山賊砦
三〇〇年以上前、七沢には城があった。
七沢城――かの
北条家の支配下に入り、ほどなく廃城の
しかし忘れられていたのか、気付かなかったのか、はたまた面倒だったのか。砦が一つ残った。山の奥の少し開けた場所。眼下に七沢から相模の海を望む砦が一つ。
三〇〇年の時を経た砦だが穴の開いてない屋根があり、壁があり、
その五〇にも及ぶ木の階段を一足、いや二足飛びに飛んで駆ける影が一つ。
息は
それでも止まらず這いながら戸を開き、中へと転がり入った。
「やっと来たか
広間の床に
軽々ひょいと片手で持ち上げた大男は
「おい、そりゃ鉄太だ。為右衛門。目付いてるか、
ついで近づいて来ては鞘で鉄太の頭を叩く者。
派手な
斬るような鋭い視線と突き刺すような厳しい口調でなければ男と分からない。
「なんじゃ鉄太かい。そいじゃ鉄治はどうした? おい聞いとるんじゃ」
「首が締まってんだよ。顔が青いだろうが。色を忘れたか、ど阿呆」
「おい
頭に来たのか、為右衛門の手が離れされる。
突然のことに受け身をとることも
「キャキャ、お、落ちた! 落ちたッ!」
薄汚れた手ぬぐいをほっかむりした農夫のようで、赤子のように四つん這い。異様に長い手足を小刻みに素早く動かし近づいてくる様は虫のようでもある。
「うえ、こっち来んなっつったよなぁ?
「落ち着け。其方らはまったく。鉄太、落ち着いたか? 何があった」
見かねて入って来たのは、賊の
打ち付けられ、息の出来ない鉄太の背を優しく
「ま、
「なんだ。またカワウソにでも襲われたのか?」
「ちがっ、敵です。鉄治がっ鉄治が」
「何ぃ敵ぃ?! それで鉄治はどうしたんじゃ」
「た――戦ってる」
「ばっかもん! 置いて来たんかヌシャ。河原じゃなぁ!!」
為右衛門は叫ぶと、力士のような巨体で建物ごと揺らして走り去った。
「おい、答えを聞いてけ。まったく頭はついているのか、豚が。しかも今から行って 為の足で間に合うわけないだろう。鉄治の腕でどれほど粘れるものかね。まったく
可哀想な話だぜ。見捨てられてよ」
「ちがっ、違う! 見捨ててなんかっ」
「ならなぜ逃げて来た。お前、まさか間に合うとでも思ってるのか。間抜けが」
「エ、エフッ! い、今頃。鉄治の首――! エフエ、フフッ!」
「でも、でも、鉄治が。鉄治が、なんか怒ってて。それでっ。う、ううぅぅぅ」
泣き出す鉄太。茂吉は「ウーウー」と真似しながら周りを回って囃し立てた。
「な、鳴いた! 鉄太が鳴いたぁっ!!」
「やめよ。二人とも」
「二人ともぉ? 又左殿心外だなぁ。俺は真っ当な話をしただけだろう」
「それでもだ」
「又左殿。て、鉄治、鉄治は――」
縋って袴を掴んだ鉄太の手は、侍によってそっと外された。
誰よりも厳しい顔をして「分からぬ」と一言。
鉄治が絶望であると理解した鉄太はついに突っ伏し声を上げた。
「そもそも”敵”とやらは何者だ。まさか鉄治を狙ったわけではないであろう?」
「知らない――」
「当たり前だ。そんなこと聞いてないんだよ。歳は、格好は?! 何かあんだろ!」
「うぅぅぅ、歳は、克士郎くらい。緑の――旅姿」
「俺と? ふむ、じゃあ俺じゃないな。いや子と言う線はあるか? 他には?」
「他?」
「背格好とか得物とかは? 頭沸いてんのか、グズが」
「だからやめよ。大体そこまで言うなら其方が行けばいい」
「何故俺が鉄治を? 冗談だろう。居なくて誰か困るか」
「戦う相手を探しに来た。そう言っておったろう。いい機会と思うがな」
「俺に相応しい腕を持った相手を探しに来たんだ。忘れて貰っては困る」
「オ、オオオデが! 克士郎、オデならいつでも! なあオデならオデオデオデ!」
「黙れハゲ! お前は呼んでねぇんだよ。化け物とやってもなんにもなんねぇんだ。 技も糞もない力押しのお前なんぞ、やっても何の足しになるんだ。俺が戦うのは俺の腕を磨くため。即ち俺の腕に見合う技をもった相手だけよ。消えろっ!」
克士郎が
「なぁ、俺を動かしたいならあんたでもいい。俺の相手をしてくれれば」
「
「駄目だ駄目だ。んなもんもって戦いとは言わぬ。茂吉とやったほうがマシだ」
「ここでは殺し合いはせぬと言っておる。どうしても斬り合いがしたいというなら、やはり
「あのなぁ。そんなんで乗るかよ。それにそいつが強けりゃ喜んでやるが」
鉄太は顔を上げた。
目は赤いが、先刻よりも明るい。
克士郎の言い様にあることを思いついたからだ。
「――強い。かも」
「なんだぁ。お前の見立てを信じろと。お前より強い程度じゃあなぁ」
「違う、違う」
「背格好も得物も覚えてないのに、相手の腕は見抜けるつもりか? 寝て言え!」
「だって――敵が追って来たのは」
鉄太は右手を上げると、奥へと指をさした。
広間の奥、格子窓から入る陽の光を一身に集める場所へ。
三人の目が鉄太の指を追った先には
刀を手に乗せ、薄ぼんやりと光る姿は
ざんぎり頭の下の目には何も映さず、表情にはどんな色もなく、光に溶け込む様は
「かー
「ならば
「あるいは、そうやも」
「なら――鉄治を! 克士郎、鉄治を!」
「だからお前は馬鹿なんだよ。なら
「なんで、なんでぇっ!!」
「
光を集めて逃がさない、くすんだ瞳に克士郎が映る。
艶のない頬のかすかに残った張りがいびつに上がり、乾き切った灰色交じりの赤く薄い唇の端を微かに歪めて、そして開いた。
「お主が――か?」
乾いた然全の乾いた口を付いた声は想像を遥かに超えた乾いた響きだった。雨も嵐も吸い込む砂地の下から響く、
「俺がだよ。まさか然全殿が負けた相手なら俺も負けるとでも? いいんだぜ。俺は 今ここでやりあっても」
「克士郎!」
「別に俺は、又左殿でも良いのだがな?」
克士郎の手を刀に掛けて、挑戦的な目を又左に向ける。
「だとしても身供は木剣だぞ」
「ちっ、何故いつもそう逃げるんだ。別にいいだろ一度くらい斬り合いしても。別に死んだらそれまでの腕だったということ。それでいい側であろう? だからここで腕を磨いているのではないのか?」
「少なくとも今は敵が来るのだ。腕を磨く場所がなくなる瀬戸際やもしれん」
「分かった分かった。ならば斬ってしんぜよう。敵が居なければよいのだな? 敵が 居なくなれば真剣で相手をしてもらうぞ。よろしいかっ! 然全殿!」
然全は頷いた。
克士郎は満面の笑みを浮かべて
それを見て、然全の乾いた唇は更に引きあがり笑みを
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