鉄太

 足から伝わる体は既に冷たく、鞘から伝わる臓腑ぞうふの動きも止まった。

 大きく張った額を押し上げ驚いたように目を見開き、細く小さい口は食いしばってひん曲がって苦虫をかみつぶしたような顔には血の気はすでにない。

 それでも新之丞の吐く息はいまだ荒く大きかった。

 命の、魂までも抜けた又左の身体から横に退いて、崩れ落ちて地にす。

 恐怖と、疲労と、達成感で手に力は入らず、震えが止まらなかった。

 肘を付き、膝を付き、声を上げて身体を叱咤しったし身体を起こす。ようやく立ちあがると、ぼやける視界にふら付く身体にかぶりを振った。


「だ、大丈夫。まだ大丈夫だ――刀――刀は?」


 と呟き辺りを見回すと、刀はすぐに見つかった。

 荒れた水面のように乱反射した光が目に入ったからだ。

 木立の中まで飛んだ刀は地に垂直に突き立ち、ここにいると言わんばかりに輝く。

 ふらふらと、引き寄せられるように歩いた。

 だが、忘れていた。

 ここは敵地、本拠地の直下である。そして敵はまだ居ると言うことを。

 又左の言う通り、山賊全員と出会った。が、全員は斬っていないと言うことを。

 無防備に歩く新之丞の目の前に蝉。

 宵闇に人が近づけば蝉も驚き飛び立つのが道理。それは新之丞も同様、驚き身体が硬直して一歩下がる――と、何かにぶつかった。

 木か何かかと思うが、何故か暖かい。

 振り向けばそこには何もなく。

 首を下げれば、ハの字の眉――人の顔であった。


「やった――言われた通りだ――やったよ鉄治! うらがうらがっ!」


 聞き覚えのある声。陰気なはずの声が、いやに陽気に上がった。

 語気とは裏腹に、顔は青白く、目は異様に赤く、ゆがめた口角は上がっているのか下がっているのか。新之丞には判断出来ない狂った表情の小さい忍。

――鉄太

 ようやく名を思い出すと、左腕に熱を感じた。

 鉄太の握った細い得物――千本せんぼんと言う針状の武器が刺さっていた。腕に深々と一寸、いや二寸近く埋まっているだろうと、体内の感触を辿ると熱が増す。


「うらが、うらが討った。仇を討っ――うぶっっ」


 無造作に右手を振るった。

 狂ったような顔に固めた右拳を叩きつけ、木の実を潰したような感触と音が右の手から伝わった。


「この程度で――っ!!」


 頬を砕き、奥歯を折った一撃を食らわせた、それでも鉄太の表情は曇らない。

 むしろ笑顔にすらなれば、新之丞はさらに右拳を振るった。

 顎を捉えた追撃の拳に、骨を砕いた感触。顎が外れたように口が開きっぱなしの、鉄太はそれでも怪しく笑い。

 更に左肘を胸に突き立てれば、鎖骨が小気味いい音を発し割れた。右肩は落ちてもはや上げられないというのに勝ち誇った顔。

 更に右拳を顔に埋めた。ぶちぶちと何かが千切れながら鼻ごと埋め、もはや血で息を吸うのも困難だと言うのに声を上げて喜ぶ。


「よりによって――お主のような奴に」


 足を腹にめり込めせて押し出すように倒しても、表情は明るく。倒れながらも懐刀ふところがたなを取り出しまだ戦意は衰えない。

 まだ異様な笑みのまま、もはや目をまともに開くことも出来ないというのに新之丞にその不気味に充血した目を向ける。


「なんで、まだ――!? でも――まだだ。ほらまだまだだっ」


 懐刀を持った手ごと踏みつける。腕はひしゃげて指は折れ、それでも痛みに叫び声を上げることはなく。


「まだ、まだまだ――うらが討つんだ。うらがうらが」


 何事かをぶつぶつと呟き続ける――こいつも化生の類かと、顔に拳を振るった。

 立ったまま拳を叩きつけ、足で踏みつぶし、膝を付いて殴り、肘で討ち据え、両拳を合わせて金槌のようにして撲りつける。

 血が吹き出ても止めなかった。

 骨が頬から飛び出ても止まらなかった。

 半ばやつあたり、半ば恐怖に駆られ、狂気が伝染したように拳を突き続けた。

 眼球が飛び出て潰れても、鼻の跡から飛び出した吐しゃ物の用な脳髄のうずいに濡れても、新之丞は止めることはなく――


「黙れ黙れ黙れっ! 討つのはっ! 仇を討つのは――俺だっ!!」


 縦にした拳を叩き付け、歯と血液と房水ぼうすいと脳しょうをまき散らして鉄太であった物はぴくりと一度跳ねて――止まった。

 完全に息の根が止まった相手であったが、ひしゃげた手から懐刀を取り上げ心臓に突き刺すことでようやく新之丞は手を止めることが出来た。


「――よりによって左手とは」


 傷は深く、だが小さい。

 幸い千本であるため、多少の熱感はあるものの問題なく手は動く。

 これならば支障はない――と左手を閉じ開きしていると、一つ疑問が浮かんだ。


「何故、千本? 何故――懐刀より先に千本なのだ」


 千本はいわゆる暗器あんき――隠して身に付ける武器である。

 細く小さく、正確に急所を射抜いぬけなければ殺すことはあたわない。

 得物を晒していてもいい状況で、相手を殺すならばより大きな得物を使うべき。

 懐刀を使うべきであるのだ。隠れるにも支障はなく、殺す能力は高いからだ。

 何故千本なのか。よしんば千本を使うなら急所を狙われなければならない。

 何故手だったのか。


「まさか左手を狙った――?」


 だが違った。

 違うと左手の熱感が教えた。

 今や、腕から肘、肘から肩へと広がり続ける痛みのある熱。

 わざわざ殺傷能力の低い得物、暗器を用意しているのだから、忍なのだからこれもあって当然の――


「毒か――?!」


 鈍い痛みは鋭くひりつく痛みとなる。

 袖をまくってみれば赤い瓜のように晴れ上がった傷があった。


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