足働き

 河原の石を蹴とばして新之丞は走った。

 木々の隙間を縫うように、枝で顔を打ち、袖を引っかけて走る。

 刀は逆手に、左手は鞘に当てて身体の均衡を保ち足を動かす。

 張り出た根を飛び越え、繁々しげしげと育つ草むらに突っ込んでも止まらない。

 陽光がまぶしくとも、汗が目に入っても走り続けた。


――足働あしばたら

 煤宮にて習った二つ目の技である。

 口働きが形になって来ると始まった修行。

 一年目は庭を、二年目は道場の周りの田畑を、三年目の夏についに山に至る。

 十三になった新之丞はようやく本番を迎えた修行に張り切っていた。

 これまでもそうして来たように伝助と並んで走る。

 ただ、新之丞のやる気に比して、伝助は一刻とたたずに音を上げた。


「待って、兄弟子、新之丞っ」

「休んでて良いぞーゆっくり付いて来ーい。新之丞も無理はするなよ。今日は日差し も強いし、今までと違って山は道も悪いからな」


 兄弟子の松原平七まつばらへいしちは細く神経質そうな顔を限界まで柔和にゅうわに崩した表情を作る男だ。

 それは炎天下の山の中を走っても変わらない。

 新之丞は既に息は苦しくあったが、こう言われては足を止めるわけにはいかない。


「まだ、まだっ!」

「やるなーよーし!」


 松原は時に、いや往々おうおうにして新之丞たちを子供扱いする。

 十歳年上であるし実際に元服はしていないのだから当然ではあるが、それでも子供扱いが気に入るわけがなかった。

 『子供だから』で手加減されてるという実感もあり、生ぬるい修行もそのせいかと思えば反骨心はんこつしんも芽生える。

 松原に並ぼうと足を早めれば、松原もその分足を早めて差が縮まらない。

 悠然と、息を乱さずそれをされるのである。

 新之丞の気性は足に限界を超えることを選んだ。

 手を振り、足を回す。水の中でもがく犬のように足を回し続ける。

 対する松原は悠然。手も足もまだ緩やかで余裕のある走り。身の丈の差も歴然、足の長さも一尺は違うのだから当然ではある。

 だがその”差”は新之丞には受け入れ難く。

 その”差”を埋めるために身体の悲鳴を聞き逃した。


「おーい無理するな」


 心配する兄弟子の声も足を動かすかてにしかならない。

 走り走って、口は空気を求めて顎は上がる。

 それでも足を止めず走れば喉は張り付き、手足は重くなっていく。

 まだまだと足を動かし、張り付いた喉を引き剥がすように大きく口を開く。

 何も考えられず、苦しさもやがて忘れていく感覚が訪れる。

 だから新之丞は足働きが好きであった。

 けして得意ではなかった足働きも好きこそものの上手なれ。三年目の夏ともなれば伝助では追いつけない境地に達していた。

――兄弟子にも負けぬ。という気持ちで足を動かし続ける。

 やがて手足の重さを感じることもなくなり、目や耳は何も捉えなくなり――


「――おい――おい」


 気付けば目の前は真っ白――否、日差しで目が眩んだ。


「――しろい?」

「おーい、新之丞大丈夫か?」

「倒れるまで走るなよな。危なっかしい」


 白い輝きの中から現れたのは松原と伝助の二つの顔。

 兼ねてより似ていると思っていた二人の顔が並んでいた。

 ただこうして近くで二つ揃ってみてもいまいち似ていない。

 どこか表情の作り方――とぼけたようにも抜けたようにも見える、人の良さそうな顔をいつもしている。まるで福の神のようであると。

 ようやく氷塊した疑問に新之丞の顔もつられて口角が上がった。


「兄弟子、こいつ頭打ったんじゃないすか?」

「しっかり背から落ちたよ。まだ頭がぼうっとしているだけだ。ほーら新之丞水だ。 飲め。それで少し木陰で休もう」


 背を支えられて起こされ、竹筒を渡された。

 足はまだ少し力が入らず、松原に支えられて近くの木陰に移動。伝助も横に座って竹筒を要求してくるので渡す。まだ疲れの見えない松原は立ち上がると、振り向き話を始めた。


「二人とも身体は大事ないか?」

「はいっ」

「よろしい。初めての山での足働きであるからな。先刻のような無理は良くないぞ」

「――はい」

「ほら肩を落とすな。せっかくの技の修行。お主らは」

「技?」

「師匠からは逃げ足を鍛えるためと聞きました」


 深く頷き、二人の前を左右に歩く。まるで寺子屋の指南役のよう。

 これは松原が解説を始める前の癖のようなもの。新之丞は正座に座り直すと遅れて伝助も正座。

 それを見てまた深く頷いてから話始めた。


「うむ、勿論それが大前提だ。生き残れなければ煤宮でない。走る力が勝っていれば 必ず生きて帰れるからな。その為に走っているわけだ。が、足働きは技でもある。 相手を倒すための、まさに必殺の働きをすることがある」

「必殺ですか?」

「そうだ。どんな大男だろうが、どれだけ強かろうが関係ない。絶対に相手を殺せる 技足りうる。もっとも煤宮らしい最強の技とも言えよう――知りたいか?」

「是非、教えてください!」


 必殺という言葉の響きだけでも魅力的な年頃の二人は即座に食いついた。

 『刀を振る前に』と師に言われ、早三年。木剣を握るのも月に一度あるかないか。

正直詰まらない地道な修行か、人に恨みを買う修行ばかりかで飽きていた。

 であるから正座を崩して松原に勢い飛びつきそうになるのも必然。


「はーっはっは。お前らくらいの歳ならそうだよな。相手を殺す技が欲しいよなー。

 でも駄目だぞ。煤宮たるもの、まず相手を害す技を欲してはならん」

「えー、そんなー冗談でもひでぇよ兄弟子」

「嘘――なんて」

「んー? 嘘は言うてない。こと剣術に置いてこの松原、冗談も嘘も言わん」


 松原の柔和な表情が一転。厳しい真面目な目つき。

 剣術に対する松原の熱意は本物だ。

 何しろ潰す予定の道場に一人弟子入りした男。

 高度な教育を受けている武士の出であり食い扶持には困らず、どんな流派にも師事することが出来るというのに。

 道場を寺子屋にして自ら指南をし、町医者の手伝いもして金を稼ぐ。新之丞たちが来るまで経った一人、火の消えた道場を盛り立てていた。

 その松原が言うのであるから事実であろう。

 ただそれでも走って相手を殺すというのはにわかには信じられない。


「足働きには必殺はある」


 不思議そうな、不満そうな顔もしたであろう二人の弟弟子に「ただ少し難しい条件がいるがな」と目を細めて答えた。


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