第7話

〔7日目〕

由佳は、都会とは違う澄んだ空気の中で、目を覚ました。

鳥のさえずりが聞こえる中、微かに包丁が木のまな板を叩く音が聞こえる。

時刻は、午前5時前だった。

由佳は、隣で寝ているさくらを起こさないようにパジャマから普段着に着替え、台所に向かった。

克也の母、明子が朝食の準備をしている。

「おはようございます」

由佳が、明子の後ろ姿に声をかけと、明子が手を止めて振り向いた。

「由佳ちゃん、まだ寝てていいのよ」

「お母さんこそ、お疲れなのに朝早くから」

「もう、習慣ね。朝早く起きるのは」

「私、何かお手伝いします」

「気を遣わなくていいのよ。由佳ちゃんはお客さんなんだから」

「大丈夫です。もうバッチリ目が覚めてますから」

「そうお、じゃあ、お願いしようかな」

「はい」と、由佳が元気に返事をした。

「そこにエプロンあるから、適当に使って」

エプロンを着けて、明子の隣に立つ。

「結構お料理はしてるの?」

「はい、基本は自炊です」

「偉いわね。それじゃ、それ皮剥いて、適当な大きさに切ってくれる」

「これって、八つ頭ですか?」

「そう、八つ頭の炊いたのが克也の一番の好物なの」

「私、八つ頭を食べたことが無いんです」

「そうか、東京じゃあまり食べないかもね。あとで味見させてあげる」

克也の母は、味に自信があるとばかりに笑顔で話す。

「由佳ちゃんの出身は何処?」

「私は、静岡の沼津です」

「じゃあ、お肉よりお魚が好き?」

「どっちも好きですけど、今はお肉の方が好きかもしれません」

「やっぱり若い人は、お肉よね」

「そんなに若くないんです」

「何言ってんの、あなたが若くなかったら、私なんか老婆になっちゃうわ」

明子の笑い声が、台所に響く。

「私は横浜出身で、23の時にここへお嫁に来たから大変だった。ほとんど料理もしたことなかったから、亡くなったお婆ちゃんにたくさん教えてもらった」

「でも、お袋の味があるって良いですよね」

「今となればね。ここの家の味を覚えるまでは大変。いつも怒られて、辛くて実家に帰ったこともあったわ」

「そんな経験があるから、お母さんはみんなに優しいんですね、きっと」

「由佳ちゃん、意外と褒め上手ね」

「いや、本当です。本当に思ってますから」

「ありがとう。克也、頼りないかもしれないけど、これからもよろしくお願いね」

「いや、こちらこそお願いします」

明子と由佳の会話は、尽きなかった。

「由佳ちゃん、これ食べてみて」

由佳は、出来立ての八つ頭の料理を1つ食べてみた。

「美味しい。初めて食べました」

「良かった。由佳ちゃんに喜んでもらって。

じゃあ、そろそろ克也を起こして来てくれる」

はいと言って、由佳は克也の部屋に向かった。

ノックをして、ドアを開ける。

克也はまだ、熟睡していた。

いつものように、耳元で呼んだ。

「かっちゃん、起きて」

「今日、何曜日?」

「かっちゃん、ここは栃木の実家だよ。今日はお婆ちゃんの告別式でしょ」

克也は、目を覚まし、布団の上で上半身を起こした。

「おはよう、由佳」

「おはよう、かっちゃん」

午前6時頃にはみんなが居間に集まり、朝食のご飯とおかずをテーブルに並べていく。

今日も由佳の隣を、さくらが陣取る。

由佳は、母親の和食伝統料理を美味しいと食べていた。

「今日のご飯は由佳ちゃんにも手伝ってもらったんだよ」

母の明子が、由佳の功労を伝える。

「そんなに早く起きてたの?」

俺が由佳に尋ねる。

「早く目が覚めちゃったから、少しだけお手伝いしただけ。ほとんどお母さんが作っているのを横から見て勉強してた」

「気疲れもあるだろうし、あまり無理しないで」と、由佳を労った。

「あんちゃん、由佳さんには優しいんだね」と、さくらが茶化す。

「かっちゃんが八つ頭好きだって、お母さんに教えてもらったわ」

「そういえば、ここでしか食べたことないから、東京にいる時は八つ頭の存在を忘れてた」

「私は生まれて初めて食べた。見た目と違って、こんなに美味しいと思わなかった」

「確かに見た目はよくないよね。得体の知れない物体みたいだもんね」

由佳との会話を聞いていた母親が口を挟む。

「人も八つ頭も、見た目だけじゃ良さはわからないってことよ」

「それって、どういうこと」

「どういうことって、そのまんまだべ」

母の言葉の語尾がいきなり訛ったので、思わず言葉を失い、母の顔を見つめていた。

「あら、由佳さんの前で栃木弁が出ちゃった。恥ずかし」

「母ちゃん気づいてないかもしれないけど、結構言葉訛ってるよ」

佳之のツッコミで、由佳も、俺も、さくらも、はにかむ母親を見て笑っていた。

「そういえば、お母さんからかっちゃんの一番の好物は八つ頭だって聞いたよ。横綱じゃないの?」

由佳のツッコミには驚いた。

すき焼きとマグロの話を覚えていたようだ。

「横綱には張り出し横綱って言うのがあって、八つ頭はその張り出し横綱だよ」

「ずるい、そんなの知らないよ」

由佳は納得いかない顔をしていたが、咄嗟の答えとしては、我ながら上手く切り抜けた。

各自が朝食を食べ終わり、それぞれが自分の食器を台所の流しに持っていく姿を見て、由佳がさくらに声をかけた。

「偉いね、自分で食器を片付けて」と、感心していると、さくらは何でもないように「うちでは当たり前よ」と、答えた。

「かあちゃんの躾で、子供の頃から自分の食器だけは自分で片付けてるんだ」と、俺が由佳に説明した。

「かっちゃん、これからはうちでもお願いね」

いやいや、やらなくていいって言ったのは貴女ですけど、と、心の中でつぶやいた。

由佳もみんなと同じように食器を流しに持っていった。

それから、各々出掛ける準備をして、再び居間に集まった。

10時からの告別式に合わせて、8時半に家を出ることになっていた。

葬儀場に着くと、俺はすぐに、由佳を父親に紹介した。

「とうちゃん、昨日紹介出来なかったから、こちら今お付き合いしてる川村由佳さん。そしてこっちが、うちの父の浅間幸一郎」

「川村さん、よく来だな。ありがとう。頼りのない息子だけど、よろしくお願いします」

とうちゃんが、栃木弁で訛りながら挨拶をした。

「突然お伺いして申し訳ございません」

由佳は、少し緊張気味に頭を下げて挨拶をした。

「ばあちゃんも克也の嫁さんさ見て、天国で喜んでるべ」

「とうちゃん、まだ嫁さんじゃないよ」

父の言葉にビックリして、咄嗟に否定したが、由佳がバイト上の恋人だと知ったらガッカリしそうで辛かった。

「克也さんに嫌われないように頑張ります」

由佳が、機転を利かせて話を合わせる。

由佳の対応力には脱帽だ。

参列者が席に着き、お坊さんが入場し、儀式のあとお経を唱え始めた。

その後、市営の火葬場に行くために親族がマイクロバスに乗り込み移動した。

火葬場ではお婆ちゃんと最後のお別れをして、約1時間で火葬が終わり、お婆ちゃんは骨だけになった。

普通より大きな箸を渡され、隣の人と骨を一緒に持ち上げながら骨壷に入れていく。

いつかは皆、死ぬのだが、最後は骨だけを骨壷に入れられ、墓の中に納められ、年に数回の墓参りで供養されることが、なんだか虚しく感じた。

由佳は、この状況をどのように感じているのかが気になったが、今は考えないように頭から振り払った。

火葬場から墓地に移動し、墓に骨壷が納められ、ひと通りの儀式が終わると、近くの料亭で遅めの昼食になった。

親戚のおじさんやおばさんに声を掛けられ、由佳を紹介するたびに、将来のお嫁さんと言われた。父と同じで、付き合った人はそのまま結婚まで行くと信じてしまう世代なのだろう。

料亭がそのまま解散場所になり、料亭の送迎用バスで駅に向かう人、自分の車で帰る親戚を見送り、最後に残った浅間家が、駅から戻ってきたバスで家まで送ってもらった。

家に着くと俺と由佳も喪服から普段着に着替え、東京に帰る支度をした。

さくらが由佳との別れを寂しがり、泣いていたが、由佳が「また来るね」と慰めていた。

たぶん、「また」は無いと思うと、俺の気持ちが辛かった。

たったの2日間だったが、家族が由佳を受け入れてくれて、濃密な2日間だった。

帰りの電車の中、俺は由佳にお礼を言った。

「うちの家族、みんな由佳を気に入ってた。3日後には、このバイトが終わって、もう由佳に会えなくなると知ったら悲しむだろうな」

「ありがとう。本当の家族を経験できた気がする。かっちゃんの家に生まれていたら、私の人生ももっと良かったのに、って思ったよ」

「由佳、これからの人生の方が長いんだ。いくらでもやり直しできるし、幸せになることだってできると思うよ」

「そうだね。正直かっちゃんのお母さんを見てると、苦労した分、家族との幸せを感じているような気がする」

「由佳、俺、本当に由佳のことが好きだよ。このバイトが終わって欲しくないと思ってる。だから、上手く言えないけど、このまま‥」

「かっちゃん、初めて自分ことを俺って言ったね。それが本当のかっちゃんなんだよね。私のことを好きだと言ってくれたことも、本当だと信じられる。でもね、私は、本当の私じゃない。だから、あなたと同じ道を歩いて行くことはできないの。もうすぐ、わかるわ」

やっぱり由佳は、俺の知らない大きな事情を抱えている。俺には、何も出来ないのだろうか。

佐久間からの連絡が途絶え、本当の由佳を知ることもできない。明日、大学を休んで俺のできることを考えようと思った。

そうすれば、佐久間が失踪した訳も見えてくるような気がした。

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