克士郎

 相手が木陰から出て来ても新之丞はまだ呆然と立ち上がれないでいた。

 女のような――いや男であろうか、どちらであっても山奥にはありえぬ派手な格好に呆気に取られた。


「こんなところで――役者か?」


 赤と黒の衣装、雲の隙間から飛びあがる鳳凰ほうおうの意匠に長羽織ながばおり天辺てっぺんで結んだ頭髪は腰までありつややか。顔も手も白粉おしろいを塗ったようとあっては役者にしか見えなかった。

 だが当然答えは違った。男は「まさか」と小馬鹿にしたように返す。


「やはり賊か」

「まさか。それも違う」


 男は答えつつ、倒れた力士の側でしゃがみ込む。

 どこで拾ったのか細い枝で、力士を突くと喉からまた血が吹き出た。


「おお、喉を一突きか。しかも巖鉄丸がんてつまるを持ってるのにだ。いやいや俺でもこれでためと やれと言われたらただで済むかどうか。それをお前、随分綺麗じゃないか」


 演技掛かった大げさな身振り手振りで近づいて来る。

 高い声、小柄な身体、綺麗な顔と、近づかれても男か女か分からないでいた。


「何者だ? 賊でないなら、こんなところで何をしている」

「お前を探していた」

「探し――何故?」


 随分走った。最後はほぼ歩きだったとはいえ息一つ乱していない。暑苦しい格好なのに汗もあまり掻いていない。


「何故、なあ。あ、なら代わりに為を倒した技を教えてくれ。どうよ?」

「――ああ、良いだろう」

「はっ、話が分かるじゃないか。いいぜお前。俺はな強い奴を探している。俺の技の糧になりそうな奴らだ。そして腕を上げたいのさ」


 得意げにそう言う男女の顔に嘘は見えない。だが解せない。

 だが男女はそれ以上語らず”そちらの番”と言わんばかりに顎をしゃくった。


「――突きだ」

 

 その一言では納得行かなかったのか口を尖らす。


「それだけかぁ? ケチだな。良いけどよ。ああ、そうだ俺は。藤野克士郎という」

「――坂下新之丞。何故こんなところで――賊の噂を聞いてきたのか?」

「噂、いや別に?」

「じゃあ、山籠りでもしているのか?」

「俺が――これでか? この格好見えてるか?」


 大仰に手を広げて見せる。着物の派手さ、容姿の端麗さ、身なりの綺麗さはいずれも山籠りとは思えない。手入れは行き届いていた。


「なら、なんだ。ここに住んでいるとでも?」

「おお、惜しいぞ、正解は――」


 不適な笑み、口角をあげ、目を細めた剣呑けんのんな表情をわざとらしく見せて――一歩前に歩いたように見えた。


「賊と同じ釜の飯を食ってはいる。だ」

「ちぃっ!」


 気付けば克士郎は間合い内、しかも刀に手を掛けていた。

 新之丞は立ち上がりながら、斬り上げた――が、刀は横に、明後日に飛んでいく。

 克士郎は余裕なのか未だ間合い内だというのに刀を肩に担いで口を開いた。


「おいおいおい、行き成り斬り付ける奴があるか?」


 幾ら体勢不十分であったとしても、幾ら相手が抜き打ちだろうと、後の先を取られようと、体勢を崩されたとあっては屈辱くつじょくである。

 身の丈は鉄治ほどにしかない男にである。振りの鋭さ、振りの威力いずれか、または両方が卓越しているという証左しょうさ

 新之丞は眉をひそめて飛び退き間合いを離しつつ「ちぃっ」と大きく舌を打った。


「怒るな怒るな」


 肩をすくめた克士郎の口はあざけりが象られれば、新之丞の額には屈辱の皺が寄る。

 挑発し、相手に手を出させる。そこに隙を見出すのが煤宮のことわりである。

 不意に間合いに入られるのも、入られたとはいえ先手を打つのもどちらも間違い。

間合いとは呼び込む場所である。

 挙句、細腕に押し負けたと在ってはもはや屈辱以外の言葉すらない。

 盛夏の真昼の熱気すらも生ぬるく感じるほどに沸き立つモノが腹の中でうずいた。


「お前も人を斬りに来たんだろう? なら斬られる覚悟はあるということ。怒ること じゃあない。そうだろ?」

「”も”だと? お主は何者だ?」

「何者と問われればなぁ? そりゃこれだぜ」


 手にした刀を納めて、長羽織を跳ね上げ鞘を見せてくる。

 身の丈にしても短めの刀、刃長はちょうは二尺ないようにも見えた。

 目についたのは鞘の蛇腹じゃばらのような形。柄も握り易く中が絞った立鼓形りゅうごなりで、柄巻つかまきは菱形ひしがたが出るように巻かれ、つばかしの入った丸型まるがた――ある言葉が浮かんだ。


柳生やぎゅうか?」

「なるほど、まあ確かに。これは音に聞く連也斎れんやさいの拵えを真似た物だ。でも柳生では ない。関係ないさ」

「ならなんだ?」

「刀を差しているのだ。剣術の腕を磨く者だ。分かれよ」

「それで何故山賊の仲間に」

「だから違うって逆だ逆、斬りに来たんだよ。お前と一緒だ。だから”も”だろ」


 分からなかった。

 新之丞の目ではこの男を見通せない。

 派手な格好も、柳生の拵えをしている理由も、斬りに来た相手と同じ釜の飯を食うと言っていることも。どれもこれも理に合わない。

 一つだけ分かったのは逃がす気はないということ。

 新之丞が退けばその分詰めてくる。

 横を見ようが、天を仰ごうが目は新之丞から離れない。

 そして右手は柄に掛かって、いつでも斬る体勢のまま。


「違うな」

「何をだ」

「私が斬りたいのは一人だけだ」

「ああ――ああ! そうか確か然全殿を狙ってたと言ってた――じゃあ丁度いいな。

どうだ? 俺と組まないか?」

「組む?」

「実は俺も出来れば然全殿を斬りたい。ただなぁ。中々斬り合いに応じない。無理 仕掛けてもいいんだが、周りにはいっつも誰かいる。邪魔くさい奴らがな。だから、一緒に取り巻きからかたづけるというのはどうだ? いい案だ。妙案みょうあんであろ?」」


 確かに提案は魅力的だった。

 後どれくらいいるか分からない山賊連中を退けて、山中やまなかに辿り着くのは至難のわざ

 協力者が要ればと考えないこともない――だが。


「断る」

「はぁ、何故?! 馬鹿か? どう考えてもそのほうがいいだろ」

「分からぬ」

「分からぬ? 何がだ」

「仮にも同じ釜の飯を食らった仲。その男の死体を弄りまわし、その男を斬った相手に協力を申し出る。私の理解の及ばぬとこにいるからだ」

「だからぁ。俺は元々斬りに来たと言うておろう?」

「斬りに来た相手と何故飯を食らう。それが出来るなら、手を組んだとて背から斬り掛かって来ぬ保証はなかろう。そんな相手と手を組めると思うか?」

「ああ、そうか。俺も抜けてる」


 深い嘆息たんそくと共に深く顔を沈めた。

 再び顔を上げると目を細め引きつった頬に引きずられて両側の尖った歯が見える。

 それは獣――牙を剥いた口を上下に開いて声を出した。


「普通そういう相手は斬らぬのだったなぁ」

 

――来る

 身体の割りに大きい克士郎の足に力が篭ったのが見えると、目の前が暗転。

 それが克士郎の長い髪であると気付いたのは上から振る刀が見えてからだった。


「しっ」


 短く気合いを付けて上段やや右手寄りからの振り下ろし。

 油断してはいなかった。単純に克士郎の行き足が新之丞の退き足を上回っている。

 退くことを第一とする煤宮にて、山野を駆けて、師にしごかれて作った退き足より克士郎が早い


「くっ」

 

 故に声が出るほど苦しい受けとなる。身を捩って辛うじて受けられた。

 後一寸もあれば左肩を着物ごと裂かれていたほどの鋭さ。

 出遅れては膂力で上回ろうと押し込まれてしまう。

 安堵も束の間、克士郎の刃は戻る途中で方向転換。

 同じく右手、新之丞の左腹を狙う胴薙ぎ。

 上段を受けた時点で無理がある体勢。受けが間に合わない。

 ならばと新之丞は足を下げた。

 片膝をついて無理矢理刀の位置を落とし、胴薙ぎを受けた。

――が、いやに軽い。

 捨て石の中段から、すぐに刀が引かれる。またしても中途半端に引いて、そこから更に下へと刀の軌道が変わった。

 下段である。片膝を付いた姿勢。足首を取りに来られる。

 これを受けるには刀を逆手に持ち替える他ない。それが間に合うわけもない。

――一か八か

 新之丞は右足と左膝に力を込めて身体を浮かび上がらせる。

 そのすぐ下を刃が通り抜けると、今までの修行に感謝をした。


「はっはぁ、器用だな、お前。初見で受け切られたのは初めてだ」

「行き成り斬りつけてくるとはな。手を組めないとなると、今度は仇討ちか?」

「仇討ち? むしろ俺がされる側だろうなぁ。どれほど斬ってきたと思ってるんだ? ま、追って来た者も全員斬ったがな。大した腕もないくせに無駄なことだったが」


 唾を吐き捨てる克士郎を見て、新之丞は吐き気を催した。

 ”ただの人を斬りたいだけの狂人”だと喉まで出かかる。


「おいおい、そんな目で見るなよ。別に人斬りが好きってわけじゃないんだ――おい 本当だぞ? ただ、俺はな技が見たい。それだけさ」

「技を――?」

「そうさ。技を見たい」

「ならば道場に来ればいい」

「いやぁ、命のやり取りの最中ではなくては見られぬものもある。それにそう言ってもお前も技を見せてないだろ? なら手っ取り早いこの手に――限るっ!」


 再び踏み込み、再び気付けば目の前で髪が踊る。

 見切れぬほどの常人離れした踏み込み、見えたのは一足飛びで距離を殺したということだけだった。

 新之丞との距離であれば通常二歩、いや克士郎の身の丈なら三歩は要る。

 それを一歩で距離を殺す、しかも勢いを付けずに。

 右手一本の新之丞、大して克四郎は両手持ち。それでも新之丞は押し負けぬ自信はあった。

 だが勝てない。気付くのが一瞬遅く、勢いの乗った斬りの早さも合わさった一撃にまたしても押し負けて体勢が崩れる。

 追い打ちの二撃目の中段で完全に崩され、三撃目の下段。

 

「貰ったっ!」


 克士郎の小手が返り、刃が上を向いた。

 飛んでも当たり、飛ぼうとしているために右手はどうあがいても間に合わない。

 ただ、同じ手は利かないのではと考えていたために辛うじて間に合った。

 徒手の左手の手の甲が、虎の子の仕込み鉄が火花を散らして受けきった。


鉄甲てっこうとはなぁ。中々楽しませてくれ――るっ!」


 一度下がった克士郎であったが、間髪入れずにまた地を一息で滑った。

 克士郎の攻撃は三連。初手は上段、次は下へ下へと戻し切らずに連続での斬撃。

 まるで稲妻のように上から三連。

 攻撃の隙間を減らすために戻さず、戻さないから少しづつ下へ切り替える。

 ネタは分かっている。だが、問題は初撃で押し負けることだ。

 新之丞よりも小さく、細い克士郎に。

 元来片手でも負けない。いや負けてはならない相手である。

 なら押し負ける理由は何か。勢いである。逃げるために受けている新之丞と、追いながら攻撃してくる克士郎の勢いの差は瞭然りょうぜん

 さらには外すことなど微塵みじんも考えてない傲慢ごうまんなまでの自信が全身、身体全体でぶつかるように突進してくるのだから受けるのは難しい。

 ただし片手では――

 新之丞は右手の刀で今までと同じように受ける。

 そして刀を追いかけるように左手を飛ばし、みねてのひらをぶつけた。

 ”追い手”と呼ばれる技術であった。右手一本で受けられない時に左手を用いる。

 刀の当たる位置に近い場所を勢いを付けてぶつけるように押すことで、並みの両手の一撃に打ち勝てる力を生み出す。


「なるほどなるほど!」 


 元来はそこから別の攻撃に派生する。

 だが、克士郎は崩れた。いや崩れ過ぎた。

 弾き飛ばされる勢いを利用して元の位置に戻ってしまう。


「左手はそう使うか。はっはぁ。こうか? それとも――」


 峰に左手を当て先程の新之丞の動きを模倣もほうしながら「面白い」と呟く。

 新之丞はじりじりと後ろに下がった。

 何も見えぬ相手で、避けることの出来ない鋭い斬撃。

 もっとも食い合わせが悪いと言えるこの克士郎から、願わくば逃げようと。


「ああ、すまん。待たせた――なっ!」


 鋭い踏み込みに背後は見せられず、再び受けざるを得ない。

 上段の攻撃に刀を合わせ先刻と同じように追い手を掛けた。

 が、吹き飛ばすことはかなわない。

 克士郎もだったからだ。右手一本で刀を持ち、追い手を掛けて峰を押す。ならば、そこに乗った勢いの差の分押し込まれてしまうのは先刻までと同じだった。


「確かに悪くないっ!」


 眼前の克士郎が吠え二撃、三撃と下ろされる剣戟けんげき

 先刻よりもより厳しい体勢であったが。

 追い手を掛けた分、片手のお陰で受けはむしろ楽であった。

 軽く弾くと、克士郎は飛び退いて戻った。


「ふーむ、片手では威力は出せぬな。お前のように太い腕ならではか」

「技を模倣する流派とはな」

「流派? 俺の流派か? ないない。そんなもの。あえて言えば俺流よ」

「我流――?」

「違う違う。俺流だよ。聞こえてたか?」

「だから我流であろう」

「違う。天と地ほども違うだろうが。俺はな齢二十を数える。初めて刀を手に取ってから早七年。そろそろ自分の流派を興す頃合いだ。だがまだ名もないし」

「だから俺流と――」


 これまでと同じ言っている意味は分かったが何も理解できなかった。

 ただ、何となくで頷いて返す。


「そう、そういうことだ! それにまだ完成もしていない。だから俺流の完成のために相応しい技を集めているというわけだ。勿論腕の立つ相手のだぞ? 雑魚の技では強い流派にならぬからな。流派を興す以上はどこかの指南役くらいにはならぬとな」

「それで何故追われる身になる?」

「かぁー痛いところを突いて来やがる。俺だって昨年までは江戸を巡っていたんだ。 しかしなぁ、中々技を見せてくれない。初伝のみだとか金払えとか。けち臭い道場 ばかりでな。仕方ないから道場破りになるわけだ。分かるか?」

「それで技を見られるであろう」

「分かってないな。道場破りやりまくってるとな。相手が一緒になるんだよ」


 やはり言っている意味が分からない。首を傾げた。


「知らぬのか? お前の腕くらいあれば同じことが起きるぞ。腕のない道場主はな、道場破りとやりあいたくない。腕の立つ道場から人を借り受けるのだ。負けるくらいなら他所に頭を上げて金を払ってもと考えるらしい。笑えるだろ?」

「それは同意だ」

「はっはぁ! だろぉ? しかも俺は技を見せろって言っただけだ。看板は要らんと 言ったんだ。同じ道場の奴らが出てきても意味がないからな。だから言ったんだ。 だから仕方ないだろう?」

「何が――仕方ない?」

「同じだよ。みんな。お前と同じ。命が掛かれば身に付けた技を使わざるをえない。 それに命懸けのほうが技も冴える。腕も一段上がるからな」


 端正な顔を歪めて下卑げびた顔で「つじでな」とよろこんだような声で続けた。


辻斬つじぎりか」

「俺は磨いた腕の使いどころをくれてやったまでだぜ? 本望だろう。本望じゃない なら剣士とは言えない。武士とは言えない。少し斬っただけだと言うのになぁ」

「少し――か?」

「あー少しさ。えーと、ひいふうみい――九つだ。大したことはないだろ? 江戸に 道場は五百からあるのだ。内九人程度でガタガタ騒ぐなんざな」

「なるほど、確かに九人も斬れば江戸には居られぬというわけか」


 当然関所も通れない身。街道を通れず、行ける場所と言えば山の奥のみ。

 そこに腕の立つ相手が居たら――留まるのも理解出来た。


「そう、もう江戸には居られない身だ。だから見せてくれよお前の技を、腕前をよ。 この程度じゃないだろ? その左手の指、凄い傷じゃないか。とんでもない修行を したんだろ? まさかさっきのだけじゃないよな? あれでしくじっても指が飛ぶ だけ――だからそんなひん曲がるまで技を磨いたんだろ? なあ見せてくれよ」


 少しこの男が理解できた気がした。

 恐らく焦燥しょうそうなのだろう。余裕ぶった顔と派手な格好でけむに巻かれた向こうの根。

 理解出来ない話も、この男の自らの腕を上げるという目的に対する焦燥。

 剣筋と同じくあまりにもその都度、直線的な目的への動きをしている。

 そう考えれば理解は出来た。無論同意も納得もできないが。


「それにその腰に差したもう一本は短刀だ。お前のような剣士がわざわざそんなもん 差すなら使うんだろ? 戦場にいかねぇのに戦場のために差してる脇差とは違う。 そうだろ? 二刀か? なあ見せてくれよ。俺流もまだ二刀はないんだよ!」


 故に逃げることは出来ないだろうとも分かった。

 受けて立つ。煤宮には二の次の選択であろうともやらねばならぬ時はある。


「ならば――こちらも奥義で応えよう」


 煤宮は山間の村を野伏から守るために生まれた。

 逃げてばかりで敵が消えるわけでもない。

 自らより強く、大きく、早い武士から村人が生き残るための術。

 山深い地で集落を失って生きていけるわけもなく。

 されば煤宮にも敵を屠る手段はあるのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る