもたちだけです。『レプトケファルス』政策は少子化対策であると同時に、労働の人手不足解消も目的としているのですよ。自由など、もってのほかです」


 そんな。ということは自分たちが聞かされていたのは建前で、実態は違うということなのか。それこそ、寮監が今言ったような。


「あなたは『レプトケファルス』の意味を知っていますか?」

「いえ……」

「ウナギの稚魚になる前の幼生のことを言うそうですよ。つまり、彼女たちにはきちんとウナギになってもらわなければ困るのです。この国を豊かに肥やす・・・ウナギに」


 言いかえれば、フィオンたちは養殖・・されているのだ。将来、国という大きな人間の腹に入り、養分となるように。


「だからスコアもあくまで参考指標でしかないのです。まあ、それぞれの個体の健全性を管理する上では有効な数値ではありますが」


 すると、雑談に興じすぎたと言わんばかりに寮監の咳払いが聞こえて、


「わかったら準備を急ぎなさい。九年生は卒業後、全員を集めてすぐにここを出発させるのですから。門を開けて警備体制もいつもと変わります。それから余計な騒ぎを起こさないよう、スムーズに行えるようにしておきなさい」

「は、はい」

「では具体的な準備ですが――」


 そこまで聞いて、フィオンは駆け出していた。頭を大きなハンマーでたたかれたような感覚だった。軽い脳震盪のうしんとうを起こしたみたいに身体がふらつく。

 そして、やっとの思いで自室に戻り、


「おかえりフィオン――って、わっ」


 中にいたシオリに勢いよく抱きついた。


「どしたのー? お姉さんの包容力が恋しくなっちゃったー?」

「…………」


 いつもの軽口。だけど今はそれがとても寂しいものに聞こえてきて。


 ……今さら言えない。でも、私はどうしたらいいんだろう。


 己の無力さを呪いながら、フィオンはぎゅっと無言で腕に力を込めることしかできなかった。

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