俺以外の恋が実っている教室で知らない恋人ができた

スタミナ0

失恋の幻覚



 柵と倉庫に挟まれ、立ち並ぶ木々によって遠くからの視線を遮ってくれる放課後の校舎裏は、告白におけるベストポジションとして鈴月高校では有名だった。

 そして、今もそこでは一組の男女が向かい合っている。

 男子が緊張しながら、頭を下げて差し出した片手に相手の女子は気まずそうな苦笑をこぼす。


「ごめんなさい。わたし、先輩と付き合ってるんだ」


 無慈悲な一言に、男子――矢番やつがいカズヤは固まった。

 県有数の進学校に落ち、滑り止めで入った鈴月高校の入学式から半年が経過した矢番カズヤの初恋は、今ここで終わったのだ。

 入学式で家の鍵を失くし、途方に暮れていたカズヤに鍵を拾って届けてくれた人が眼の前の女子生徒――葉桜はざくらうみだった。

 ほんの些細なきっかけだが、その瞬間に生まれて初めて人に恋をしたカズヤは不器用ながらもアプローチした。

 ところが、葉桜海に男の影ありと友だちから聞いたカズヤは、ちんたらしている場合ではないと奮起し、今回の告白を敢行。

 結果は惨敗であった。

 震える声で海に謝りながら、覚束ない足取りでその場を退散し、カズヤは人生で初めての失恋の経験に帰り道で泣いた。


「んで、昨日はどうだったんだよ?」


 翌朝の教室で、入学以来人付き合いの下手なカズヤと友だちとして接してくれるクラスメイトの浅木あさぎいつきに問われる。

 カズヤは胸の痛みに机の下で拳を握り、頬が引き攣るのを堪えた。


「……フラれたら、昨日の時点でおまえに泣きついてるよ」

「え。思ったよりクールじゃん……てっきり報告無しだったからフラれて意気消沈しているのかと」


 まさに図星だったカズヤは血を吐きそうになった。

 だが、見栄みえを張って嘘をついた手前、違うんだと言い出せないのが下らない男のプライドである。

 樹はカズヤの恋心は知っているが、気持ちの矢印の先は知らない事が幸いである。

 相手さえ明かさなければバレないかとカズヤは安堵した。


「じゃあ、そのうちダブルデートだな!」

「え。樹ってカノジョいたのか」

「へへ……実は昨日、おまえが告白するって聞いたからオレも頑張ろうと思って告白したら成功したんだよ」

「こふっ……お、おめでとう」


 頬を赤らめ、恋の成就に震えている樹の姿にますます胸が抉られる。

 もう心ではなく、物理的な傷として体に刻まれているのではと錯覚する痛みだ。


「ダブルデートは早いし、その内に……な」

「そうだな。おまえの相手は……あれだしな」

「ん?」


 樹が訳知り顔で話すので、もしかして実はカノジョなんて居ないからそもそもダブルデートなんて無理だと暗に言われているのではないかとカズヤは冷や汗ダラダラになる。


「いやー。しっかし、この教室は凄いな」

「教室? 何がだよ」


 ちらりと樹が教室全体を軽く見回した。

 カズヤもそれを追うように視線を運ぶが、樹の言葉の真意が分からない。

 首を傾げるカズヤに、樹がニヤニヤと笑った。


「だって、オレとカズヤが恋人持ちって事はさ……この教室に独り身は居ないってことだろ?」


 樹の放った言葉にカズヤは息を呑む。

 まさか……と周囲を改めて見回す。

 教室の端でいつもラノベを読み耽っている南城なんじょうくんも、勉強一筋の硬派みたいな亜城木あしろぎさんも、恋愛とは無縁そうな誰も彼もが。


「……嘘だろ?」

「有り得なさそうでマジの話。有り得ないって言ったら、おまえと椎名さんのカップルこそ一番現実味無いぜ?」

「ああそう……椎名?」


 誰だそれは、という疑問は口に出さない。

 愕然としているカズヤに樹はぺらぺらと教室内の恋愛事情を語ったが、内容は一切頭に入らない。

 そのままホームルームを告げるチャイムが鳴り、話を中断して去っていく樹をただカズヤは見送る事しかできなかった。


 それから上の空で一日の授業を終えて、カズヤは日課である図書室での勉強に向かう。

 家の中では誘惑が多すぎるので、毎日放課後は図書室で自習に取り組んでいるお陰で、成績は学年でも上の中をキープできていた。

 いつもと同じように図書室へ通うつもりだが、今日ばかりは勉強ができる気がしない。

 頭を占めるのは、樹が話した内容だ。


「ちょ、え……椎名しいなって誰だよ」


 樹の中では、カズヤがその椎名さんとやらと付き合っている事になっている。

 全くもって不正解。

 しかし、問題はそこではなく、そもそも椎名さんという名前は同じクラスにもおらず、知り合いにすらいない。

 元々、クラス外と特に交流の無いカズヤには教師を除いてあの教室の中しか知り合いなど学校には存在しない。

 椎名――初耳である。


「マジで分からん」


 もはや自分専用とも言える図書室窓際の席に腰掛け、机の上に広げた参考書の上に突っ伏した。

 思わず口をついたのは、理解不能な事実に対して抱いた膨大な感情のほんの一欠片である。


「隣、いいですか?」


 鈴を転がしたような美声がして、カズヤは顔を上げた。

 そこには、カバンを手に無表情でカズヤを見下ろす少女が一人いた。

 混乱で参考書に突っ伏していたカズヤの醜態に気味悪がる様子も無い。


「いつもそうだけど、他にも席は沢山あるでしょ……」

「良いか悪いかを聞いてるんです」

「別に。お好きにどうぞ」

「では失礼します」


 少女はカズヤの隣の席に腰を下ろし、今日の課題と思しき数学の問題をすらすら解き始める。

 椎名という存在もそうだが、カズヤは隣の少女の名前も知らない。

 入学から一ヶ月して行われた中間考査で痛い目を見たカズヤが図書室に通って勉強するようになって、それから度々見かけたり隣の席になったりする相手だ。

 付き合いで言えば半年近くにもなる。

 会話らしい会話も無い。

 時折、カズヤが行き詰まっていると勉強を教えてくれるほど無愛想に見えて親切な事や頭が良いという事しか知らない。


 窓から差す陽光を浴びて天使の輪のような艶を帯びる綺麗な黒髪と、見た者が理想と言いたくなる整った鼻梁びりょうをしている。

 柳眉に縁取られた瞳は金色がかっており、いつも全てを一切の曇り無く映す鏡のような静謐せいひつさを湛えている。

 半年来の気付きで思わず見惚れていると、その瞳がついとこちらへ動いた。


「何ですか。こっちをじろじろと見て」

「あ、悪い。ちょっと今日は色々あって」

「……何かあったんですか?」


 少女に視線を咎められ、慌てて勉強に戻ろうとしたカズヤを引き留めるように質問が投げかけられる。

 他人に興味があったのかとカズヤは内心で失礼な事を言いながらも、少女の方へと向き直った。

 聞かれはしたが、何と答えるべきか。

 失恋を隠して友だちに嘘をついた事やリア充クラスについて話しても、余計に虚しい気持ちになるだけである。

 適当にあしらって傷を最小限にしようと思ったカズヤだが、ふと思い至る。


 この少女は、見たところ同じクラスの人間ではない。

 校舎内でもすれ違った事の無い相手だ。

 つまり、話したところで真実が樹やクラスメイトに伝達される可能性は低いかもしれない。

 それに、樹に嘘をついて偽物リア充になったこの心痛を誰かに打ち明けて楽になりたい気持ちもあった。


「下らない話だけど……聞く?」

「下らないかは私が聞いて判断するので。言いたくないのなら私もこれ以上追及しません」


 ドライな少女の反応にカズヤは期待が膨らむ。

 この子ならば、何を打ち明けてもスルーしてくれるような気がする。

 相槌が欲しいわけじゃない。

 だが、誰かに聞いて欲しいという面倒くさい欲求を叶えてくれる存在だ。

 カズヤは胸の痛みを解放できる先を見つけ、救われたような気分になる。


「いや。それなら聞いて欲しい」


 何から話すべきかなど考えず、とりあえず自分が一番傷ついた内容から話す事にした。


「実は……昨日好きな人に告白してフラれた」

「え……」

「え?」


 少女から戸惑いの声が上がって、カズヤも思わず同じような声を上げてしまう。

 さっきまでの落ち着きはどこへやら、手にしていたシャーペンを取り落として震える様はカズヤの分身もかくやという動揺っぷりである。

 なぜ少女まで取り乱しているのかは不明だが、言葉が欲しいわけではないカズヤは続ける。


「それで、フラれた事が言えなくて友だちには成功したって嘘ついたんだけど」

「最低ですね」

「あ、はいごめんなさい。……でも、そしたら友だちはその相手が椎名って子だと勘違いしてるみたいなんだ」

「えっ!?」

「えっ!?」


 聞いた事も無いような少女の大きな声にカズヤも驚く。

 いや、だからなぜそんなに大きなリアクションをするのだろうかとカズヤは怪訝な顔で少女を見た。


「ど、どうしたんだ?」

「その……えっと……」


 挙動不審な相手の姿に首を傾げたカズヤに対し、少女は椅子を動かして体の正面をカズヤに向ける。

 そして、ゆっくりと頭を下げた。


「ふ、不束者ですが……よろしくお願いします」


 まるで嫁入りするような少女の発言と態度に、カズヤは今日疲れすぎて自分は幻覚を見ているのだと思い、参考書を片付けて速やかに図書室から退散した。


 失恋の痛みはまだあるし、少女の幻覚も気になりはするが、気分はいくらか楽になった。

 明日から心機一転し、全部忘れて新しい日常を始めようとカズヤは少しだけ軽くなった足で帰途についた。










 

 

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