第6話
〔6日目〕
朝からよく晴れた土曜日だ。
季節的には寒いが、気持ちのいい朝だった。
スマホで時間を確認すると、実家の母親から着信が数回残っていた。
すぐに、折り返しの電話を掛けた。
「もしもし、俺だけど、昨日電話した?」
「何回電話しても出ないから」
「何かあったの?」
「昨日、婆ちゃんが死んだんだ。急だけど、今晩通夜で、明日告別式だから、克也、栃木に帰って来なさい」
「わかった。なるべく早く帰るけど、通夜は何時から?」
「6時から農協の葬儀場だけど、喪服に着替えっから一旦家に来なさい」
「わかった。あっ、そうだ、最近付き合ってる彼女がいるんだけど、都合が合えば連れてってもいいかな?」
「克也、彼女いるんけ。きっと婆ちゃん喜ぶから、連れてこう」
「わかった。彼女に行くか聞いてみる。じゃあ、あとでまた連絡する」
リビングに行くと、由佳が朝食の準備をしていた。
「おはよう」と、声をかけた。
由佳は俺を見て、笑顔を見せた。
「おはよう。誰かと話してたの?」
「聞こえてた?」
「部屋の方から、かっちゃんの話し声がしてたから」
「実家の母親から電話があって、昨日祖母が亡くなった。今晩通夜で、明日が告別式。栃木に帰らないとならなくなった」
「そう、忌引じゃ仕方ないわね。一緒にいられないのは残念だけど、いってらっしゃい」
「由佳、一緒に行こう」
由佳は俺の誘いに驚いた顔で、車のワイパーのように手を横に振る。
「行けないわよ。お婆ちゃんと面識もないし、私が突然お葬式に現れたら、香典泥棒と間違えられちゃう」
案の定断られたが、俺は諦めなかった。
俺はなぜか、由佳を自分の家族に合わせたいと思った。
幸せな家族に恵まれなかった由佳に、少しでも家族の良さを感じて欲しかったのかもしれない。
「実はもう、母親に由佳のこと話したんだ。そうしたら、ぜひお婆ちゃんに彼女を紹介しろって言われた。だから、一緒に行ってくれないかな」
由佳は困惑した顔で俺を見ている。
俺は手を合わせ、一生のお願いとばかりに懇願した。
「なんか、どっちが雇い主だかわからないわね」
「ずっと僕が、そばにいるからさ」
「そこまでされると、嫌って言えなくなるじゃない」
「ありがとう。じゃあ、朝食食べて、準備ができたら出掛けよう」
由佳は、喪服と一泊分の着替えを用意して、入浴、化粧、服を選んで、家を出たのは、お昼頃になった。
思ったより家を出る時間が遅くなったが、無理に同行をお願いした手前、多少のことは大目に見てあげることにした。
吉祥寺から新宿に出て、湘南新宿ライナーから宇都宮線の小山で乗り換え、両毛線で栃木駅まで行く。
「どのくらいかかるかしら?」
「乗り換えがあるから2時間半ぐらいかな」
「たまには帰ってるの?」
「今年はお盆にバイトしてたから、正月以来かな」
「じゃあ、約一年ぶりね」
「考えてみれば、そうだね」
「かっちゃんの家族構成、聞いてなかったよね」
「そうだね。両親と弟と妹。爺さんは5年くらい前に亡くなってて、今回婆ちゃんが亡くなったから、僕を入れて5人だね」
「弟さんと妹さんがいるんだ」
「確か、弟が今年中学2年で、妹が小学生の4年かな」
「妹さん、まだ小学校なんだ。かわいいわね」
「歳いってから出来たから、両親とも妹には甘くって、わがままで困っちゃうよ」
「元気良さそう」
「人懐こいから、すぐに仲良くなれると思うけどね」
「私ひとりっ子だから、兄弟のいる人が羨ましかった」
「由佳は、お姉さんタイプだな」
「そうかな、自分では甘えん坊の妹タイプだと思うけど」
「しっかりしてるもん。礼儀正しいしさ」
「周りからはそう見えるだけで、実際は泣き虫だもん」
「泣き虫のイメージがないな、いつも笑ってる気がする」
「かっちゃんの前では、一生懸命笑ってるのよ」
「そうなの?そんな無理しなくていいよ。友達みたいに気楽に付き合ってればいいからさ」
「かっちゃんといると、本当の彼女になった気がするわ」
「そうか、バイトだったんだね。でもさ、僕は由佳のこと好きだよ」
「こんなところで、告らないでよ」
「ごめん、でも由佳といると楽しい。それって一番大事な気がするんだ」
「私も、かっちゃんといると楽しいよ。正直怖いくらい幸せって思う時があるもん」
由佳と話していると時間が経つのが早く、いつの間にか電車は小山に到着した。
「一人で帰る時はすごく長く感じてたけど、由佳と一緒だったから、電車に乗ってる時間が短く感じたよ」
栃木駅前のロータリーでタクシーに乗り込み、俺は自宅のある古い地名をタクシーの運転手に伝えた。
高齢の運転手には、古い地名で場所が通じる。
平屋の我が家の前でタクシーを降りると、由佳が農家の家屋を初めて見たみたいに驚いていた。
タクシーの音を聞きつけ、母親が迎えに出てきた。
俺は、母親に由佳を紹介した。
「かあちゃん、彼女連れて来たよ。川村由佳さん。そして、これが我が母の明子」
母の明子は、由佳の前まで来ると、由佳の手を握り、「よく来たね。綺麗な人だ。克也にはもったいないね。古い家だけど、上がって楽にして」
惑いながらも、由佳は母親に促されて家の中に入っていった。
広い玄関から家に上がり、俺が先頭で廊下を歩いて八畳ほどの居間に入ると、弟と妹がいた。
「佳之、さくら、久しぶりだな」
佳之は、少し反抗的で、素っ気ない感じで話してくる。
「あんちゃんがお盆に帰って来なかったからな」
佳之とさくらは、家では俺のことをあんちゃんと呼ぶ。由佳の前で、田舎もんを露呈したみたいで少し恥ずかしく感じた。
「あんちゃん、その人誰?」と、さくらが尋ねた。
「あっ、紹介する、川村由佳さんだ。今お付き合いしてる人で、婆ちゃんに紹介したくて無理言って来てもらったんだ」
「じゃあ、あんちゃんのお嫁さんになる人だ。私のお姉ちゃんだ」
俺はさくらの言葉にドギマギしていた。
「さくら、お嫁さんって、まだ早いだろう」
「家族に紹介するってことは、お嫁さん確定だよね、お姉ちゃん」
さくらの天真爛漫な性格が、早くも炸裂した。
由佳が反応に困って、俺の顔を頻繁に見てくる。俺は、ごめん、と目で合図を送る。
「とうちゃんは?」
「お葬式の準備で、ずっと葬儀所に行ってる」
母親に尋ねたが、さくらが答える。
「4時に迎えの車が来るから、みんな着替えないと、由佳さんは喪服あるの?」と、母が言う。
「はい、用意はして来ましたが、私が行ってもよろしいのでしょうか?」
「居づらいかもしれないけど、来てくれると嬉しいわ。克也がここまで連れて来たのは、それなりに思いがあったんでしょ」
「お姉ちゃん、安心して、私が一緒にいてあげるから」
一瞬で、俺の役目をさくらに奪われてしまった。
兄貴だけの兄妹関係の中で、同性の姉妹への憧れを持っていたことを感じられるくらい、さくらのテンションが高かった。
「さくらちゃん、ありがとう。すごく心強いわ」
由佳もさくらの性格に緊張がほぐれたようだ。
さくらが由佳の手を引き、喪服に着替える部屋に連れて行った。
「さくら、嬉しそうだな」佳之がつぶやく。
「あんたたちも、支度しなさい」
母親の言葉で、婆ちゃんのために帰って来たことを思い出した。
由佳が喪服に着替えて、さくらと居間に戻ってきた。
普段由佳は黒い服を着てなかったので、改めて大人っぽくて、綺麗な女性だと思った。
「あんちゃん、お姉ちゃんに見惚れてる」
さくらが鋭く突っ込む。
一年会わない間に、さくらの成長は著しい。
「当たり前だろ、あんちゃんの彼女だぞ」
自慢げに言い返した。
「あー、あんちゃんが惚気てる」
何を言っても、さくらには勝てない。
「由佳、さくらのことは気にしなくていいからね」
「あんちゃん、お姉ちゃんのこと由佳って呼んでるんだ。お姉ちゃんは、あんちゃんのことなんて呼んでるの?」
由佳は一瞬俺を見てから、さくらに答える。
「克也さんだから、かっちゃんって呼んでるよ」
「なんだ、克也って呼ぶのかと思った。お姉ちゃんの方が年上でしょ」
「男性の名前を呼ぶのが苦手なの」
「そうか、近所の人みんなあんちゃんのこと、かっちゃんって呼んでるから、あだ名だけどね」
「車が来たから、行くよ」
母親の言葉で、さくらのお喋りが終わった。
葬儀場からマイクロバスが迎えに来て、車内に乗り込むと、由佳の隣の席をさくらに取られた。俺は仕方なく、佳之の隣に座った。
「さくらに、席取られた」
「由佳さんも、あんちゃんといるよりさくらといる方が気楽だと思うけどね」
「確かに。俺たちの妹で、あんな陽気な妹になるとはな」
「あんちゃん、俺も陽気だけど」
「そうなの?でもお前、俺に逆らうからな」
「男兄弟で、ベタベタしてたら気持ち悪いだろう」
「逆らわなくてもいいだろう」
「あんちゃんはわかってないな。もう少し弟の気持ちをわかる兄貴になってくれよ」
「わかってるつもりだけど」
「勉強も運動もできる兄貴の弟は、色々苦労があるんだよ。彼女も美人だと、プレッシャーを感じるよ」
「お前の方がモテるだろう」
「あんちゃんと比較されるから、俺も必死なんだよ」
「そんなこと思ってたのか」
「長男と次男は、立場が違うからな。考えることも違う。俺も由佳さんみたいな彼女がいたら、あんちゃんに自慢できるのにな」
「俺は、お前の言葉を喜んでいいのか?」
「一応、彼女を褒めてるからな」
「佳之、ありがとうな」
マイクロバスが葬儀場の入口前に止まった。
親戚のおじさんとおばさんが参列していて、母親に由佳のことを尋ねていたが、母はうちの新しい娘と答えてはぐらかしていた。
ずっとさくらが傍にいたので、本当の姉妹のようで、違和感を感じなかった。
通夜振る舞いも終わり、父親と東京から来た親戚は葬儀場の宿泊施設に泊まることになり、俺たち家族は来た時のマイクロバスで家に帰ることになった。
父親には、由佳を紹介するタイミングがなかった。
「由佳ちゃん、疲れたでしょ」
母親が由佳を気遣った。
「お母さんの方こそ、お疲れ様でした」
「私は大丈夫よ。お婆ちゃんもたくさんの人に来てもらってよかったわ」
「どんなお婆ちゃんだったんですか?」
「昔は大変だったわ。やっぱりお舅さんだからね。農家の嫁は働かないと、すぐお説教されちゃうから。でも、歳をとってから優しくなったかな。本当に仲良くなったのは、まだ10年くらいじゃないかな」と、母は笑う。
「私には耐えられないかもしれないです」
「私はそんな意地悪じゃないわよ」
「そういう意味じゃないです」
「わかってるわよ。由佳ちゃん、もっと楽に生きなさい。あなたは良い人だと思うわ、だけど
重いものを背負ってるような気がしてならないの。自分で自分を苦しめちゃダメよ。克也に頼ってもいんだからね」
「お母さん」
克也の母親の優しさが、心を抉るような気持ちになり、涙を止められなかった。
順番にお風呂に入ることになり、由佳は家で入ってきたからと遠慮したが、さくらが一緒に入りたいと説得して、一番先に入ることになった。
「お姉ちゃん、あんちゃんとどこで出会ったの?」
「えっ!確か、お兄さんのバイト先かな」
「あんちゃんのファミレスのお客さんとか?」
「そんなとこかな」
「そうか。どっちから声掛けたの?」
「えっ!確か、わたしだと思う」
「やっぱり、あんちゃん奥手なタイプだから。お姉ちゃんは、あんちゃんのどこが好きになったの?」
「えっ!そうね、ひとつだけじゃなくて、色々あるけど、優しいのは一番必要だよね」
「お姉ちゃん、身体のラインが綺麗。私もお姉ちゃんみたいになりたいなぁ」
「さくらちゃんならなれるよ、私より美人さんに」
「本当!どうしたらお姉ちゃんみたいになれるの?」
「そうね、今は野菜をたくさん食べて、ちゃんと睡眠を取ることが大切だと思うよ」
「結構ふつう」
由佳とさくらは1時間以上お風呂に入っていた。
女同士、話が弾んで時間を気にしてなかったのだろう。
俺は、なかなか由佳と話ができなかったので、風呂上がりのビールに誘った。
「美味しい。久しぶりに飲んだ気がする」
「今日はありがとう。さくらも母さんも、由佳のこと気に入ってくれたみたい」
「こちらこそ。良い家族ね。かっちゃんがどういう環境で育ったか、少しだけわかった気がした。私とは全然違うなって、改めて思っちゃった」
「由佳、今までのことは関係ないよ。これからどうやって生きていくかが大事なことだと思うから」
「だけど、私には未来は無いの知ってるでしょ」
「なんで、生きようと思わないの?由佳だって、結婚して、子供を産んで、家族と一緒に楽しく生きる権利があるじゃない」
「そうね、かっちゃんみたいに幸せな家族の中で生きてきた人なら、きっとそう思うでしょうね。だけど、私は違う。あなたとは歩いてきた道が違うの」
由佳は残りのビールを飲み干し、立ち上がった。
「明日も早いから先に休ませていただくわ」
由佳の布団はさくらの部屋に敷いてもらった。
母親が、結婚前は一緒の部屋には泊められないと配慮したのだ。
そんな母親に、由佳の家で同棲しているとは言えなかった。
俺は、母親の後に風呂に入り、5分で出て、久しぶりに自分の部屋で布団に入った。
あと4日の内に、由佳の気持ちを変えさせたいと考えると、身体は疲れていても、なかなか眠ることができなかった。
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