5.転生、そして――




 巨大で真っ暗な空間に、星のような美しい輝きが無数にちりばめられていた。

 赤や黄色、水色や白など、様々な光がキラキラと明滅し、時折、流れ星のような光線が右から左へと走り去る。



(不思議な景色。これはいったい……?)



 彼女は目の前に広がる光景をぼうっと眺めていた。

 意識はあまりはっきりしていない。

 自分が誰なのかも、よくわからなかった。



(……あれ?)



 朦朧もうろうとする意識の中、ただひたすらにそれを眺めていたら、針の先のような光の点が次第に大きくなってきていることに気がついた。


 みるみる内に、中心にあったその光が巨大で眩しい塊となっていく。

 そして、直視できなくなって一瞬、頭がくらっとした時、彼女は目を覚ました。



「……ここ……は……?」



 薄暗い部屋。

 ぼうっとしながら見つめる先の天井は、彼女が知っているようでいて、それでいて知らないものだった。


 はっきりとしない記憶の中にある自分の部屋の天井は、もっと無骨だった気がする。


 確か、丸いシーリングライトが照明として取り付けられていただけの殺風景な天井だったような。


 しかし、視線の先で薄らと光る常夜灯が映し出しているのは、とても豪奢ごうしゃなシャンデリアだった。


 状況がよくわからず、ベッドに横になったまま少し首だけを右に傾けてみる。


 そこには壁一面にカーテンが引かれており、隙間から光が射し込んでいた。


 その光景にはなんとなく見覚えがあるような気もするが、ただ、薄暗くてよくわからない。

 デザインも少し違う気がする。


 よくわからない。

 わからないけれど、ふかふかのベッドに寝かされていることだけは理解した。


 酷く記憶も曖昧あいまいで、起きているというのに意識もはっきりしない。

 身体からだの方も、自分のものとは思えないくらい、全身が重かった。



「どうして自分は……?」



 ぼそっと呟いた声が酷く甲高く、なんとなく、記憶にない声音こわねだった。

 高く、そして美しくも愛らしい声。


 彼女は布団から左手を出し、額にかかる前髪をかき上げ、溜息ためいきをつきながら、ぼうっと自身の左手を見つめた。


 薄暗がりの中でも十分にわかるぐらい細くて長く、綺麗な指。

 右手も出して両方を見比べてみるが、やはりこの世のものとは思えないぐらい美しかった。


 綺麗に手入れされた爪もそうだし、何気なく触った枕元に広がる長い髪も、とてもすべすべしている。


 自分はこんなに綺麗だっただろうかと疑っていると、左手の壁中央付近にある扉が静かに開いた。

 部屋の外の光が室内に入り込む。


 彼女は眩しげにそちらに顔を巡らし、中に入ってきた一人の少女と目が合った。


 刹那せつな、入ってきた少女は手に持っていたお盆を床に落とし、両手で口元を覆う。


 少女はそのまま数秒固まったあと、勢いよく駆け寄ってきて、ベッドに眠る少女に覆い被さるように抱きついた。


 そして、泣きながらこう叫んだ。



貴弘たかひろ様……!」と。



 その瞬間、ベッドの中の少女は頭に激しい痛みを感じ、ぼうっとした意識が少しだけはっきりしていく感覚を覚えた。

 徐々にだが、なんとなく色々と思い出してくる。



「しゅ……り……か?」



 声を上げて泣くメイド服の少女を困惑げに見つめながらも、「あぁ、そうだ」と、ベッドの中の少女は自分が貴弘という名前だったことを思い出した。


 貴弘は首元に抱きついて離れない彼女の頭をそっと撫でる。

 艶のある黒髪の感触が掌に広がっていく。


 不明瞭な意識と気だるい感覚にさいなまれながらも、しばらくそうして慰めていると、そっと、朱里しゅりが離れていき、ベッド脇の椅子に腰かけた。



「取り乱してしまい、申し訳ありません」



 メイド服のポケットから白いハンカチを取り出し、軽く目元を拭う。



「……いいよ……気にしてないから」



 貴弘はそう告げ、左手で髪をいじったところで、「あれ?」と思った。


 先程までは薄暗くて気づかなかったが、女の子のようなとても綺麗な指先に絡め取られた前髪が、なんとなく金髪に近い色合いをしているように見えたからだ。



「……えっ……と?」



 混乱する思考をフル回転させて、状況整理しようとしたのだが、結果的に失敗した。

 なぜなら、ここ数日の記憶がまったくなかったからだ。

 それどころか、自分がなぜベッドで寝ているのか、まるでわからない。



「えっと……朱里? 何がなんだかよくわからないんだけど……? オレ、なんで寝てるんだ?」



 左隣のベッド脇にいる朱里にぼうっと視線を投げるも、貴弘は身体に違和感を覚えた。

 なんか、スースーする。

 足を少し動かすと、ひんやりとした掛け布団の感触が伝わってきた。

 それだけではない。

 布団に包まれる全身が、さらさらとした肌触りを伝えてくる。



(え? ……もしかして裸?)



 怪訝けげんに思って布団の外に出していた両手を中に引っ込め、自分の胸を触った瞬間、愕然がくぜんとなった。

 びくんっと短く痙攣けいれんし、呼吸まで止まりそうになる。



「な……なんだ、これ……」

「貴弘様?」



 隣の朱里がいぶかしむが、それどころではなかった。

 貴弘の掌に伝わる未知で柔らかい感触。

 小さな掌の中にまるっきり収まりきらない大きな膨らみ。



「ま……まさか……」



 恐る恐る二つの膨らみを両手で軽く揉むようにした瞬間、全身におかしな感覚が走り、同時にぼんやりとした意識が完全に吹き飛んでいた。


 勢いよくベッドに上半身を起こした貴弘は、布団から現れたあり得ない姿の裸身に驚愕する。



「な、なんなんだ、これは!」



 全身から嫌な汗が噴き出してきた。

 大きな二つの膨らみを隠すように、長く癖のあるプラチナブロンドの髪が胸前に流れている。


 それを見て正気を失った貴弘は、部屋の中を見回す。

 焦った顔をしている朱里の右手壁際に見慣れない鏡台が置いてあることに気がつき、勢いよくベッドから飛び降りてその前に立った。


 あまりにも突然の言動に呆然としかかっていた朱里だが、すぐに貴弘を後ろから抱きしめる。



「い、いけません、貴弘様! まだ起きてはダメです!」



 懸命にベッドへ押し戻そうとする朱里だったが、その声は貴弘の耳には届かなかった。


 ほうけたように鏡台の前に立つ貴弘。

 彼のその瞳に映っているのは、よく知る自分の姿ではなかった。



「……誰だ? こいつは」



 鏡に映っていた自分。

 それは見たこともないような、金髪の美少女だった。


 貴弘は混乱する意識の中、裸の少女と実際の自分の身体を交互に見比べた。

 紛れもなく女の子の裸。

 よく見知った自分の姿とはまるっきりの別人。

 どっからどう見ても背丈の小さな、年齢不詳の女の子。


 ゆっくりと自分の顔や身体に触れてみる。

 手に伝わってくる感触は疑うべくもなく本物だった。



「どういうことだ……? 女? オレは女になっているのか? いや、そんなはずはない。そんなことがあるはずがない。だって、あり得ない。朝、目が覚めたら女になっているなんて、そんなことが……」



 酷く混乱する意識の中、鏡に映った困惑顔の女の子の顔が脳裏に焼き付いて離れない。


 鏡の中で呆然と立ちすくむ裸の少女。

 幼い顔立ちと、百四十センチほどしかない細くて小さな身体には不釣り合いなほど、大きな胸。

 身体のライン同様、やはり細くて長く、美しい手足。

 腰まであるプラチナブロンドの髪が、少し身体を動かす度に揺れ動く。



「何が起こった? どういうことだ? なんでオレの姿が女になっているんだ? しかも、裸で胸が……え? 胸? 女の身体? 裸……?」



 貴弘はそこまでブツクサ呟いたあとで、カッと目を見開いた。



「や、やばい、裸……女の!」



 目の前の鏡に映る真っ白な裸身が女の子のものだとはっきり認識した瞬間、身体の奥底から吐き気がこみ上げてきた。

 否、それだけではない。

 激しい目眩まで襲ってくる。


 中学時代に植え付けられたトラウマが急激に活性化してきた。


 あの忌まわしい人生最大の汚点。

 始業前のちょっとした時間。

 突然絡んできた悪友に見せられた携帯電話内の映像。


 どこから入手してきたのかわからないが、そこには、画像修正が一切加えられていない、西洋人女性の裸が映っていたのである。


 中学に上がったばかりの貴弘にとって、その光景はあまりにも衝撃的で、一瞬で肉体も精神もその現実を拒絶していた。


 あの時のことはよく覚えていないが、後日、クラスメイトから散々、嫌みを言われたものだ。

 ゲロしてぶっ倒れたヘタレ野郎と。


 以来、貴弘はその時のことが原因で、女性の裸を見ると必ず、嘔吐おうとや目眩に襲われるようになってしまったのである。


 そういった事情があるにもかかわらず、今、目の前に展開されている光景はあまりにも酷だった。


 眼前の鏡に映し出された幼くも艶めかしい裸身と、トラウマの中のおぞましい映像がリンクしていく。


 そして、それが完全に重なった瞬間、貴弘の全身から一気に力が抜け落ちた。



「た、貴弘様!」



 慌てて朱里が貴弘の全体重を支えるが、その時既に、『彼女』は意識を失っていた。



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