仇討ち
刀の影を通った短刀は束の間姿を消し、再び現れた時には腹にあった。
「――なっ」
驚きに満ちた声。自ら右腹を見て、新之丞を見て。そして膝を付いた。
同じであった。
膝から倒れる仕草も、最後まで刀に捕まり倒れるのを拒む姿も、最後まで右手一つで刀を使う姿も――すべて長谷野と重なった。
更には吐いた言葉も同じ。
「――影が、刺しおったわ」
ただ師と違うのは腹からは血が吹き出したということ。
白い衣に赤が広がっていく。下の衣からじわりと移ってくる赤は控え目に放射状に広がって、それはまるで花の一輪にも見えた。
「そうか投げるのか。くっくくっ、そうかそう使うのか。あーはっはは。単純だな。 考えてみれば単純だ。こんなことも思いつかぬで短刀を帯びていたとはな」
「左様、煤宮とは忍の技に端を発する。なれば投擲くらいしよう」
「なるほどな――どうした? 好機ぞ。まだ、この程度で――」
「終わりだ。言ったであろう技は忍からと」
「――毒か。なるほど。この熱さ。そうか毒か」
「左様。
実際にはどれくらいか知る由もない。
海近くにある
だがしかし、そうでなくとも刺した場所は
どの道長くはないのは間違いなく、それは然全も分かりそうなもの。
「あはははっ、
明るく喋って大の字になった。
まるで別人のように顔も晴れやか。本来の気性か、逃げ隠れる日々が終わるからか、毒で死を待つ身であるからか。
その
「貴様に褒められてもな」
「素直に受け取っておけ。こう見えても煤宮始まって以来の天才と呼ばれた男だぞ? そうは見えぬかな? あっははは」
どこかの坊主を思い起こさせるほどに変わった。
顔はまったく似ていないため吹かしかと思っていたが、吹かしではなかったということであろう。
「それにこれから気分は最悪になるんだからなぁ」
晴れ晴れとした然全の顔は再び悪鬼に戻った。
毒の侵された身でどこに力があったのか、上体を起こして新之丞を
新之丞は更に一歩引いた。短刀はまだ腹に刺さり、恐らくまだ毒は効くからだ。
「なるわけがない。これで晴れて戻れるのだから」
「なら晴れ晴れって顔をするがいい。出来るかな? 忘れたか? それともそういう 気分ではないんじゃないかな?」
胸に
だが気が晴れたと言われれば嘘と言わざるを得ない。
それに元より気を晴らすための仇討ちではない。
「貴様が絶命したらそうもなろう」
「くははは、無理だね。無理無理。お主にその日は来ない」
「――何が分かる」
「分かるさぁ分かる。私には分かる」
「分かるものか! 貴様のように女は斬ってはおらん! 何故母まで斬った!」
問いたいことは色々ある。だが時間は残されてはいない。
となれば聞くべきは何れか。
ただ新之丞は聞いて少し悔いた。恐らく大したことは返ってこないであろう。
「ああ? 今更か。終わった話だ」
「その話で討たれたのだっ!」
「そうか、そうだったなぁ。じゃあ答えてやろうお前の母を斬った理由はついでだ」
「ついでっっっだとっっ!!」
その予想は的中した。強まった後悔の念が語気を荒くさせる。
いや端からそうだろうと思ってはいたはずなのに。
どうしてこの質問をしたのか新之丞は自分自身でも分かっていなかった。
「そうだ。ついでよ。ほら笑って見せよ。無理であろう? 無理なんだよ。仇討ちを果たして亡くなった者を思えど。もう
「貴様のせいだろうがっ」
「誰のせいでも同じこと。何も応えなくても手を合わせておけばいい。辛くても過去の思い出を思い起こせばいい。そうして涙を流して居れば良かった。」
「それでのうのうと生かせとぬかすかっ!」
「そうだ」
「ふざけるな、生きたいなら端から殺すなっ! 仇になるなっ! さすれば――最初 からこのようなっ、このようなことに!」
新之丞は未だ気付いていないでいた。
この屈辱感の正体。いや屈辱を感じざるを得ない話になったことの正体。
「
「何を――」
「仇を討たねば憤怒に身を焼かれ、いや焼き尽くされる。だからお前はここに来た。 自らの身体を毒に侵そうとも、仇を討たずには居られなかった」
「何を分かった口を」
「何故
屈辱を与え、怒りを呼び起こさせていると未だに気付けないまま、ただただ両の拳を握って耐えていた。
「くははははっ! そんな顔をするな。私が何を言っているか分からぬのか? なら 教えてやるのが情けというもの。今、私がしているのはな仇討ちだ。今もずっとだ。ずっと仇討ちをしているのだ」
「ふっ――ふざけるなっ! 討たれたのは貴様だろうがっ」
「だからだよ! 分かっているのだろう? 同じ道を歩んでいると」
「馬鹿な――仇を、いやそんな相手は全員斬った。同じ道なぞ歩むものか! そうだ 晴れ晴れと生きてやる。これから晴れ晴れとした道を歩むのだ!」
「それがその道を行く顔か? 違うなぁ。それはもっとこうだ」
また口角を上げて見せる。ただ目は笑っておらず頬も引きつった酷い笑顔。
痛みに耐えているのか、その時が近いのか、笑顔にはほど遠い。
それでも新之丞には効いて、また屈辱を味わった。
「分かるさ、何れ分かる。何れ我が仇討ちは成就する。その日を――ぐふっ」
然全は泡を吹いた。顔は赤くなり、口からは喘鳴。息が吸えていない。
吸えないものだからより強く吸おうとして、大きく胸が弾む。胸を張ってくの字に身体が弾む。貝毒が身体を侵し――その時が来たのだ。
「まあ――何れ――分か――修羅地獄にて見て――お、る」
窒息の苦しみは締め落とすとはわけが違う。意識は断たれぬのにも関わらず苦しみは延々と続く。絶命のその時まで延々と。数ある死の中でも上位の苦しみと言う。
それはいっそ死を願うと言うほど。
であるにも関わず、然全は口は上げて、目を細めた。
それは無理に笑おうとした先刻と打って変わって、これまで見せた凶悪な
「ああぁ、兄者――月だ――月、見えるよ――美し――」
まるで眠ったかのように静かに、満足げに息を引き取った。
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