第12章 守護メイドとして生きるために

1.攻防(朱里視点)




「お嬢様! しっかりしてください! お嬢様!」



 室内に飛び込むなり、この世で最も大切な少女を腕の中に確保した朱里しゅりは、血相変えて呼び続けた。


 アルマリエラが入り込んでいるはずなのに、以前、ホテルで見た時と同じように、エリの瞳に生気が宿っていない。



「間に合わなかった……間に合わなかったのですかっ?」



 朱里はエリを抱きしめたまま、周囲に視線を彷徨さまよわせて、それに気がついた。


 彼女の眼前に薄らと白いもやのようなものが漂っていた。

 それが、なんとなく面目なさそうに見えるのは気のせいか。



(朱里ちゃん、ごめんねぇ。力尽きて、エリちゃんから追い出されちゃったわ)



 てへっとでも言いたげに、霊体だけの姿になった彼女の声が、脳裏に響いてくる。


 よく見ると、彼女の身体から白い糸のようなものが伸びており、それが朱里のおでこに触れていた。

 もしかしたら、霊体を糸に変えて直接、脳と接続し、会話を成立させているのかもしれない。



(あなたは……アルマリエラなのですか? いったいどうなっているのですかっ?)



 心の中で朱里が叫ぶが、その時、体勢を立て直したタミエルがよろけながらこちらへと歩いてきた。



「……やはり、相手にすべきでないのはあなたでしたか、上宮寺じょうぐうじ梓乃しの。おかげで傷だらけになってしまったではありませんか」



 タミエルは牙を剥き出しにして笑った。

 見ると、確かにどす黒い身体のそこかしこから蒼白い体液をしたたらせていた。

 それを見て、アルマリエラは霊体をぶるっと震わせた。



(うへっ。あり得ない……。あれだけ何やってもびくともしなかったのに、なんであんなに傷だらけなのっ? あの女、化け物以上に化け物かよっ)



 そう彼女の声が、朱里の頭の中に響いてくる。

 それと共に、朱里の心の中にアルマリエラが抱く感情のようなものまで流れ込んできた。


 眼前の化け物じみた霊力を噴出する梓乃への恐怖。

 そして、得体の知れない悲しみ。


 そう意識した瞬間、とある光景が一気に流れ込んできた。

 絶望的な戦いを前に、自分を護衛する戦士たちが次から次へと倒され、更に、旧知の間柄だった相棒が惨殺されてしまったその情景――アルマリエラの記憶が。


 朱里はなんとも言えない気持ちになって、目を伏せた。


 勝手にエリの身体の中に入り込み、好き勝手し放題だったアルマリエラやその相棒のレリエルに対して、当然ながらいい感情など持ちあわせてはいない。


 もっと言えば、ボコボコに殴り飛ばしてやりたいとすら思っていた。


 しかし、自分たち人間と同じように、仲間の死をいたみ悲しむ姿など見せられてしまったら、怒りの矛先をどこに向けていいのかわからなくなってしまう。


 朱里はアルマリエラの霊体を見つめたが、彼女の意識は梓乃やタミエルへと向けられていた。

 つられて朱里もそちらを向く。

 視線の先、強烈な邪気を噴出する美しい女が小首をかしげていた。



「あらぁ? おかしいわね。なぜ、獣風情が人の言葉を話せるのかしら?」



 人を食ったような態度を見せる前方のタミエルに対して、燐光を放つ美姫は、それ以上におどけた態度を見せた。


 しかも、そこら中で血なまぐさい様相を呈しているこの陰惨な地下室には不釣り合いなほど、彼女は艶然と笑っていた。

 見る人が見たら、そこに、狂気すら感じ取ったかもしれない。



「貴様のその態度、いつ見ても反吐が出るわ!」

「あら? それはこちらの台詞なのだけれど? その汚らわしい姿、早いところ、私の前から消えてなくなって欲しいものね」

「貴様がなっ!」



 タミエルは激高し、梓乃へと襲いかかろうとするが、その前に彼女の姿が視界から消えた。


 急制動を駆けるタミエルだったが、そこへ忽然こつぜんと梓乃が姿を現す。


 タミエルはぎょっとして、すんでのところで防御姿勢を取るも、梓乃の繰り出した掌底しょうていをもろに食らって吹き飛ばされていた。


 圧倒的な力になすすべなく、タミエルは一方的に蹂躙じゅうりんされていった。


 梓乃本来の力である呪歌が使用されることもなく、体術だけで追い込まれていく。


 一発一発が重く、邪気が乗った梓乃の拳や蹴りが、タミエルを覆っていたどす黒い霊力を削り取っていく。

 しかし、彼女にできることと言ったらそれぐらいである。


 元来、邪操師じゃそうしである梓乃が倒せるのは同じ邪気の塊である邪霊のみだ。

 ち神のような神霊が相手では肉体を破壊することはできても、霊体まで傷つけられないのだ。


 それゆえに、タミエルを覆い尽くしている邪気だけは徐々に消滅していったが、神霊の気が霧散することはなかった。



「ぐがっ……」



 無造作に繰り出された梓乃の回し蹴りがタミエルの脇腹を捉え、三度、壁に叩き付けられた。

 そのまま、床上のミイラ化した被害者の上に落下する。


 しかし、それでもやはり、彼の肉体構造は常人とは異なっていた。


 あれほど体中に攻撃を食らっていながら、なおも、ゆらゆらと立ち上がってくる。


 梓乃の攻撃をかろうじて受け止めていた両腕は鱗が何枚も剥がれ落ち、蒼白い血液を垂れ流してはいたが、ひしゃげたようには見えない。



「きりがないわね」



 梓乃は特になんの感慨もなさそうに呟く。タミエルは肩で息をしながら「化け物め」と呟いた。



「本当であれば、もう少し貴様を邪霊どもに釘付けにさせておく予定だったのだがな。所詮、ゴミはゴミか」



 そう言って嘲り笑うタミエルに、梓乃の瞳が細くなる。



「やっぱりあれはそういうことだったのね。あの邪霊騒動は私をエリちゃんから引き離して、少しでも襲いやすくするための陽動」

「まぁ、付け焼き刃だということはわかっていたがな。無論、真の狙いは別にあったが」



 神雷じんらい稼働のためのにえ

 その目的の大多数は達成されてしまっている。

 あとは儀式の完遂とガブリエラからの情報引き出し。

 それがかなってしまったら、すべてが終わる。


 しかし、



「残念だけれど、あなたの野望もここまでよ。私がいる限り、エリちゃんを喰わせたりなどしないわ」



 無表情に言う梓乃に、タミエルはなぜかにや~っと笑う。



「本当にそう思いますか? あなたは何か勘違いをされている。勿論もちろん、私の目的はあの神雷を稼働させることにあります。ですが、それが叶わなかったとしても、十分楽しめるのですよ」



 コロコロ口調の変わる情緒不安定なタミエルの表情が、徐々に薄ら寒いものへと変わっていった。



「どういう意味かしら?」

「わかりませんか? たとえ神雷が稼働しなかったとしても、血祭ちまつりの儀によりこの街は壊滅的ダメージを被る。住民が大量虐殺されたというニュースは日本のみならず、世界中に伝播でんぱしていくことでしょう。その結果、どうなると思いますか? 今まであなた方や我ら神霊がひた隠しにし続けた裏事情――邪霊や神霊、魔獣どもの存在が世間に知れ渡ることとなる。更に、それら人間にとっては忌むべき存在が次から次へと世界中で暴れ狂ったら、瞬く間にパンデミックが引き起こされることでしょう」



 タミエルはそこで両腕を広げた。



「素晴らしいとは思いませんか、上宮寺梓乃! 無法地帯となった世界で無法者が闊歩し、皆がやりたいように生きる! まさしく、我らの生き方そのもの! 真なる理想郷そのものなのです! 人も邪霊も神霊も、すべてが欲望の限りを尽くす。なんと甘美なことか! 想像するだけでゾクゾクしてきますよ! そうは思いませんか?」



 にまにましているボロボロの鬼の言葉を受けても、梓乃は特に表情を変えることはなかった。



「言いたいことはそれだけかしら?」

「はい?」



「あなたの言い分ではないけれど、早いところ儀式を中断させて、これ以上犠牲者が出ないようにしたいのよ。だから、そろそろあなたにはご退場願うことにするわ」



 そう言って、梓乃は後方を横目で見る。そこには、固唾かたずを飲んで見守っていた朱里がいた。



「朱里ちゃん。申し訳ないのだけれど、あなたも攻撃に加わってもらうわ。理由はわかるわね?」



 彼女が何を言いたいのか、朱里にはすぐにわかった。

 梓乃ではタミエルを抑え込むことはできても、倒すことはできないのだ。


 しかし、朱里だけはあの黒鬼こくきにとどめを刺せる。


 彼女には神霊も邪霊も等しくほふることのできる神造兵装じんぞうへいそう――天宵羅刹刃あまよいのらせつじんが与えられているからだ。


 朱里は迷った末に、腕の中のエリを横たえると手にした棒きれを展開させた。

 光り輝く大鎌の形となったそれを目撃し、明らかにタミエルの表情が凍り付いた。



「バカなっ……なぜただの人間が、あれを持っている!」



 朱里はタミエルから視線を外さず、一言、「お嬢様をお願いします」と、横に浮遊していたアルマリエラへ呟く。

 そして、一直線にタミエルへ駆け出した。


 それが合図となった。

 再び、梓乃が一跳足でタミエルとの距離を詰めると、反撃を許さない猛攻を繰り出す。


 右の拳が鬼の横っ面を殴ろうとして、それに気づいた黒鬼が懸命に片腕で防御する。


 だが、そのことで彼の左手側面に隙が生まれ、素早く回り込んだ梓乃に翼を掴まれ床に叩き付けられた。

 そして、そのままホールドされてしまう。


 まったく身動きの取れなくなったタミエルの顔に、初めて恐怖の色が浮かび上がる。

 それを視界に入れた梓乃が口元を微かにつり上げ、容赦なく彼の背中に鉄拳の追撃を浴びせていた。


 溜まらず絶叫を上げる翼の映えた黒鬼。

 死に物狂いで包囲から逃れようと鋭い尾の一撃を浴びせようとするが、それすら梓乃に掴まれ、そのまま引きちぎられてしまった。



「ぐぎゃぁぁぁー!」



 断末魔に近い叫びを上げるタミエル。

 そこへ、死神の鎌を振り上げた朱里が辿り着く。

 その時、彼の瞳に何が映っていたのだろうか。


 薄ら笑う邪神の微笑みか。

 はたまた煉獄れんごくの縁に佇む、犠牲者たちの嘲弄ちょうろうか。


 果たして――死を前にしたタミエルは、脂汗を流しながらも笑っていた。



「――ざまぁみろ」



 その呟きと同時に、オオカミの遠吠えのような鳴き声が室内に飛び込んできた。



「エリちゃん!」



 思わず梓乃が叫んでいた。動揺が僅かな隙を作る。タミエルはそれを逃さなかった。



「バカどもが!」



 掴まれていた両の翼と左腕を半ば強引に引っこ抜こうとして、負荷がかかりすぎたそれらが嫌な音と共に引きちぎられる。

 しかし、タミエルは痛みに耐え抜き、部屋の隅へと逃げ出した。



「お前たちにはお似合いの末路だ!」



 一人タミエルが哄笑こうしょうする。

 一同が見つめる先、そこには、熊ほどの大きさのオオカミが佇んでいた。

 角の生えた真っ黒なそいつは、床に横たわったまま身じろぎ一つしないエリを見つけるや、勢いよく飛びかかっていた。


 いち早く気がついた梓乃がそいつに向かって邪気を飛ばすが、それが当たる前に魔獣は避けてしまう。

 しかも、攻撃してきた梓乃には目もくれず、再びエリに襲いかかった。



「くっ」



 全身をバネに変え、素早くエリの元に駆け寄る梓乃。

 その気配を敏感に感じ取った魔獣が、振り返り様に梓乃へ瘴気しょうきを飛ばしてくる。


 彼女は間一髪でそれを避けると、魔獣との距離を一気に詰め、横っ腹を思い切り蹴飛ばした。


 苦痛のうめきを発しながらも体勢を立て直した魔獣は、頭を低くし、ぐるるとうなり声を上げる。

 しかし、すぐに飛びかかってくる気配は見られなかった。


 それら一連の光景を息を殺して見つめていた朱里は、安堵あんどの吐息を吐いたが、その姿はあまりにも無防備だった。


 次の瞬間、彼女は自分の身に何が起きたのか、まったく理解できなかった。


 全身を貫く激しい痛みと、骨がバラバラに砕けたかのような強い衝撃を受け、知らぬ間に宙を舞っていた。


 その攻撃が、気付かぬ内に近寄ってきていたタミエルによるものだと理解した時には、すべてが遅かった。


 床に叩き付けられ背中を強打した朱里は、眼前に巨大な黒い獣の姿を捉えた。

 彼女が落下した床は、オオカミのすぐ目の前だったのだ。


 朱里は痛みを堪えながら、なんとか逃げようと試みたが、それよりも早く、そいつが牙を剥き出しにして襲いかかってきた。



「くっ……!」



 すんでのところでそいつの上顎と下顎を掴んで動きを封じたが、できたのはそれだけだった。


 獣の力は強大で、まったく押しのけられない。

 それどころか、徐々に距離が狭まってきているような気がした。このままでは、いずれ喰い殺されてしまうだろう。



「朱里ちゃん!」



 梓乃が叫んで援護しようと動くが、そこへ、タミエルが殴りかかってくる。



「こんな時に……!」

「くく、ほらどうしたっ。さっさとあの小娘を助けに行くがいい。だが、その瞬間、私はガブリエラ様を喰ってやるがな!」



 梓乃は舌打ちしてタミエルを吹っ飛ばすが、邪気では死なない彼が何度も襲いかかってくる。

 その度に返り討ちにするが、みるみる内に、彼の肉体がボロボロになっていく。

 このままでは彼は肉体を失い、霊体となってエリの内部に入り込んでしまうだろう。

 そうなったらすべてが無駄となる。



「どうすれば……!」



 梓乃の顔に初めて焦りの色が浮かぶ。彼女は応戦しながら、横目で後ろの少女を見た。



「エリちゃん! 目を覚ましなさい! エリちゃん! さもなければ……!」



 だが、それに応える者は誰もいなかった。



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