鉄治

 新之丞は口働きの修行が苦手だった。

 それは我慢が利かぬから、何度伝助を張り倒そうと思ったか知れない。悔しくて口の端を噛み切ったことすらある。

 ゆえにこの技を磨き抜いた。相手を見て言われたくないことを見つけ出す術。口で先手を取る術を。伝助にぶつけ、兄弟子にぶつけ、師にぶつけ、出稽古でげいこでぶつけて。挙句、町行く人々にすら――


「手前ぇ! それ刀っ! クソがっ! やろうってのかっ!!」


 よって鉄治のような分かりやすい相手は簡単に分かった。ひと目見て、勝気かちきな顔を見た瞬間にほぼ把握したと言っていい。

 だが鉄太は難しい。忍であるならば当然であるが、それにしてもつかみ所がない。何を考えているか分からず、どうやれば怒らせられるかも分からなかった。


「逃げるなら追わぬぞ? 山中やまなかの居場所を吐くなら――駄賃だちんくらいはくれてやろう。 どうだ? そっちの箒頭ほうきあたま

「はぁっ? っなんでっ! っっっざけっ」


 ゆえに狙いは鉄治となった。

 水もまずに昼まで遊び呆け、仲間の存在を話し、追われているのも話す迂闊うかつさ。自分より強い相手に吠え、自分より強い相手を守るように立つ。

 そして何よりも大刀である。身の丈よりも長く、抜くことすら困難であろう代物しろもの。雑に巻かれた柄巻き、鞘の塗りは甘くてムラがある。にも関わらず鍔は違う。黄金こがねに輝くまで磨き抜かれ、複雑なきざまれたかしの模様は羽を広げた揚羽あげは。しかも角鍔かくつば

 派手な拵えは禁制となる昨今でこの鍔。誰に見せることのない山奥でこの輝き。忍でもないだろうに角鍔である。

 実が伴わないのに、必要もないのに、自らを大きく見せたがり、人とは違う輝きを求める――それは虚勢きょせい。弱い自分をおおかくいつわりの面。

 もっとも”口働き”でぎょやすい相手である。


「鉄冶――ここは」

「ここまで言われて退けっかよ!」

「――でも、怒られる」

「うるせぇ! 頭を差し出せっつんてんだぞ!」

「ほう、山中が頭なのか? いいぞ、お主見逃してやる」

「あああっっっっ!!!!!! 殺すっ! 手前ぇぶった斬ってやる」


 威勢いせいの良い言葉も今は称賛しょうさんの声でしかなく。鉄太の「やろう」という賛同さんどうの言葉には歓喜かんきすら感じた。


「黙れっ、俺がやる」

「――でも」

手前てめぇは頭に知らせにでも行ってろ!」

「でも、二人でやったほうが」

「うるせぇ! 一人でやるってんだよっ! 相手は一人だぞ。複数で寄ってたかって それでも男かよ!」


 手伝いを申し出るのは虚勢を張る者にしてはいけないことの一つ。それを知らぬのであれば鉄太も恐るるに足らず。新之丞は最後の仕上げに掛かった。


「なら、お主が使いに行ったほうが良いと思うがな?」

「んだと手前ぇ! どういう意味だぁ!」

「鉄治――話を聞いちゃ駄目だ」

「黙ってろっつったろうが! おい、どういう意味だ? 手前ぇどういう意味で俺が 使いに行けって言ったかって聞いてんだよぉ!」

「私の相手をするならば腕が立つ者が残ったほうがいいと言ったのだ。後ろの男の方 が腕が立つであろう?」

「なら手前ぇの身体に教えてやるよ。俺の巖鉄丸がんてつまるでなぁ!」


――まさか、そのまま抜けるのか?

 背の柄に掛かる手を見て驚きつつも口働きを続けた。

 それでも狙いは鉄治。例え抜けたとしても鉄太より下である。


「いいんだぞ無理をしなくても。そんな大刀、お主の細腕ほそうででは振れまいて? 安心 しろ。私だってそんなもので戦えない。置いて行っても問題はないぞ」

「もういい――殺す」

「でも鉄治っ!」

「うるせぇぇぇっ! 行けってんだ鉄太ぁっ」

「無理せず頼ったほうが良いと思うがなぁ」

「そうだよ鉄治」

「何であいつの言葉にのってんだっ!」

「でも、一人じゃ――」

「うるせぇつってんだ! 次”でも”っつったら手前ぇから殺す! 行けっっっ!! 一人で出来るんだ! 俺は! 一人で殺って来たんだ! 手前ぇより殺してんだ! 頭んとこにだって俺が先に来たんだからよぉっ!」

「うぅぅぅぅ」

「いいか。これは命令だ! 戻って頭に知らせろ! とっとと失せろっ!」


 叩き付けるような鉄治の言葉。鉄太は背を向け走る。水桶に足を掛けつんのめって転げるように河原から山へと入っていった。

――あの先に山中がいる。ただそれだけのことに気が昂ぶった。逃げられただとか、合流されるだとか、後で厄介やっかいだとか。その程度のことはもはや些末さまつ。追いかけ続けた存在を肌で感じる。腹の底から沸く怒りと額の中から溢れる喜びに打ち震えた。


「おっと、追いかけられると思ってんのか?」

「邪魔だ」

「っざっけんなっ!? 今更なんだ。俺をご指名だろうがっ」

「ああ、それは分かっていたのか」

「当たり前ぇだ! 虚仮こけにしくさってよぉ! 俺の」

「――黙れ」


 はやっている――と気付いたのは足が勝手に走り出した後だった。

 煤宮にないはずの先手を取りに行く自分に驚き。その驚きに身を任せた。

 一歩、二歩と前に出る。

 まだ遠い、まだ遠いと思いながらも柄に掛かった手は止まらない。


「おおおおっ、来やがれっ!」


 気勢きせいを上げながら両手で柄を掴んだ鉄治は全身を沈めながら手を上げた。だがそれでも刀身が見せたのは半分の刃だけ。

 更に身体を沈めた勢いそのままに両手を離すと大刀の全身は中空に顕現けんげんす。

 大きな蝶型ちょうなりの角鍔の重みでで大刀は反転し、出迎えるように鉄治の両手は頭上で柄を掴めば――上段の構えとなった。


「ほう、見事だな」

「はっ、胆が冷えたか? もう遅せぇぇ!」


 身の丈に合わぬ大刀を曲芸きょくげいの如く抜く――曲抜きょくぬきを実戦に組み込み、且つそのまま構えに移行する。その手腕には素直に感心した。

 したが所詮は曲芸、武芸足り得ない。

 幾ら抜いて構えようが得物は大刀。幾ら準備万端待ち構えようが上段に構えれば後は振り下ろすことしか出来ぬ超重ちょうじゅうの得物。


「ぶっつぶれろぉぉぉ!」


 薩摩武士もかくやと言う叫び声。木々を揺らし山々に木魂こだまする裂帛れっぱくの気合。両手に籠る力。大刀に自らのすべてを乗せた斬撃の勢いたるや。

 やはりと言うほかない鋭さではあったが。

 やはり”身の丈に合わぬ大刀にしては”という注釈ちゅうしゃくを付けざるを得ない。

 哀れな虚勢が持たせた大刀が断てるのは新之丞のうつろなる姿のみ。

 轟音ごうおんを上げて叩いたのは河原の石一つ。割れたつぶてが新之丞を叩くがそれが精一杯。

 深々と突き刺さった大刀。持ち上げられず震える腕。

 新之丞が刀をひるがえせば、哀れな虚勢の下の面がむき出しとなる。


「あ、ああぁ――」


 眉は垂れ下がり目には涙をたたえておびえて震える。猫に捕まった鼠のような顔で。

 だが新之丞の牙は容赦ない。紙一重で避けた大刀の上を滑らせるように刀は走り、斬り上げた先は顔の下。首筋を刃が通り抜けると、鉄治の顔には哀れみも何もかもの一切が映ることはなくなった。


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