決着

 週に一度の薬喰いを経て、二年で新之丞の身体は完成した。

 着物の上からは見えぬが、腕胴肩には密度の高い肉が詰まっている。

 大きな体躯に締まった肉体。奥伝おくでんを受けるに値するものだけが得る食事で作る体。

 厳しい鍛錬と食らった肉の数を積み重ねなければ作れない、まさに奥義おうぎである。


「どうした、手が出ぬのか。奥義とは亀になって守ることかっ!」


 その強靭な右腕で新之丞は防御しつづけていた。

 迫る克士郎の三連撃を弾いて返しては、また迫る克士郎。

 一度目より、二度目より、段々と新之丞には余裕が出て来ていた。

 速さには目が慣れるが、力は慣れることはない。

 鍛錬の積み重ねと食らった肉の数が二人の差を縮めた。


「なあ、奥義見せてくれるんじゃなかったの――かっ!」


 それでも単調な三連撃を続ける。

 更に受けやすいのは三連撃を徹底しているところであおる。

 一度の攻撃は三度までで必ず下がる。こちらの攻撃の範囲外まで。そしてまた遠間とおあいからの突進して斬って来る。

 斬撃も上から流れるように下へと落ちていく。多少の変化こそあれ上から下。必ず三つと決まっているのだから、なれるのも早い。


「聞いてんだよ。耳は? 口は? 頭まで亀になったか?」

「未だ命をおびかされておらぬゆえ」

「はっはぁ、確かにそう言ったな。まったくどいつもこいつも取るに足らぬ腕の分際で勿体もったいつけやがる。大人しく俺のかてになればいいんだ――よっ!」


 肩に刀を載せ、小ばかにしたように顎を上げた状態から体を前に沈める。

 今までよりも攻撃に入る体勢としていると感じた。

――が、違った。

 慣れたはずの目でも踏み込みの瞬間を捉えきれず、気づけば目の前には長い髪。

 しかもそれは左右に振れて、川の濁った流れのように迫っていた。


「おらおら!」


 声の方、髪の流れている方――向かって右手に向けて刀を上げた。

 もはや姿は捉えられず、闇雲やみくもに上げただけの刀がたまたま克士郎の刀を弾いた。

 ついで中段、下段も返し克士郎は元居た場所にてまた肩に刀を担いで立つ。


「手加減――か」

「分かったか? ずっとだよ、今のでも加減してやってんだ。本気だったらお前の首 は胴についてねえよ。腕の差は分かったか? いい加減に見せろよ奥義をよお!」

「そうだな。剣の腕はお主が上であろう――」

 

 新之丞はずっと仕掛けようとはしていた。しかし捕まえられない。速さに慣れ攻撃も見切り、それでも捕まえることができない。

 得心が行った。加減をしていたから、限界までの攻撃でないから、余裕がある。

 だから連撃が早く、だから退避が早く、捕まえることが出来ない。


「――だが」

「だがだぁ?!」

「――底は知れた」


 一種の賭けだった。それも幾つもの賭け。

 いつか疲れることを考えていられるほど新之丞にも余裕はない。

 捕まえることが出来ないのであれば余裕をなくす他無かった。


「ふっ、ふふっ、そうか、そういう奥義か? 防御重視の流派であるようだし、そういうのもあるか――いいぜ、乗ってやるよ」


 果たして口働きがはまったのかどうか。

 新之丞には未だ理解の外である相手であるが、ともあれ思惑には乗って来る。

 余裕綽々よゆうしゃくしゃくで肩に担いだ刀を下ろして正眼に構えた。目つきは鋭く刺すようで、呼吸は深く大きく――そして冷たい。

 見ているだけで熱を忘れさせる集中であればそれは本気以外の何ものでもない。

 新之丞とてそれは同じ。

 全身の感覚を目に集中させ、克士郎のを見る。

 一瞬でも遅れれば首と胴が泣き別れる――その緊張感が辺りに伝播でんぱした。

 む風、静まる蝉、獣すら寝静まったように沈黙する山。

 息が詰まるような圧迫感。指の一本も動かせない緊張感。

 今か今かという焦燥感の中、ほんの一瞬新之丞の目線が揺らぐ。

 そして差す光すら止まったかのように暗くなった。

――一つ目の賭けは勝った。

 あれ以上の速さであればもはや目には終えない。なれば読みで受ける他ない。

 最初の打ち込みから、先刻の打ち込み、違いは左右への変化のみ。

 やはり連撃は上から流れなければ続けられない。刀が地に落ちる勢いを加算しての攻撃であるからだ。

 ならば本気を出したという今回はそれ以上の速度での打ち込みであろう。

 それも殺す気で。

 あの傲慢ごうまんさは真実――間違いなく真っすぐ来て腕の差を感じさせて斬る。分かっても対処させない。出来ないという気概きがいに賭け手を出した。

 場所は上段、打ち込みは右手、つまりは新之丞の左手側。

 左右は運もあった、ただ右からならば許容出来るというだけ。そして、手に掛かる確かな重みは勝利のあかし


「良くぞ受けたっ!」


 そして同時に一つ負けた。

 未だかつてない速度に、新之丞は押し負けた。

 未だかつてないほど体を崩す。勢い右手は背後にまで飛ばされる。

 そして克士郎は既に中段斬りの構え――新之丞は覚悟を決めた。

 左手を上げて腹を差し出す。

 身体の左に力を込めた、はち切れんばかりの力で身体を内から張って待つ。

 半端な振りに半端な踏み込み、だが本気の斬撃は今までの比ではない勢い。


「取ったっ!」


 胴を寸断する気迫の一撃が、緑のころもを切り裂いて腹を捉え、めり込む刃が鳴らした音――鈍い金属音が山に木魂こだました。

 腹から背の骨に通る鈍い衝撃。

 新之丞の身体には帷子かたびらがある。

 首から見えぬよう、衣の内を沿うよう仕込んだ鎖帷子がくさりかたびら二つ目の賭けに勝利した。


「なにぃっ?!!」


 幾ら素早い克士郎も殺すための一撃を放てば隙が生まれる。

 克士郎の重心は前に残ったまま。

 新之丞の右手は既に退かれていて、刃は寝ていた。

 腰が周り、肩が入ると、肘を前へ。刃が狙うは肋骨の隙間。長羽織を抜けて、鳳凰の翼を捉え、その直下の心の臓へ。

 捉えた貫き通した刃。舞うは長羽織――だけだった。


「ぬぅっ!」


 退いては逃げられぬと、前へ一歩出て脇腹の肉の一寸いっすんを犠牲にかわす。

 

「逃がすかっ」

 

 新之丞は吠えた。

 ここで逃がせばもはやない。肉を切らせず骨を断たせず勝てる方策ほうさくはない。

 新之丞は懸命に左手を振るって、克士郎のそでに指を掛ける。

 痛む腹に顔をゆがめながらも、満身の力で引き寄せた。


「このっ、離せっ!」


 克士郎とて捕まれば勝てぬと理解している。

 必死で払う、もがく、暴れる。

 だが所詮は細腕、指先だけであろうと鍛えぬかれた肉体が負ける道理はない。

 新之丞の刀は短い。身の丈は人より大きいと言うのに打刀のぎりぎりの長さである刃長二尺である。

 これは煤宮において刀は受けるためのものだからだ。受けに使うなら短く取り回しが良いほうが都合がいい。

 刀で受けて、身体で捉えて、組打くみうちにて討つ。

 身体が勝れば技で劣ろうとも勝てる。

 幾ら人を殺すための手段を磨こうが関係ない。

 組んでしまえば槍も刀も意味をなさないのだから。

 引き寄せ、暴れる克士郎に足を掛けて引き倒せば――必勝の型。

 これが煤宮の討ち方である。


「帷子が奥義とでも――っ! くそがっ!」

「その通り」


 だがそれでも克士郎はさるもの。

 首に掛かった刃の下に自らの刀を滑り込ませる。しかも刃を立てて。

 事ここに至っても簡単には終わらせない、本当の腕を見た。


「ふざけるな! こんなもんで俺が。剣の腕なら俺が上だ! 上だろうが!」

「だろうな。だが剣で負けても勝つが煤宮の剣術」

「腕で負けて――それで剣術と言えるのか!」

「そうだ。煤宮で競うのは腕ではない。逃げてもよいのだ。生き残ればな」

「そ、そんなもんが剣術か! 剣術は人を殺すための――」

「その流れにない剣術なのでな」


 克士郎の端正な顔は獣のように歪み、咆哮ほうこうを上げた。

 だが新之丞にあわれみはない。気持ちが分かるからだ。

 煤宮でした修行はそのどれもが、新之丞の考える剣術とはかけ離れていた。剣の腕を磨くものに合致しなかったのだから。


「とはいえ勝ちは勝ちだ。あと何人いる? 山中やまなかの他に何人残っている? 次第によっては生かしてやるが?」

「言うか、間抜け! 負けてない。俺は負けてない。お前のような腕で劣る相手に――だまし討ちで、騙し討ちでぇぇ!」

「戦場であれば帷子を着込んで当然。辻斬りなどという騙し討ちばかりしているから 相手が準備していることを忘れるのだ」


 するとまた悔しがるように顔に皺を寄せ、唾を吐きながら雄叫おたけびを上げた。


「ぅおのれぇぇ!! 茂吉もきちぃぃぃっ! 助けろ! 俺は! 克士朗はここだぁっ!」

「憐れな。助けを請うか」

「どうせ聞こえてんだろうっ! 茂吉ぃぃっ! 助けろ!」

「助けを請う相手が違うとは思わぬのか?」

「黙れ! お前のような相手に誰が! 茂吉ぃぃっ! 早くしろ、とっとと来い!」

「間に合うわけなかろう」

「黙れぇっ! 負けてねぇ! 剣の腕じゃ負けてねぇんだ!」


 敵ながら見事な技の冴え。新之丞には到達出来なかった領域。

 子供心に美しい剣技にて相手を討てればという憧れだって持っていた。

 この克士郎という男の腕は敬意を払うに値した。

 たとえ辻斬りであろうと、技を盗み、己が流派を立ち上げ天下にごうする。

 そんな剣士の夢にある意味は真っ直ぐ進むのだから。

 だがそんな気持ちはもはや失せた。


「この状態で持ちこたえられると思っているのか。言えっ!!」

「この状態でトドめをさせると思ってのか! 阿呆がよぉっ!」


 新之丞の刀は首に掛かっている。とはいえ下には克士郎の刀が縦につっかえる。

 縦で刀を折るのは生半なまなかなことでは難しい。

 とはいえ片手を離せば即座に逃げられるだろう。

 幾ら力に差があれど、暴れる獣を取り押さえるのは並大抵のことでは難しい。

 挙句に援軍も示唆しさされている。

 少しでも緩めれば焦っては脱出をされかねない。


「おら来い茂吉! 早く来い! ハゲぇぇ!!」


 もっともそれは並みの男の場合はであるが。

 新之丞が短く「ふんっ」と気合いを入れた。


「な、なんで!」


 埋まり行く刀の峰。最初に嫌な音を立てたのは腕――の骨。

 肘から地面に埋まっていくと、バキと音を立てて二の腕の骨が砕けた。


「――ぐぁっ! なんで、どうなってやがる。お前、どんなっなんでっ?!」


 もはや両腕は右手は用をなさず、それでも左手だけで刀を立てて見せる。

 だが更に埋まっていく刃に今度は胸が耐えきれない。

 一つ骨の折れた音が響けば、刀が埋まり。

 もう一つ骨の折れた音がすれば、より刀が埋まる。

 三つ目の骨が砕けた音が聞こえると、克士郎の首は自らの峰によって締まる。

 口からは血と苦悶と共に疑問が吐き出された。

 

「な、ん――でっ」


 新之丞の腕は帷子をぶち破らんばかりに膨らんだ。

 もはや苦しめまいと、その腕で刀を思い切り押し込む。

 地面まで通り抜けた刃、真っ赤に染まった怒りの顔は二転三転と転がって行く。


「――腕の差だ」


 答えをやると、立っていた克士郎の首は風に吹かれて突っ伏すように倒れた。

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