山賊砦

 三〇〇年以上前、七沢には城があった。

 七沢城――かの北条早雲ほうじょうそううんが攻め落とした城である。

 北条家の支配下に入り、ほどなく廃城のに合う。

 しかし忘れられていたのか、気付かなかったのか、はたまた面倒だったのか。砦が一つ残った。山の奥の少し開けた場所。眼下に七沢から相模の海を望む砦が一つ。

 三〇〇年の時を経た砦だが穴の開いてない屋根があり、壁があり、格子こうし窓があり、戸があった。戸の前には下から続く木の段が整備され明らかに人の手が入っている。

 その五〇にも及ぶ木の階段を一足、いや二足飛びに飛んで駆ける影が一つ。

 息はえ、顔は蒼白そうはく、転げそうになりながら上りきると、勢い余って転げて、木戸にぶつかり跳ね返される。

 それでも止まらず這いながら戸を開き、中へと転がり入った。


「やっと来たか鉄治てつじぃ! 遅いわっ、ヌシャ干からびさせるつもりか!」


 広間の床に履物はきものも脱がずに激突するように地に伏した鉄太てった

 軽々ひょいと片手で持ち上げた大男はとぼけたようなつぶらな瞳とびっしり生えた髭面を押し付けるようにしてにらみつける。


「おい、そりゃ鉄太だ。為右衛門。目付いてるか、凡愚ぼんぐが。頭が違う」


 ついで近づいて来ては鞘で鉄太の頭を叩く者。

 派手な意匠いしょうらした赤黒の着物、白粉おしろいを塗ったような生白い顔は役者のよう。

 斬るような鋭い視線と突き刺すような厳しい口調でなければ男と分からない。


「なんじゃ鉄太かい。そいじゃ鉄治はどうした? おい聞いとるんじゃ」

「首が締まってんだよ。顔が青いだろうが。色を忘れたか、ど阿呆」

「おい克士郎かつしろう。さすがに言い過ぎじゃ――」


 頭に来たのか、為右衛門の手が離れされる。

 突然のことに受け身をとることもかなわずどんと鈍い音を立て再び床に激突。


「キャキャ、お、落ちた! 落ちたッ!」


 わらべの声を上げたのは、どう見ても鉄太の二回りは上の男。

 薄汚れた手ぬぐいをほっかむりした農夫のようで、赤子のように四つん這い。異様に長い手足を小刻みに素早く動かし近づいてくる様は虫のようでもある。


「うえ、こっち来んなっつったよなぁ? 茂吉もきちぃ! 臭ぇんだよ!」

「落ち着け。其方らはまったく。鉄太、落ち着いたか? 何があった」


 見かねて入って来たのは、賊のまり場に似つかわしくない侍だった。

 月代さかやきも髭も綺麗に剃っていて、身なりもきちんとした折り目正しい男。

 打ち付けられ、息の出来ない鉄太の背を優しくぜる。


「ま、又左またざ殿――て、鉄治がっ」

「なんだ。またカワウソにでも襲われたのか?」

「ちがっ、敵です。鉄治がっ鉄治が」

「何ぃ敵ぃ?! それで鉄治はどうしたんじゃ」

「た――戦ってる」

「ばっかもん! 置いて来たんかヌシャ。河原じゃなぁ!!」


 為右衛門は叫ぶと、力士のような巨体で建物ごと揺らして走り去った。


「おい、答えを聞いてけ。まったく頭はついているのか、豚が。しかも今から行って 為の足で間に合うわけないだろう。鉄治の腕でどれほど粘れるものかね。まったく

 可哀想な話だぜ。見捨てられてよ」

「ちがっ、違う! 見捨ててなんかっ」

「ならなぜ逃げて来た。お前、まさか間に合うとでも思ってるのか。間抜けが」

「エ、エフッ! い、今頃。鉄治の首――! エフエ、フフッ!」

「でも、でも、鉄治が。鉄治が、なんか怒ってて。それでっ。う、ううぅぅぅ」


 泣き出す鉄太。茂吉は「ウーウー」と真似しながら周りを回って囃し立てた。


「な、鳴いた! 鉄太が鳴いたぁっ!!」

「やめよ。二人とも」

「二人ともぉ? 又左殿心外だなぁ。俺は真っ当な話をしただけだろう」

「それでもだ」

「又左殿。て、鉄治、鉄治は――」


 縋って袴を掴んだ鉄太の手は、侍によってそっと外された。

 誰よりも厳しい顔をして「分からぬ」と一言。

 鉄治が絶望であると理解した鉄太はついに突っ伏し声を上げた。


「そもそも”敵”とやらは何者だ。まさか鉄治を狙ったわけではないであろう?」

「知らない――」

「当たり前だ。そんなこと聞いてないんだよ。歳は、格好は?! 何かあんだろ!」

「うぅぅぅ、歳は、克士郎くらい。緑の――旅姿」

「俺と? ふむ、じゃあ俺じゃないな。いや子と言う線はあるか? 他には?」

「他?」

「背格好とか得物とかは? 頭沸いてんのか、グズが」

「だからやめよ。大体そこまで言うなら其方が行けばいい」

「何故俺が鉄治を? 冗談だろう。居なくて誰か困るか」

「戦う相手を探しに来た。そう言っておったろう。いい機会と思うがな」

「俺に相応しいを持った相手を探しに来たんだ。忘れて貰っては困る」

「オ、オオオデが! 克士郎、オデならいつでも! なあオデならオデオデオデ!」

「黙れハゲ! お前は呼んでねぇんだよ。化け物とやってもなんにもなんねぇんだ。 技も糞もない力押しのお前なんぞ、やっても何の足しになるんだ。俺が戦うのは俺の腕を磨くため。即ち俺の腕に見合う技をもった相手だけよ。消えろっ!」


 克士郎がすごむと部屋の隅までカサカサと動いて、子供のように小さくなる。


「なぁ、俺を動かしたいならあんたでもいい。俺の相手をしてくれれば」

木剣ぼっけんでいいならやると言っておろう」

「駄目だ駄目だ。んなもんもってとは言わぬ。茂吉とやったほうがマシだ」

「ここでは殺し合いはせぬと言っておる。どうしても斬り合いがしたいというなら、やはり此度こたびの相手しかないと思うがな」

「あのなぁ。そんなんで乗るかよ。それにそいつが強けりゃ喜んでやるが」


 鉄太は顔を上げた。

 目は赤いが、先刻よりも明るい。

 克士郎の言い様にあることを思いついたからだ。


「――強い。かも」

「なんだぁ。お前の見立てを信じろと。お前より強い程度じゃあなぁ」

「違う、違う」

「背格好も得物も覚えてないのに、相手の腕は見抜けるつもりか? 寝て言え!」

「だって――敵が追って来たのは」


 鉄太は右手を上げると、奥へと指をさした。

 広間の奥、格子窓から入る陽の光を一身に集める場所へ。

 三人の目が鉄太の指を追った先には結跏趺坐けっかふざの一人が居た。

 刀を手に乗せ、薄ぼんやりと光る姿はまつられたようにも。

 濃藍こいあいの上から光を透過するほど薄くなった白い衣を右肩だけに通した格好は仏のようにも。

 ざんぎり頭の下の目には何も映さず、表情にはどんな色もなく、光に溶け込む様は幽鬼ゆうきのようにも見える一人の男が座っていた。


「かー然全さぜん殿かぁ! なら腕は立つのであろうなぁ」

「ならば其方そなたの腕を振るうにあたいしよう」

「あるいは、そうやも」

「なら――鉄治を! 克士郎、鉄治を!」

「だからお前は馬鹿なんだよ。なら猶更なおさらここで待つに決まっている」

「なんで、なんでぇっ!!」

ために負けるようなら用はないからだ。俺に値する腕を持っていているならばここまで勝手に来るさ。そしてここに来たってことは相手するのは――? 然全殿が存分に技を振るう。真剣のだぞ? 見たいだろう。いつもけむに巻くだけで木剣ですら振るうことはない。その腕、その技を俺は見たい。まあ、仮にがっかりする結果に終わったのであれば、負けるようなことがあれば――斬るさ」


 光を集めて逃がさない、くすんだ瞳に克士郎が映る。

 艶のない頬のかすかに残った張りがいびつに上がり、乾き切った灰色交じりの赤く薄い唇の端を微かに歪めて、そして開いた。


「お主が――か?」


 乾いた然全の乾いた口を付いた声は想像を遥かに超えた乾いた響きだった。雨も嵐も吸い込む砂地の下から響く、うごめくような地鳴じなりのしゃがれた声。


「俺がだよ。まさか然全殿が負けた相手なら俺も負けるとでも? いいんだぜ。俺は 今ここでやりあっても」

「克士郎!」

「別に俺は、又左殿でも良いのだがな?」


 克士郎の手を刀に掛けて、挑戦的な目を又左に向ける。


「だとしても身供は木剣だぞ」

「ちっ、何故いつもそう逃げるんだ。別にいいだろ一度くらい斬り合いしても。別に死んだらそれまでの腕だったということ。それでいい側であろう? だからここで腕を磨いているのではないのか?」

「少なくとも今は敵が来るのだ。腕を磨く場所がなくなる瀬戸際やもしれん」

「分かった分かった。ならば斬ってしんぜよう。敵が居なければよいのだな? 敵が 居なくなれば真剣で相手をしてもらうぞ。よろしいかっ! 然全殿!」


 然全は頷いた。

 克士郎は満面の笑みを浮かべて颯爽さっそうと出ていく。

 それを見て、然全の乾いた唇は更に引きあがり笑みをかたどった。

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