四十二 刑部(二)

「はい?」


 目を丸くしてれんが聞き返すのと、きんや他の女官たちが「え?」と一斉に叫ぶのが同時だった。


「遺体を安置していた治部省の霊安室から消えたと報告があった。部屋は外で衛士たちが昼夜厳しく見張っていたが異常はなかったのに、今朝になって扉を開いて室内を改めたところ棺の中が空だったそうだ」

「棺が、空?」


 遺体が勝手に姿を消すなど、考えられない。

 蓮花は足下のねいねいに視線を送るが、食事に忙しい甯々はりょうの話を聞いているのかいないのかよくわからなかった。


「頭と身体と、どちらも消えていた」


 そういえばじゅん王は稜雅によって首を切り落とされたのだった、と蓮花は思い出した。

 どうやら頭部と身体は一緒に棺に安置されていたらしい。


「持ち出された形跡はなく、ただ、棺は蓋が開いていたそうだ」

「遺体が自分で出て行った、と?」

「だとしても、霊安室から出る際に扉を開けば衛士に見つかる」

「……ですよねぇ」


 首なしの死骸が頭を抱えて霊安室から出てきたらさすがに屈強な衛士たちでも悲鳴を上げるだろうが、そのまま隼暉王が逃げるのを黙って見過ごすことはないはずだ。


「密室から、忽然と遺体が消えた……」

「そういうことになる」

「なんか、妖術みたいですねぇ」


 すこし興奮気味に蓮花が呟くと、稜雅は「きょうも似たようなことを言っていた」と告げた。

 どうやら親子で反応が同じであることが面白くないらしい。


「でも、消えた後、ご遺体はどこへ向かったのでしょうか。隼暉様がかつてお住まいだったお屋敷はすでに手放されていますし、隼暉様の霊廟はまだ建てる場所さえ決まっていません。隼暉様のご遺体を引き取りたいとおっしゃっていたかいけい殿がどこに滞在されているかをわたしは存じ上げませんが、ご遺体も会稽殿の居場所をご存じとは思えませんし」

「あぁ。多分、知らないはずだ。あの従兄がそくに入ったのは、前王が死んだ後だからな」


 腕組みをしたまま稜雅は頷く。


「従兄は君に、前王はなにかに取り憑かれていると言ったそうだな」

「はい」


 蓮花が頷くと、芹那も頷く。

 游会稽を名乗る男の会話は、その場にいた芹那も聞いていたのだ。


「実は、ごうに隼暉様のご遺体を見てもらってはどうかと陛下にご相談申し上げるつもりでしたの。なにかに取り憑かれているのかはわかりませんが、もし祓えるものなら埋葬の前に祓って差し上げた方が良いのではないかと思っていましたので」


 実際は甯々に隼暉の遺体を見せてみようと考えていたのだが、蓮花が愛猫と一緒に前王の遺体を見たいと言う状況はさすがに不自然なので、轟を利用しようと計画していたのだ。


「取り憑いていたなにかが、前王の遺体を棺から出してどこかへ隠したのだろうな」

「隠す?」

「多分、隠したのだと思う。従兄が君に、前王はなにかに取り憑かれていると告げたのであれば、遅かれ早かれ君が前王に取り憑いたものを祓うように動くことは目に見えていたはずだからな」

「わたしが提言したところで、宰相に無視されるのが関の山だと思いますが」


 蓮花の父である宰相は、精魅や幽鬼といった怪異を信じない。

 甯々のことはとうばくのように化け猫だとは思っていないが、かなり不細工な猫のような動物だと考えている。

 自分の目に見えるものしか信じないので、神々に対する信仰心もほぼない。

 まして、呪術だの妖術だのは眉唾物だと思っている。

 その宰相が、隼暉の遺体が忽然と消えたことを妖術のようだと評したのであれば、よほど驚いての発言だろう。


「しかし、君が懇意にしている方士が王宮に現れたじゃないか」

「まぁ、そうですが」


 別に轟とは懇意にはしていない、と蓮花は内心思ったが、黙っておくことにした。

 蓮花が親しくしていた方士は芹那の父だけで、芹那の父の相棒の方士は一度としてかん邸に姿を見せたことはなかった。

 轟の話では、隼暉邸で芹那の父ともども死んだようだが、蓮花は一度として芹那の父の相棒の存在を聞いたことはなかった。

 甯々の様子から、轟という相棒がいたことは間違いないようで、三年前に桓邸に現れた隼暉の息子が轟と名乗ったことに対してなんらかの反応は示したのだろうが、そもそも甯々は喋れないので蓮花や芹那にそのことを伝える術が無かったということだろう。


「でも、轟が方士であることを知っている者は、昨日この部屋にいて話を聞いていた限られた人々だけです」

「王宮の壁には耳や目が常にあるようなものだ」

「そちらの方が怖いですわ」


 どこで誰がこっそりと妃の部屋の様子を窺っているのか知れないのであれば、内緒話はできない。


「誰かが、王宮に方士が入ったことを知り、どうにかして前王のむくろを動かしたんだ」

「どのようにしたのでしょうねぇ」


 妖術を使って遺体そのものを操ったという可能性はある。

 偽の游会稽は、なにかに取り憑かれた状態の隼暉が死してなおおとなしくはならないと告げていた。


(ただ、あれが真実かどうかは定かではないわよね)


 游会稽が偽物だとわかった以上、彼の話には嘘が混じっていることを念頭に置かなければならなくなる。


(衛士たちは隼暉様の遺体がご自身で歩いて出て行くところを見ていない。でも、遺体は消えた。棺は空になっており、奇術か妖術でもなければ、遺体が蒸発することはない。でも、生前の隼暉様が呪われていたとして、いまもなにかに呪われ続けているのだとすれば、隼暉様に呪いをかけた相手は呪いを回収したいのではないかしら)


 もし隼暉が呪いに取り憑かれたまま埋葬されると、呪いは霊廟の中に封じられることになる。


(多分、呪いはゆう一族に四方八方取り憑くことができる種類ではないのでしょうね。そして、取り憑いた相手が死んだからといってそこから自由に離れることもできない。だから、偽会稽殿は隼暉様の遺体を取り戻し、取り憑いている呪いを隼暉様から取り除く必要があるのではないかしら。そうでなければ、わざわざ危険を冒してまで隼暉様の遺体を返して欲しいと願い出る理由がないわ)


 游会稽を名乗っているのは、息子が父の遺体を引き取るのが一番自然な流れだからだ。

 隼暉王の取り巻きだった貴族が前王の遺体を引き取ることは、政治的になにか思惑があるのではないかと疑われる恐れがある。


(会稽殿の顔を知る者がこの王宮にはほとんどいないし、游会稽がかく国に留学して三年近く経っているから、多少以前と顔が違っていても成長したからだろうと誤魔化せると考えたのでしょうね)


 まさか本物の游会稽が方士と偽って王宮に入り込むなど、誰も想像していないはずだ。


(呪いは游一族の血を引く者以外には効かないようだし、いまこの束慧にいる游一族で居場所がわかっているのは稜雅だけ。轟が游一族の血を引いていると気づいた者がいたとしても、彼を呪ったところで期待通りの結果が出るとは考えづらいわ。游一族を呪っている者は、王を呪いたいのであって、游一族の誰でも良いということではないはず)


 昨日、この部屋の会話を聞いていた者がいたとしても、轟を呪う利点はほぼないと判断しているはずだと蓮花は考えた。


(となれば、やはり狙われるのは稜雅でしょうね。その稜雅を呪うためには、隼暉様の遺体をいったん回収して取り憑いている呪いを引き剥がし、改めて稜雅に取り憑かせる必要があるはずね。でも、その遺体はどこに隠したのかしら。この広い王宮の中であれば、隠し場所もたくさんありそうだけれど)


 夜陰に紛れて遺体を運び出すことは、妖術使いでなくともできるはずだ。

 棺の中が空になっているということは、遺体を持ち出すためには棺が邪魔だったから、中身だけを取り出したと考えることができる。


(もし人気のないところに隠すなら、西にしよんぐうが一番うってつけでしょうね。でも、たい殿でんの治部省からこう殿でんの西四宮まで遺体を運ぶのは大変だし、いくら夜とはいっても見回りの衛士があちらこちらにいるから難しいはず)


 あれこれと蓮花は考えてみたものの、王宮の詳細な事情がわからない状態では、結論を出すことはできなかった。


「王宮を出て行かれたかどうかはわかりませんの?」

「わからない。ひとまず王宮内を探しているが、日の出と同時に王宮の通用門は開いている。城下から通ってくる官吏や商人たちの荷馬車が頻繁に出入りしているから、そのひとつずつを細かく調べるようにはしているが、いまのところは怪しい者はいないようだ」

「そうですか」


 蓮花は目を細めて相づちを打つ。


「それでしたら、会稽殿をお呼びした方がよろしいのではないでしょうか。隼暉様のご遺体をしばらくの間お引き渡しができそうにない、とお知らせした方が親切かと思います」

「遺体が消えたことを話すわけにはいかない」

「話して差し上げれば良いのです。そうすればきっと、しばらくはご遺体を引き取りたいとおっしゃって王宮に顔を出されることもなくなるでしょうから」


 もし偽会稽が隼暉の遺体を隠した一味と関わっているのであれば、なんらかの動きは見せるはずだ。


(透お兄様に、偽会稽殿を見張るように伝えておくべきかしら)


 稜雅に伝えることはやめておいた方が良いだろう、と蓮花は考えた。

 呪いが游一族だけに有効であれば、稜雅は隼暉の遺体に近づくべきではない。いくら呪い避けの赤鉄鉱の護り石をしていても、盤石ではないのだ。


(なんだか、王宮全体が伏魔殿に見えてきたわ)


 王宮には安全な場所などない。

 ぶるりと微かに身体を震わせた蓮花は、それが勇み立ってのことなのか恐ろしさからくる震えなのか自分でも区別ができず、深く息を吐いて心を落ち着かせた。

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