一夜、二人、三度、四角
思い返すと、よっぽど物欲しそうな顔をしていたんだと思う。
『欲しいの、これ?』
え?と私が言うと、彼は手にしていたストラップを掲げる。
白と金の色合いのそれは、おみくじのオマケだった。お守りでもあるようで、可愛らしい寅が小さな鈴を咥えている。おみくじのオマケ、とは言っても、値段的に考えると、むしろおみくじの方がオマケの縁起物だろう。
彼……トウヤ君は、まるで興味がなさそうだったけれど。
一回生の冬だった。
年が明けて、講義が再開した日のことだった。
私達は、演習のクラスが同じで、ある時、クラスメイト数人で遊びに行こうという話になった。年も明けたことだし、初詣として神社でも行こう、って。思い出作りという側面もあったんだと思う。演習は春になれば終わりだったから。
私と彼、戻橋トウヤ君は、そんな集まりの中にいた。
『欲しいならあげるよ。こういうの、僕は要らないから』
瞼を隠すほど長い前髪の奥から、綺麗な目が覗いていた。いやに綺麗な瞳が。
私は慌てて顔を逸らして、首を縦に振った。
『どっちなのさ、それ。欲しいの? 要らないの?』
『……欲しい、かも』
『じゃ、あげる』
あまりにもあっさりとトウヤ君はそう言って、当たり前みたいに私の手を取って、手の平の真ん中にストラップを置いた。
きっと君はもう忘れてるよね。
そのことも、私がストラップをすぐにスマートフォンに付けたことも。
でも私は、凄くドキドキしたんだよ。
帰りの電車の中でも、照れた顔を見られたくなくて、ずっと俯いていたくらいに。
●
トウヤ君と出逢ったのは一回生の春だった。
講義が始まる少し前。
基礎演習クラスの教室、その一番前に彼は座っていて、二番目に来た私は、「こんにちは」って声を掛けた。こういう時、大学生は挨拶するものなのかな?って不安になりながら。
彼は振り返って、私を見ると、小さく笑って、
『こんにちは』
と返した。
きっと、その時にはもう、好きになっていたんだと思う。
顔や見た目で好きになったわけじゃない。心の形、みたいなものに惹かれたんだ。
嘘じゃないよ。みんなには、何言ってるんだ、って笑われるだろうけど。
私は分かっちゃったんだ。トウヤ君は、特別な人。私にとって特別って話じゃなくて、普通じゃない、ってこと。世間から、世界から、ズレてしまっている。決定的に。確定的に。
多分。
致命的に。
『トウヤ君は、こういう集まり、嫌いだと思ってた』
神社からの帰り道。
隣を歩く彼を見ないまま、私は呟いた。
前方では、同じクラスのメンバーが笑い合い、騒いでいる。明るくて、楽しそうで、嫌になる。
……ううん、違うな。
あの子達が嫌なんじゃない。
あの子達みたいになれない私自身に嫌になるんだ。
『嫌いじゃないよ』
私は、「嘘だよ」と言って。
彼は、「本当だよ」と笑った。
空っぽの笑みを浮かべた。
『たまにはこういうのもいいかな、って思ってるよ』
『本当に、本当にたまには、でしょ?』
『そうかもね』
私は、トウヤ君のことを、何も知らない。
何処で生まれて、どんな風に育って、どういう経験をしてきたのか。
でも、彼が他の人とちょっと違うってことだけは分かってる。
分かってるつもりだった。
『トウヤ君はさ、』
『何?』
『……ううん、なんでもない』
言葉を飲み込んだ私に、彼は「なんでもない、か。いいね」と、また笑った。
やっぱりそれは、空虚な笑みだった。
私が言い掛けたのは、投げ掛けようとしたのは、質問だった。
致命的な、問い。
『―――生きてて楽しい、って思うこと、ある?』
そう言い掛けて、やめたんだ。
きっとトウヤ君は、冗談めかして、ふざけて、おどけたようで、でも、真剣に応えてくれただろうけれど。
私は、口にする直前で、答えを受け止めることが怖くなった。
……そうだよ。
私はそんな人間なんだ。
錯覚だと分かっているのに「私には分かる」と一人で満足して、私は彼と同じだとはしゃいで、そんな風に喜んでいる時点で同じじゃないのは明らかなのに彼の瞳も自分の本音も見ないふり聞かないふりして、彼に触れたくなって、彼に触れてほしくて、下劣で、下品で、でもオトシゴロなんだから仕方ないよねって自己肯定して、結局は彼の答えも自分の答えも見つけられずに、
そんな、
どうしようもない、
普通であるだけの欠陥品。
それが、私なんだ。
彼に見せたくない、自分でも見たくない、私。
ポケットの中のスマートフォン。コートのフラップからストラップが飛び出て、ちりんと鳴った。
彼に貰ったストラップの音がした。
『そう言えばさ、概論の冬休みの課題なんだけど、もうやった?』
『あ、忘れてた』
『ヤバいよ。レポート30点だよ、概論』
くだらない、どうでもいい話ができる時間が、今はあった。
それだけで、私は良かった。
●
一年が終わり、一回生の基礎演習が終わると、トウヤ君とは疎遠になった。
勿論、他の講義でも顔を合わせることはあったし、構内ですれ違うこともあったけれど、それだけ。学食に一人でいる彼の前に座る勇気もなければ、帰りのバスが一緒になっても、手を挙げて挨拶するくらいしかできなくて。
でも私の気持ちは変わらなかった。
好き。
好き。
……好き。
少しでもいいから傍に行きたい。でも、近付くのは怖い。
そんな葛藤の繰り返しで毎日が過ぎていって。
二回生の冬。
私は街で、女の子と歩くトウヤ君を見掛けた。
隣の子はスーツ姿で、暗めの髪で、如何にもしっかり者という感じの子で。
彼は笑っていた。
「…………」
私は声を、掛けなかった。
また怖くなって、逃げたんだ。
そう、「久しぶり」とか、「その人、彼女?」とか、適当な言葉を探して、声を掛ければ良かったのに。
私は逃げてばかりだ。
代わりに考えるのは後悔とも言えない馬鹿な想像。
髪、黒の方が好きだったのかな。大学デビューとして茶色く染めた髪を指で遊んで、一人思う。服も、フォーマル系の方が好みなのかな。そんなことは問題じゃないかもしれないのに。
スマホのストラップが、またちりんと鳴った。
●
また冬が来た。
年明けはすぐそこだ。
もうすぐ一年になる。
彼にはじめてプレゼントを貰った日から。
彼がはじめて触れてくれた日から。
きっと、君は忘れてるよね。
でも、私はずっとドキドキしてるんだよ。
小さな鈴が鳴る度に、君のことを想うんだ。
……私に春は来るのかな?
コンクリートに囲まれた四角い空の下。
冬の冷たい風が吹き付けて、頬が痛いほど冷たくなって、また鈴の音がした。
そうしてまた、君を好きになる。
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