第二部 王女時代
第1話 ソロキャンの始まり
バルドア王国の第一王女イグレーヌは、こう思っていました。
「外に出たい。というか、
それを聞いたバルドア王国最高の騎士とされる近衛騎士団長『銀槍の騎士』ブレイブリクは、イグレーヌへこう進言しました。
「イグレーヌ様。どうしても
「それだー! ブレイブリクのお手伝いって主張すれば、お母様も……えっと、苦笑いで納得してくださるわ!」
「ええ、そうでしょうとも。ではさっそく、手筈を整えましょう」
「あの、ブレイブリク、お母様の説得も手伝ってくれない……?」
「もちろん、善処しましょう」
「やったぁ!」
そんなこともあって、ついにイグレーヌは念願の旅に出られることとなりました。王城から出て、王都から離れて、各地を一人で旅する。そう——自由気ままな
ある日突然、母アンブロシーヌが玉座を強奪したため第一王女にさせられてしまってからは味わっていない開放感を再び、とイグレーヌはウキウキで準備をします。手慣れた
とはいえ、天性の
なので、ブレイブリクは餞別として、出立の前日にイグレーヌへ一振りの剣を渡しました。
「イグレーヌ様、こちらをお持ちください。バルドア王国始祖の騎士と名高いイディス・メルサーブルが使っていた聖剣エルダスウォアです」
「えっ、それって国宝じゃないの?」
「はい。近衛騎士団長にのみ帯剣が許されるものであり、バルドア王国を象徴する名剣の権威たるや、これさえあれば私の名代という名目も実を伴ったものとなるでしょう」
「私がブレイブリクの代理ってことに説得力が出るわけね」
「困ったことがあればこの剣をお出しください。解決しなければ、邪魔者を斬り捨ててけっこうです。私が後始末をいたしますので」
「物騒! 物騒すぎ! できるだけ穏便に行くから心配しないで!」
「ははは、イグレーヌ様の旅路が穏便だったことなど今まで一度とてございましたか?」
「あるもん! あるったら!」
「では、私が手出しするようなことが起きぬよう期待しておきましょう」
「信頼がない! 乙女に対してなんてことを!」
こうして、イグレーヌの旅は始まったのです。
バルドア王国と周辺国を巡る第一王女イグレーヌのお忍びの
☆
バルドア王国に一足早い夏が訪れた。
王都のはるか南にあるなだらかな丘陵地帯は、夏の草花が太陽を浴びて生き生きとしている。伸びすぎた草は放牧されている牛や羊がご馳走として頬張り、古来より人間が手入れしなくても美しい緑の丘が保たれていた。
「ふう、暑くなってきたなぁ」
若年の小柄な郵便配達人が、丘陵の真っ直ぐに伸びる道を歩いていた。大きな郵便鞄を右肩から下げ、つばのある帽子を被り、この先の村落へと配達物を運んでいく使命を帯びた彼の顔立ちはまだ幼く、去年この仕事に就いたばかりだ。
基本的に配達物は近くの街まで郵便馬車で輸送して、そこからは馬か徒歩で点在する村々へと運ぶのだが、この配達人には地元の人間が採用されることが多い。地元民なら地理に詳しいだけでなく、地域の雇用にも繋がる。こうしてまるで人間の血管の先のように、バルドア王国の隅々にまで郵便配達網が敷かれて長く、あまり村の外に出られない田舎の民にとっては街から大事なものを運んでくることを任された信頼できる職業、憧れの職業として郵便配達人は一目置かれる存在だった。
去年、このあたりの郵便配達人は前任者だったヨルシフ爺さんからこの青年、ビーンに代わったわけだが、成人して村から出て都会へ仕事を探しに行く他の同年代の友人と違って、ビーンは老いた祖父の世話をすると決めていたのだ。ビーンは、男手一つで、早くに両親が帰らぬ人となった自分を育ててくれた祖父を放って、遠く離れた土地へ行こうとは思わなかった。
ビーンの祖父もまた、他の友人たちのように他の土地での出稼ぎや独立をするよう、ビーンへ無理に勧めなかった。ビーンは少し成長が遅く、同年代の若者よりもだいぶ幼く見える。すでに十七歳を迎えたというのに、一人前に畑を任されたばかりの十三、四歳の少年程度に見られることもしばしばだったからだ。食も体躯も細く、身長がまだ伸びている最中とあっては、何かあってはいけないと過保護にもビーンの祖父は思ったのだろう。成長期は骨折しやすいものだ、加えて元気な若者というのは無意識のうちに無理をしてしまう。それで将来に悪影響があっては——そう言えるのは、ビーンの祖父が昔、大都市の市庁で役人として働いていたからだ。
多少なりともビーンの祖父はよその土地のことを知っていて、おそらく村一番の物知りだ。それをひけらかしたりはしないが、寝物語代わりにビーンへたくさんの思い出話をしてくれた。
なぜ祖父は村に戻ってきたのだろう。ビーンはいつも疑問に思ったが、いまだに祖父へ問いかけることはできていなかった。何があったのか聞いてみたい、そう思っても、聞いてはいけないのかもしれない、といつも口を閉ざしてしまう。
ビーンが郵便配達人になれたのも、祖父の口添えあってのことだろう。ヨルシフ爺さんは「あの男の孫なら、仕事を任せられるわい」とビーンへこぼしていた。どうしてそう思うのか、とビーンはヨルシフ爺さんへ聞こうとして、それもやっぱりまだ聞けていない。重大なことの前にあれこれ悩んでしまう性分のビーンは、何かと踏ん切りがつかなかった。
放牧中の牛の鳴き声を背後に聞きながら、村へ帰る途中のビーンは、道の先で座り込んでいる三人の男の姿を捉えた。
「ん? 珍しいな、人がいる」
道端に座り込むなんて、昼食中だろうか。ビーンは特に警戒することもなく、近付いていく。
だが、すぐにそれは間違いだったとビーンは後悔した。
三人の男たちは、くるっと首を回してビーンの方向へと顔を向けたのだ。どれも土と垢にまみれた顔で、誰一人知った顔はない。そして、獰猛な顔つきはこの牧歌的な土地には見られないものだ。
ビーンは郵便配達人として、配達物を狙う強盗がいること、それらを避けるすべを教わっていた。しかし、実際にその状況になってしまっては、足はすくむし戦うなどもってのほかだった。逃げようにも郵便鞄は重く、金目のものも入っているだろうこれを放り出してしまえば彼ら三人の目はビーンから離れ、その隙に逃げ出せるだろうが——郵便配達人としては失格だ。
どうするかではなく、どうしたいか。当然、逃げたいの一択だ。ビーンは逃げ出すために踵を返そうとして、すくんだ足が絡まってすっ転んだ。次の瞬間には、ビーンの視界は土道の乾いた茶色でいっぱいだ。
起き上がろうとしても、両足がビーンのものではないかのように上手く動かない。そんな間にも三人は近づいてくる、はずだった。
ビーンが顔を上げる。今来た道の先から、何かが走ってきていた。
速すぎてあっという間にその何者かは、倒れているビーンを通り過ぎた。軽やかな足音を残して、ビーンの後方では悲鳴が上がっていた。
「出たぁ!?」
「またかよぉ!」
「ちくしょう、追いかけてくんなぁ!」
それは、三人の男たちの野太く悲痛な叫びだった。一体全体、ビーンとすれ違った何者かは何をしたのか。カン、キン、と金属音がして、ドタバタと派手な取っ組み合いで暴れているような音が響く。ビーンはとてもではないが、振り返れなかった。怖くて、すくむ足をどうにか胸の前に抱え込むだけで精一杯だ。郵便鞄を無我夢中で引っ張って顔を埋め、亀のように丸まっている。
もはや、ビーンにとって正確な時間の経過などさっぱり分からなくなり、震えて嵐が過ぎ去るのを待っているざまだった。それで何かが解決するわけではない、と分かっていても、ビーンは動けない。怖いのだ。小柄なビーンは人を殴ることはおろか、喧嘩だってしたことがない。
それでも緊張のあまりだんだん息が詰まって、顔をそろりと上げた瞬間だった。
ビーンの耳に、少女の声が聞こえた。
「おーい、大丈夫? もう平気だから、安心していいよ」
どこから少女が? と疑う余裕はビーンにはない。ビーンはそのまま横に転がり、地面に手をついて上体を何とか起こす。背後へ顔を向ければ、何も変わった様子はなく、いつもの土道が続いている。そして、一人の少女が剣を鞘へ収め、ビーンのいるところへ歩いてきていた。
目深に被った
しかし、問題はその少女の腰にある、二本の剣だ。鞘に戻した、すなわちさっき使っていた革鞘の剣と、もう一本の赤銅色に輝く細い儀式剣。ただでさえ少女が剣を持っているだけでもおかしいのに、使い慣れた実戦用の剣と儀式剣の二本も帯びている。
異様な旅装姿の少女は、ビーンへ手を差し伸べた。
「ご苦労さま、郵便配達人さん。あいつらはやっつけたから、もう心配いらないわ。このあたりを治める騎士に報告しなくちゃいけないから、近くの村に案内してもらいたいんだけど、いいかしら?」
にっこりと微笑む少女は、さも平然と、淡々と先ほど道の先で起きた事件を収拾している。
ビーンは差し出された手をおずおずと取り、少女を見上げて問いかけた。
「あ、あなたは……?」
少女は一瞬意外そうな顔をして、それからまた笑った。
「イグレーヌよ。ちょっと一人旅をしているの」
ソロキャンする武装系令嬢ですが王女になりまして ルーシャオ @aitetsu
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