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七海のドナー登録が確定した件について、石切は役所に問い合わせようとしたが、社長に止められた。曰く、ドナー登録は覆すことのできないものだという。
ドナー登録対象機体は検査を義務づけられるが、この検査はドナー登録対象機体の部品の状態を評価するためのもので、対象機体の稼働状態に関わらず強制解体は決められていた。
その事実を知った石切はうなだれた。
社長は石切に稼働調整の名目でまとまった休暇を取らせた。
七海のドナー登録を覆すことはできない。
だけど七海に最後まで寄り添える。
そうした意図が裏に見える休暇だった。
社長はこの結末を想定していたのだろう。
休暇中の石切のタスクは既に他社員に振り分けられていた。
石切は荷物をまとめて帰宅した。
会社から徒歩二十分圏内のマンション。
扉を開けると、七海が笑顔で立っていた。
前髪をピンで留め、空色のエプロンを着けている。
リビングからはゴマ油の香りが漂っている。
「おかえり」
「社長から休暇を取るように指示されました」
「そんな気がした。お昼ご飯できてるよ」
「ありがとう。いただきます」
石切は靴を脱ぎ、七海ともにリビングへ向かった。テーブルの上にはけんちん汁と煮物と魚と玄米が白い湯気を立てて並んでいる。
石切は荷物をまとめ、洗面台で手を洗い、テーブルに就いた。七海が向かい側の席で微笑む姿を確認し、石切は手を合わせた。
七海の料理は一見素朴だった。
しかし、素材や出汁にこだわりがある。
石切は煮物を噛みしめる度に口内に広がる旨味に驚き、けんちん汁のゴマ油の香りとあっさりした味に口元が綻んだ。
「おいしいです。あと体に優しい」
「ありがとう、作り方も記録しておいたよ!」
石切は微笑み、食事に集中する。
七海の検査の後、石切は七海と同棲を始めた。
石切は七海との時間を大切にするようになり、業務を定時で切り上げるようになった。
しかし二人が穏やかに過ごしている間も、七海が解体される日は迫っている。
石切は昼食を食べ終わった後、顔を上げた。
「休みももらったので、出かけませんか?」
「いいね。片づけたら準備するね」
七海は食器をキッチンに下げ、食器や鍋を洗い始めた。同棲を始めた際に七海がやりたいと言ったので、彼女に任せるようになっていた。
「自分で食べたものくらい自分で洗いますよ」
「アンドロイドは所有者の役に立ちたい、評価されたいという前提を以て動いているの。だから洗わせて」
洗い物を終えた七海は、石切の横に座り、石切の肩に寄りかかった。
「洗い終わったから、頭を撫でて」
「先輩の力を使える贅沢ができて幸せです」
「あと、もう先輩とか敬語とかなし。私のことは七海って呼んで」
「わかった。七海」
石切は七海の頭に手を置いた。
七海は満たされたような笑みを浮かべた。
この後二人は服を着替えてでかけた。
石切は七海に選んでもらった黒のサマージャケットと白いボトムを着て、七海は石切が選んだワンピースを着た。
☆
家を出た石切と七海は海沿いの映画館へ向かった。この日は平日であったが、夏休みを満喫する学生や、小さな子連れの家族で賑わっている。
「そういえば夏休みか。賑やかで楽しいな」
「何を観る?」
「七海が観たい作品がいい。」
「え、私が観たいもの? いいの?」
「七海が一人なら何を観るのか知りたいんだ」
「ありがとう。じゃぁ遠慮なく選ぶよ!」
七海が目を大きく見開き、一つの映画タイトルを指した。
「それはね。マジモンだよ!」
マジモン。
それはマジカルモンスターの略称で、モンスターテイマーを目指す少年と、相棒のモンスター、彼らの仲間達の旅を描く子ども向けのアニメとして知られている。
「意外だ。難解な作品がくるかもと思ってた」
「子ども向けだけど意外に奥深いんだから。あと登場キャラクターに可愛いモンスターが居て、アンドロイドの保護欲を刺激するの!」
「なる……ほど?」
「そういうわけで観に行くよ!」
七海は石切と腕を組み、半ば引きずるような勢いでチケットを購入した。ちょうど入場開始の時間になったこともあり、マジモンのシアターに入場した。席にはたくさんの子ども達の声で賑わっている。
子ども向けアニメに不慣れな石切は周囲を見渡し、成人を探した。だけど目に付くのは子連れの父・母ばかりだった。
程なくしてシアターが暗転し、マジモンが上映された。初めはコミカルなシーンから始まり、子ども達の笑い声が響いた。しかし物語が動き出すに連れて子ども達の表情が変わっていく。
物語の主題は重い。
ある町にてテイマーの少女が、事故で亡くなった自分のマジモンを禁忌の術で蘇らせてしまう。
しかし蘇ったマジモンは少しずつ理性を失っていく。少女は蘇ったマジモンの異変に気付くが、別れを受け入れられず、蘇ったマジモンを暴走させてしまう。
その場に居合わせた主人公は相棒のマジモンと仲間達とともに、暴走したマジモンと対峙することになる。その戦いの中で少女はマジモンとの死別を受け入れることになる。
デフォルメされたキャラクターデザインやコミカルな演出の多さから子ども向けと評価されていたが、シアター内の大人達は子ども達以上に固唾を飲んで物語の終着を見守っていた。
上映が終わり、二人は映画館を出た。
石切は放心したような表情で海を眺め、独り言のように呟いた。
「奥が深かった」
「でしょ?」
「人間とアンドロイドの関係を見ているようだった」
海の潮風が石切の服を揺らした。
「ほんの少し前まで、アンドロイドは機械だ。俺は技術者だ。そう思っていたのに……今は、アンドロイドに、七海に死んで欲しくないって思っている」
七海は石切の隣に並んだ。
「ありがとう。でも私はこれで良かったよ。何十年稼働しても満たされなかったものが、ほんの数日で満たされていくのを感じるの」
「七海はまだ稼働できる。社会の役に立っているだろ」
七海は潮風に弄ばれるワンピースの裾を押さえ、
「私が役に立たなかったら、石切は私の解体を受け入れられた?」
石切は言葉を詰まらせた。
そのとき、背後で子どもの泣き声が聞こえた。
振り向くと、リュックを背負った小さな男の子が一人でさまよっていた。
石切と七海は顔を一度見合わせ、男の子に歩み寄る。七海は男の子の目線に会わせてしゃがんだ。
「お父さん、お母さんが見つからない?」
男の子は泣いたまま頷いた。
七海は微笑み、男の子のリュックに視線を向けた。
「かっこいいリュックだね?」
「お母さんが買ってくれた」
「良いお母さんじゃん。きっとキミのことを一生懸命探しているよ」
そう言って七海はリュックを確認した。
リュックには名前の書かれたタグがついており、緊急の連絡先が記載されている。
それを確認した七海は、その連絡先にコールした。応答したのは少年の母親で、すぐ近くの公園で合流することになった。
七海は少年に手を差し出した。
「お母さん迎えにきてくれるって。一緒に行こう」
少年は涙を服で拭い。七海の手を取った。
こうして石切と七海は少年を連れ、近くの公園に向かった。海岸沿いから交差点に出ると車道の向こう側に公園が見える。
少年の母親とほぼ同着らしく、公園の入り口前で母親の姿が見えた。
「お母さん!」
少年は七海の手を離し、走って交差点を渡ろうとした。
……信号が切り替わる直前に交差点を曲がろうとしたトラックが迫っていることに気付かずに。
「危ない!」
七海は全力で走り、少年を庇った。
激しい衝突音。周囲にいた人達の悲鳴。
突如騒然とした交差点で、石切はたちすくんでいた。道路では破損したトラックの先で七海が倒れていた。
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