4.緊急事態に渋面となる学校側




 夕暮れの校長室。

 そこには学校の主立った面々が勢揃いしていた。


 この学校や浅川市の開発に大きく関わってきた一族の長、浅川重蔵あさかわじゅうぞうを筆頭に、校長、教頭、学年主任などが顔を揃えていた。


 一同は皆、沈鬱な表情を浮かべていたが、それぞれが抱いている思惑はすべてが異なっていた。


 今後の学校運営やPTA、生徒たちへの対応に不安を抱いている者、厄介事に巻き込まれたと苦々しく思っている者、心の底から残念に思っている者、様々だ。


 浅川市の市長であり、浅川麻沙美の祖父でもある白髪の老人は眉間に皺を寄せながら口を開いた。



「早瀬川というのは、この学校最大の出資者だったか?」

「えぇ。大手IT系企業で早瀬川グループ社長のご子息です。早瀬川君の他に、彼の妹さんもこの学校に通っております」



 応接テーブルを挟んだ豪華なソファーに座る浅川の対面に、この学校の校長が座っており、暗い表情でそう答えていた。



「……なるほど。ではまだ完全に縁切れにはなっていないということか?」

「……それはわかりません。先頃入った報告によりますと、早瀬川君の死亡連絡と共に彼の妹の早瀬川朱里さんも、当分の間休学すると連絡が入りました。よほど、兄の死がこたえたのでしょうね」


「そうか。では毎月の寄付金の方はしばらく期待できんか」

「……おそらくは。ただ、この早瀬川兄妹の他に、彼らの姉に当たる女性がこの学校で教師をしておりまして。実家とは絶縁状態となっているそうですが、彼女が親身に支えれば、早瀬川朱里の復学もあり得るかもしれませんが」


「ふむ……面倒な家だな。まぁいい。それで、通夜はいつだ?」

「確か明後日だったかと」



 校長は手元の資料を見ながら返事を返す。



「……わかった。ならば弔問の手配をしておこう。お前たちも、くれぐれも抜かりなく準備をしておけ」



 浅川は終始、難しい顔を崩すことなく、それだけを言い残して部屋から出て行った。

 残された校長以下、学校関係者は皆沈鬱な雰囲気をまとったまま、しばらくの間、身動きすらしなかった。


 よほどしばらくしてか、校長が一度ため息をついてから口を開いた。



「新学期早々大変なことになってしまいましたね。事件性がなかったことだけは幸いでしたが」

「そうですね。ですが、生徒たちの間に少なくない動揺が広がるかと思います。特に、クラス担任予定だった早瀬川君のお姉さん、麻里奈まりな先生はショックでしょうね」



 教頭を務める初老の女性がそう告げると、学年主任も頷く。



「麻里奈先生は表面上、貴弘君に対してかなり厳しく接していましたが、弟思いでも有名でしたからね。しばらくの間はお休みするそうですよ」

「そうですか。ですが、早瀬川先生は実家と絶縁状態になっていると聞いていますが、今回、葬儀には出られるのですかね?」



 校長の疑問に、早瀬川麻里奈が復帰するまで、クラスの穴埋めをする予定の副担任が口を開く。



「とても残念ですが、出られないそうです。先頃の電話で確認済みです。一応、ご実家の方には連絡したそうですが、その、なんというか麻里奈先生のお父君に拒絶されたらしいです。ですので、東京の両親がこちらに来るまでの間に、こっそり貴弘君に会いに行くそうです」



 暗い顔をしている男性副担任の言葉に、全員が重苦しい空気に包まれる。

 再び沈黙する一同だったが、しばらくして校長が口を開いた。



「まぁ、ともかく、起きてしまったことは致し方ありません。明日から授業が再開されますし、皆さんはくれぐれも生徒たちをよく観察し、心のケアを忘れないように務めて下さい。特に、早瀬川君が入るはずだったクラスの生徒はかなりの影響があると思います。一色いっしき先生、頼みましたよ」

「えぇ、了解しました」



 副担任の一色が頷く。



「それから、現場に居合わせた浅川市長のお孫さんの麻沙美さんに関しては最優先でケアして下さい。かなりショックを受けておられたようですから」



 校長の言葉に教頭を初めとして、その場に居合わせた誰もが緊張気味に頷いた。



 ――あの後。


 呼び出された教師たちが現場に到着した時、既に息を引き取っていた早瀬川貴弘にすがりつくような形で、早瀬川朱里が泣き叫んでいた。


 普段、何があっても沈着冷静な彼女が、誰も見たことがない程、取り乱していた。


 しかし、それ以上に動揺し、全身の震えが止まらなかったのが浅川麻沙美である。


 駆けつけた教師が生徒たちを下がらせ、救急や貴弘の家に連絡を入れている最中も彼女は自力で一歩も歩けず、終始目を泳がせながら、静かに涙を流しているだけだった。


 そして、救急よりも早く駆けつけた貴弘の家の者たちが、彼の状態を確認して首を横に振ったのを見て、麻沙美は気を失ってしまったのである。


 その姿を目撃した教師たちは容易に想像することができただろう。麻沙美の精神が病んでもおかしくないということを。


 もし仮に、彼女が本当に心の病気にでもなったら、例え無実であったとしても自分たちに責があると判断され、罰せられてもおかしくない。


 理由なんて簡単だ。


 いわゆる御三家と呼ばれている浅川、藤沢ふじさわ水那みずなのうち、この学校はもちろんのこと、浅川市全体に絶大な影響力を持つ御三家筆頭が浅川家だったからだ。


 同時に、学校の理事長も兼任しているため、教員の生殺与奪すべての権限を握っていると言っても過言ではない。


 それ故に、麻沙美の祖父の気分次第で教員たちに責任がなすりつけられる可能性がある。


 不当であろうと何であろうと、それがこの学校、否、浅川重蔵という男だった。


 校長は立ち上がり、窓際にある自身の机へと歩み寄ると、窓の外を眺めた。



「嫌な空の色です。何事もなければよいのですが……」



 渋い顔を浮かべて眺める夕暮れの空は、鮮血を彷彿とさせる朱に染まっていた。



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