第4話 旅しよう!
私とウルス、ハイディはブルックナーに一時の別れを告げ、古い砦を出発して北上していく。どうせ帰りにはまた会うことになる、それが半月先か一ヶ月先かは分からないだけだ。
今歩いている、石とセメントで整備された快適な街道——しばらくは丘陵地だが、そのうち森の中に入っていく——をまっすぐ北に行けばアリエスヴェール侯爵領に、だんだん土道に変わる街道をさらに北に行けば隣国トゥリル王国へと辿り着く。
そこまでは行かず、騎士領の北端あたりで西に進路を変え、私の母アンブロシーヌの静養地であるロスタス山脈麓にある村へ向かうわけだが、ここからの所要日数は天候に恵まれればざっと一週間だ。
本当は馬車で行けば二日ほどだし楽ではある、でも私はわざと時間のかかる徒歩で行く。なぜなら、父と姉のいる屋敷からできるだけ長く離れる口実になるからだ。
私を先頭に、ウルス、ハイディが縦列に並んで歩く。大型の馬車がすれ違えるほど街道の幅は広いが、まだまだ私たちの他にも人が多く行き交っている。互いに気遣い、邪魔にならないようにするのが旅人のマナーだ。
そこからしばらくは、会話はなかった。ウルスとハイディは緊張しているのか、私の後ろを黙々と歩きつづけている。さほど早足というわけでもなく、一定のペースを維持していると思うが、私より背の高い二人にとっては遅いだろうか。そんなことを考えながら、快晴の青空の下、春の爽やかな風が汗ばむ首筋を撫でて気持ちよくなってきたころ、ウルスが背後から声をかけてきた。
「あのー、イグレーヌ様、本当にテントはいらなかったんですか? ご指示どおり置いてきましたけど」
ご機嫌伺いのような、出方を探るような質問に、私は振り返らずに答える。
「だって嵩張るじゃない。寝袋はケチらずにいいやつを買ったほうがいいわよ、私はコールダックのダウンと子羊革でできたマミー型」
すると、はあ、とウルスから生返事が返ってきた。周囲は遠くで随分前にすれ違った馬車の馬のいななきが聞こえるほかは静かなもので、まだ昼前だというのに街道は人通りもまばらになってきていた。
無理もない、旅ではテントなど張る無駄な時間も労力もない。それに、盗賊にとってはテントで寝こけている獲物など襲い放題、それを考えれば自らテントにこもって視界と動作を縛る必要はない。もっとも、寝袋も完全に潜って寝るわけではなく、もっぱらマットレス代わりで寒いときは足を突っ込むくらいだ。一日中歩きどおしで疲れているというのに、冷たい土の上で寝るのはとてもつらい。次の日のことを考えるとなるべく体力回復に努めたいのだ。
まだ納得していないウルスは、もっと質問してもいいと思ったのかどうか、さらに続ける。
「もし雨が降ったらどうするんですか?」
「季節的に降らないけど、万一の場合は
しみじみ、私は失敗したころのことを思い出す。私だって最初から
「ちなみにですが、食料は……肉は現地調達ですか?」
「まあ、欲しいときはね。加工肉はあるし、別に食べなくても死なないけど、たまに新鮮なお肉が恋しくなるものね」
「同感です! 罠なら任せてください、親父と猟に行ったとき狩人に教わりました!」
「本当? 期待しているわ、ウルス!」
振り返って見たウルスの顔は、自信に満ちていた。どうやら、リュックに縛りつけた狩猟用弓は伊達ではないようだ。
そこへ、ウルスの後ろにいるハイディが会話に加わる。
「魚なら何とかなるんですが、川はありますかね」
「釣るの?」
「ええ、趣味で」
「ハイディは釣りの名人なんですよ。捌くのも上手いですよ!」
「へえ、すごいわ! 途中で湖があるから、お願いできる?」
「もちろん。やってみましょう」
ハイディは落ち着いた声ながらも、やる気は十分のようだ。
ただ旅をするだけなら、無理に狩りや釣りをして食糧を調達する必要はない。計画的に保存食を用意しつつ目的地へ向かえばいいだけで、何らかのアクシデントでもなければそれでいい。
しかし、やっぱり人間は何かをしたい。余計だと思っていても、楽しみながら旅をしたいと思うものである。旅の途中に美味しいものや珍しいものと出会ったり、綺麗な風景に見惚れたり、見知らぬ人々と出会って聞いたこともない話を耳にしたり、贅沢かもしれないがそういうことを期待している自分がいる。危険と隣り合わせで面倒な歩きの旅だが、私は好きだ。もっとも——貴族令嬢としては褒められた行為ではないだろうと分かってもいて、寂しい気もするけど。
調子の出てきたウルスが、さらに肩越しに私への質問を繰り出す。
「ところでなんですが、イグレーヌ様」
「何?」
「イグレーヌ様は、ブルックナー卿の剣術の一番弟子だと聞いたんですが、本当ですか?」
私は自分の顔が強張るのを感じ取った。前を向いているときでよかった。
私は顔が見られないようしっかり街道の先にある青々としたリンデンの木々へ視線を集中させて、何とか取り繕った。
「もう、そんなのお世辞よ、お世辞」
「でも、ブルックナー卿は昔は王国一の騎士として名を馳せた方ですよ!」
「だとしても、私は子爵家令嬢なんだから、自分で剣を取るのは最後の最後よ。守りは見習い騎士様に任せるわ」
よし、上手く誤魔化せたはずだ。私はそう思ったのだが、ウルスとハイディは大真面目にこう答える。
「いや、俺はあんまり剣術は才能がなくて……弓なら引けるんですが」
「私も、馬術ができるからと騎士になるよう勧められたクチです」
二人の声は、さっきまでの自信たっぷりな態度とは裏腹に、とても消極的で小さい。二人とも剣術に自信がないのか、騎士にしてはあるまじきことだが——二人はまだ見習いだし、あまりつついてやるのもよろしくない。
何となく会話が途切れ、そのまま、また三人で黙々と歩く。気まずい。
どうしよう、やっぱり私は剣を使えます、と今言い出すのはだめだろうか。貴族令嬢より剣術が下手だと分かれば、二人の自尊心を傷つけたりしないだろうか。
私はうんうん悩みながら、結局この日は二日目に着くはずの街道沿いの小さな街まで歩いてしまった。到着したころにはとっぷり日が暮れて、街の入り口には篝火が焚かれていた。
本当はもっとゆっくり行くつもりだったが、しょうがない。順調に行程を消化していると思って、私は二人を連れて得意先の宿で一泊したのだった。
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