2.慈愛の神霊ガブリエラ(貴弘視点)




 その頃、当のエリはおかしな場所で、一人、膝を抱えてうずくまっていた。

 とは言っても、それはあくまでもイメージの話で、実際に何がどうなっているのか、彼女本人にはよくわからなかった。


 彼女はどこからか自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして顔を上げた。

 辺り一面銀世界のそこは、淡い光だけが支配する面妖な場所だった。



貴弘たかひろ君……」



 再び、自分を呼ぶ声が空と思しき場所から降ってくる。

 エリ=貴弘が、はっきりとそれを認識した時だった。


 急激に世界が様変わりし、銀一色だった光景に色が咲いた。

 下方には緑豊かな草原が。

 上方には澄み渡る青空が形作られ、草原の先には湖が現出していた。

 更に、その大きな湖に突き入る形で岬が形成され、そこに一本の大きな樹木が姿を現した。


 貴弘は状況がよくわからなかったが、気がついたら歩き出していた。

 一歩一歩、確実に大木へと近づいていく。

 そして、残すところ後三十メートルといった距離まで歩を進めた時、彼は彼女の存在を知覚した。


 大木の足下に中世の国王が座っていそうな豪華な玉座が置かれ、そこに、足首までの長い薄衣をまとった裸足の女性が腰かけていたのである。


 真っ白な肌に同じく純白の長い髪。

 瞳の色は碧色で、薄い唇はピンク色をしている。

 その出で立ちは、まるで湖の妖精を彷彿ほうふつとさせた。



「あんたは……誰だ?」



 すぐ目の前まで近づいて立ち止まった貴弘の質問に、彼女は口を開く。



「私のことは、既にわかっているはずよ? エリ――エリザヴェータであり、貴弘でもあるあなたなら」



 貴弘はきょとんとして、しばらく考え込む。

 なんとなくだが、なぜか彼女のことは熟知していた。


 神霊すべての長として数千年の時を生き、数多くの大戦を経験してきた女性。

 近年は科学の道を志す一人の人間と共生関係を結び、長い間生き続けてきた。

 しかし、人には寿命というものがある。


 天寿をまっとうした『彼女』はその後、永い眠りについた。一人の少女の中で。異変により目覚めさせられるまで――


 そう。彼女こそが神霊の長。



「あんたは……そうか。ガブリエラだな」



 思考を巡らせるだけでなぜか、様々な情報が記憶の奥底から蘇ってくるおかしな感覚に、貴弘は困惑した。


 記憶の共有。

 感覚の共有。

 そして、感情の流入。


 自分は彼女であり、彼女もまた自分であるかのような、よくわからない状態だった。

 そんな貴弘に、女性は微笑んだようだ。



「一応、初めましてと言っておきましょうか、迷子のお嬢さん?」

「ふざけないで欲しいんだがな。オレは女じゃないぞ?」

「ふふ、ですが今、あなたは女の子でしょう?」

「それはそうだが……」



 貴弘はそこまで言って頭に激しい痛みを覚え、うめき声を上げる。何か今、嫌なことを思い出したような気がしたのだ。


 辛くて痛くていたたまれなくて。

 そんな感覚を想起させられるような、絶対に思い出したくない出来事を。

 しかし、世は無常だった。


 眼前の女性は艶然えんぜんと笑うと、右手をパチンと鳴らした。

 その瞬間、青かった空一面に無数の映像が浮かび上がった。

 動画投稿サイトのサムネイルが隙間なくびっしりと並んでいるような光景。

 貴弘はそれらを視界に入れ、すべてを思い出した。



「ぅああぁっぁぁああぁー!」



 頭を抱えて絶叫する。


 ――しつけと称して、まるでいじめ抜くような厳しいマナー教室を行うメイド長の映像が空に流れる。

 何度も何度も罵ってくる声が耳の奥深くで鳴り響く。


 ――数年前、悪ガキどもに絡まれたせいでおかしな体質になった時の映像が空に流れる。

 激しい嫌悪と倦怠感と、孤独感が心の奥底に広がっていく。


 ――女になったことを心底悩んでいたのに、まるで楽しんでいるかのように接してくる頭のおかしな妹の映像が空に流れる。

 素っ裸にされ、着せ替え人形にされ、トイレや入浴の世話までされ、心底、心が押し潰されそうになる。


 そして――化け物に襲われ喰い殺されそうになっている映像が流れ、身体のすべてが焼き尽くされた。

 痛い、悲しい、苦しい、消えてなくなりたい。

 色んな感情が止めどなく溢れてきて、心が引きちぎられそうになる。



「もうやめてくれぇー!」



 叫んだ瞬間、すべての映像が消えたが、今度はよく知らない映像が大空に一つだけ浮かび上がった。


 貴弘はぜぇはぁ言いながら、それを捉える。

 よくわからない薄暗い場所で、白服の男女が倒れていた。


 画面中央にはよく見知った女性が大きく映し出されており、彼女は特撮映画に出てきそうな化け物を何度も吹っ飛ばしている。

 しかし、その度に化け物は肉体を崩されつつ、襲いかかっていた。


 そして、画面左端では――


 メイド服を着た少女が巨大な獣に組み敷かれ、今にも喰い殺されそうになっていた。



「……朱里……か?」



 呆然と呟く貴弘の隣に、ガブリエラが歩み立った。



「……なんなんだいったい? さっきの映像は? 今映ってるこれはなんなんだ?」



 ガブリエラは映像を見上げながら、静かに告げる。



「すべて現実に起こったこと。そして、今現在起こっていること」

「どういうことだ?」



 先程までの映像で受けた衝撃の影響か。未だに震えの止まらない貴弘へ、彼女はゆっくり振り返る。



「あなたが意識を喪失したあと、様々な事象が重なり合い、こうしての者たちは戦っているのです。タミエルの目的を阻止するため。あなたの身体――そうではありませんね。私たちを守るために」



 目の前の女が何を言っているのか、貴弘にはまるでわからなかった。

 先程の映像でなんとなく記憶は取り戻したが、そこから今に至るまでのすべてが空白だったからだ。



「……いったい、オレの身に何が起こった? なんで、あいつらが戦っているんだ?」



 少し落ち着きを取り戻した貴弘は、眉間にしわを寄せて眼前の女を凝視する。

 彼女は澄んだ声色で、説明を続ける。



「あなたは自身の身に降りかかったあまりにも多くの出来事に対応しきれず、生命力の源である霊力をすり減らしてしまったのです。その結果、極限まで追い込まれたあなたは正気を失い、活力すべてをロストして消え去ろうとしていた。ですが、それはすべての人間にとって、とても不幸なこと。あなたはとても多くの人たちに愛されていたのですから」


「……すまないが、あんたが何を言っているのかよくわからないんだが?」



 おかしなことを言い出すガブリエラに、貴弘は頬をかいてぶそっとした。



「あなたがどう思っているのか、私にはよくわかっていますが、まぁ、それはおいておきましょう。問題なのは、あなたが生きることを諦め、自ら消滅しようとしていたという事実です。あの、タミエルに襲われた出来事がきっかけとなり、です」

「そうか……そう、だったな」



 思い出したくもないおぞましい一件。

 新たなトラウマになったのではないかとさえ思えるほど、強烈な恐怖を刻みつけられた出来事。

 自分は『もういいや』とすべてを投げ出したことを思い出した。



「ですが、私は元より、周囲の者たちはそれをよしとしません。あなたには生きていて欲しい。だから、あの時、私は霊糸れいしであなたと繋がり、霊力溜まりの泉スポットへと引き入れたのです」

「霊力溜まり? 繋がるってどういう――」



 そう疑問に思った時、なぜか、すべてがぱぁ~っと明瞭になった気がした。


 今の自分は、小さな霊力の塊となっているガブリエラと文字通り一体化していた。


 彼女の神気でできた霊力の糸が、彼女自身と貴弘の魂をへその緒のように繋いでいた。


 それはあたかも神霊と人の魂が共生関係を築きあげたときにできる、契約の糸のようにも思えた。


 しかし、貴弘はなぜか、そうではないと理解していた。

 理由は簡単だ。

 ガブリエラと霊的に繋がったことで、彼女の記憶や感情、思いがすべて、糸を通じて流れ込んできたからだ。


 そこから得られた情報が、事実を物語っている。


 ――絶対支配の十六夜いざよい


 貴弘は今、彼女の力の影響を受けて魂の一部が強制的に融合させられていたのである。

 しかし、それが決して悪意ある行為の延長線上でないことも、彼女の記憶や思いからすべて理解していた。

 彼女はその力を使って、自分を助けてくれたのだ。


 彼女は自分自身と貴弘を強制的に結びつけて、消えようとしていた魂を無理やり引き留め、自らの神気と霊力溜まりの霊気を貴弘の中へと流入させたのである。


 そのおかげで貴弘の魂は消耗しきっていた霊力を補填され、消滅を免れた。



「そうか。オレは、あんたに命を救ってもらったんだな。しかも、あんたは自らを犠牲にしてまで、自分たち神霊の。だけど、その結果、あんたはただの欠片だけの存在となってしまった」



 貴弘の脳裏に、記憶が蘇る。


 あれは――そう。


 まだ老婆の姿だった頃のガブリエラが、ホムンクルス生成ユニット内の少女を上から見下ろしている時分だった。


 既に余命幾ばくもなく、明日生きているのかどうかもわからないような、そんな日々だった。


 本来であれば、病院の集中治療室に放り込まれていてもおかしくない状態だったが、宿主の女性――東城節子とうじょうせつこは死ぬまで科学者でありたいと切に願い、最後の最後まで研究所にこもった。


 そして悔いのない人生をまっとうした彼女に、ガブリエラは哀悼の意を表し、エリの身体なかへと入ったのである。


 しかし、やはり受動体が僅かでも残っている限り、実験はうまくいかず、更に不慮のトラブルに見舞われ、彼女の魂はその多くが吹き飛んでしまった。


 幸いだったのは、万一に備えて、エリの体内に膨大な霊力を注ぎ込んで生み出した霊力溜まりが存在していたことだった。


 そこにさえ逃げ込めば、しばらくの間は飢えをしのげる。

 その上で仮死状態を保っていれば、いつか事後を託しておいたラファエラが、なんとかしてくれるだろうと期待して。


 そうして、眠りにつくこと数年後。突如、それは起こったのである。貴弘の魂の移し替えが。


 ガブリエラは目を覚まし、思案した。

 絶対支配の十六夜ぜったいしはいを用いれば、相手が共生を拒んだとしても無理やり従わせることができる。


 そうすれば、霊力溜まりのみならず、貴弘が作り出す霊力の一部を分けてもらい、完全復活まで眠り続けられると。


 しかし、彼女はそれをよしとしなかった。

 なぜなら、気高い神霊の長だったからだ。

 できることなら普通に契約を結び、共生関係を結びたかった。


 だから、時が来るのを待った。

 貴弘が完全にこの身体に馴染み、契約に足る健康な魂となるその時まで。

 けれど、無情にも魔の手が伸び、貴弘は壊れた。



「あんたはあの時、力で無理やりオレとあんたを繋げ、オレが消えないようにしてくれた。だが、状況は悪化する一方だった。魂が繋がったにもかかわらず、オレは、自らが消えることを望み、無意識の内に魂を削り続けてしまったから」


「えぇ、だから私はあなたを無理やりここに押し込みました。ここにさえいれば、霊力溜まりがあなたの消滅速度を緩和させてくれますし、最悪、あなたと私が完全に融合してしまえば魂の質量が一定値を越え、一つの魂として完全復活することが可能となるので。そうすれば、衰弱していた肉体が滅んだとしても、あなたは私、私はあなたとして別の肉体へと移ることもできますからね」


「無茶を言う。その場合、オレたちの自我はどうなるんだ?」

「さぁ? 経験がないのでわかりませんね」



 しれっと言うガブリエラに貴弘は頭をかくと、「まぁいい」と開き直った。



「ともかく状況はわかったよ。オレが気絶したあとから今までの間のことも、あんたの記憶から理解した。それで、オレはどうしたらいいんだ?」



 相変わらず、空に流れる映像が深刻な状況を物語ってくれていた。

 梓乃とタミエルの攻防は一方的すぎて、もはや見る気にもならない。

 終始狂ったように笑っている黒鬼は、既に原形をとどめておらず、ゾンビのような動きで梓乃に迫るだけ。

 隙を見て防壁を突破してエリに食らいつこうとするが、当然、そんなことができるはずもない。


 一方、朱里は朱里で、彼女の顔のすぐ至近距離に獣の巨大な顎門あぎとが迫っていた。

 よく見ると、鋭い爪の生えた前肢まえあしが、朱里の身体を押し潰そうとしている。

 既に息も絶え絶えといった感じで、その真横に白い靄のようなものが浮遊していた。


 もう、一刻の猶予もないかもしれない。

 切羽詰まった顔を浮かべる貴弘に、ガブリエラはにっこり笑って見せた。



「良きように。あなたの心の思うままに生きなさい。強く思いを念じることで、あなたは真の意味でせいを手に入れることでしょう」



 彼女がそう言った瞬間、周囲の光景すべてが消滅した。

 彼女の姿も景色も映像のすべてが暗黒の中に消え去り、ただ一つの光の点だけが残った。


 貴弘は直感的に理解した。ガブリエラが霊力溜まりから追い出したのだと。



「行きなさい。私であり、あなたでもある魂よ。私は再び眠りにつきます。魂の質量が元に戻るその時まで。ですが、決して忘れてはいけません。私とあなたが繋がっているということを。それが、あなたに力を与えてくれます」



 徐々に光が大きくなっていく。

 貴弘は眩しさに目をつむった。


 決して拭えぬ心に植え込まれた恐怖と悲しみは依然、残っている。

 できることならずっと、現実から目を背けていたかったが、それ以上に、大切な家族を失う事への恐怖の方が勝っていた。


 貴弘は暗黒空間すべてが光に包まれた時、カッと目を見開き、



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る